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感想:『ハーモニー』

2010年01月27日 18時29分59秒 | 本と雑誌
ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2008-12


下世話に評価の話から。
昨年夏以来読書モードに突入し、その感想をここに記してきた。☆10個を最大とする評価を付け始め、250冊を越える小説・ノンフィクションで最高は☆8つ。『図書館革命』と『ベン・トー〈3〉国産うなぎ弁当300円』の2冊が該当するが、この2冊は共にシリーズの中の1冊である。シリーズであることを前提とした評価となっている。そして、本書『ハーモニー』は初のシリーズではない☆8つとなる作品となった。

読書メーターに残したコメントは、「私の読みたい現代SFにやっと出会えた!けれど、これが遺作とは。」というもの。書きたいことは山ほどあるが、コメント欄はそれを書くには狭すぎる。

私にとって、本書こそがSFである。現代の一面を切り取り、それを論理によって発展させた世界を描く。どう切り取り、どう発展させるかが作者の腕の見せ所である。
健康や清潔に対する現代人の異常なこだわりに着眼し、その突出した世界を描いてみせた。生府による社会システムは、法ではなく「空気」によって支配されている。ユートピアでありながら、その息苦しさを女の子の視点から共感するよう仕向けた冒頭部が絶妙。ジャングルジムの話だけで世界に引き込まれた。

しかし、物語の展開はそれだけに留まらない。
以下ネタばれ。

「ユートピア」からの救済。それは、息苦しさを感じる「わたし」の消去だった。社会からの疎外感は現代に生きる者に宿命付けられた病であるが、肉体的な病魔を駆逐した後に精神的な病に相対するのは当然の方向性だったと言える。そして、その唯一の解決がこれだというのも当然だ。
個人ではなくヒトという種を重視したとき、その行き着く先がアリやハチのような社会的昆虫のようになるという皮肉。だが、我々がありがたがっている個人の確立なんてたかだか200年ちょっとの歴史に過ぎない。当たり前のように感じる「わたし」は決して当たり前の存在ではない。
本書を読んでいて対比として強く想起したのが山本弘。AIがボディを得、意識を獲得していく彼の一連の作品は、ヒトが意識を捨てる本書と対照的だ。だが、本質的にはヒトの限界の先にAIという新たな種を規定する山本弘もまた伊藤計劃と同じ視点から出発していると言えるだろう。


ヒト、特に日本人の欠点を抉ってみせたところもつい共感してしまう。いっそ日本なんて滅びちゃえばいいのになんて願望がもたげてしまうが、世界をある意味滅ぼした本書のラストに満足感を得るのもそうした流れを押しとどめることなく描き切ったせいだろう。
『虐殺器官』も言葉によってヒトをコントロールする物語だったが、余計なものが多すぎた。それらを削ぎ落とし、容赦なく最後まで走り続けた点が高評価に繋がったわけだが、同時にそれは遺作だからこそできたことかもしれない。
トァンのミァハに対する心情の描写がやや不十分な感はあるが、etmlというメタフィクション構造という仕掛けによって相殺されている。この仕掛けの妙も含めて21世紀最高のSFだと宣言したい(そんなにSFを読んでるわけじゃないが)。


欠点と言えば、『虐殺器官』にも見られたパロディ。作者のビョーキだと思って諦めてはいるが、やっぱり必要ないでしょ(笑)。(☆☆☆☆☆☆☆☆)




これまでに読んだ伊藤計劃の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

虐殺器官』(☆☆☆☆)