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皆さんへのお願い:10月30日から始めたこの連続講座「スウェーデンの脱原発政策の歩み」(私の理解では「エネルギー体系修正のための政策」という表現のほうが適切だと思う)がカバーする範囲は、1960年代から1990年頃までです。その頃を振り返りながら読んでください。その後のスウェーデンのエネルギー政策は「緑の福祉国家22~30:エネルギー体系の転換を参照してください。
1986年4月26日、ソ連でチェルノヴィリ原発事故が発生しました。
1988年6月、国会は2基の原子炉を1995年および1996年に1基ずつ早期廃棄することを盛り込んだ政府のエネルギー政策ガイドライン(エネルギー・システムを修正するための政府の行動計画)を承認しました。
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これまで、お話してきた「脱原発政策(エネルギー体系修正のための政策)の経緯」を次の表にまとめました。
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以上のことから容易に理解できますように、スウェーデンのエネルギー政策における原発の扱いはそれを技術的な観点から否定したというよりも、むしろ、それを越えた政治的な判断でした。ここで注目すべきことは科学者が原発の抱える問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです。
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