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21世紀前半の日本の国づくりを議論するとき、議論を混乱させる二つの指標があります。
★「国民負担率」
一つは「少子・高齢化問題」など社会保障制度とのかかわりが深い「国民負担率」という日本独自の指標です。この指標が初めて登場したのは、25年前の1982年でした。
日本が、今直面している「総人口の減少を伴う少子・高齢社会」は、これまでに人類が経験したことがないスピードと規模で進んでいます。このような未知の、しかも大規模な21世紀前半の大問題に対して、「日本の経済の活力を低下させないように国民負担率を50%以内に抑える」という90年代の経済目標は、現実への対応という意味からはたして「21世紀前半社会の適切な経済目標」と言えるのでしょうか?
1990年の第二次行政改革最終答申が「国民負担率は50%以下をめどにする」と提言して以来、この目標は変わることなく、日本の社会保障制度の枠組みを決める際の重要なよりどころとなってきました。2004年6月3日、政府の経済財政諮問会議がまとめた、中期的な政策運営と2005年以降の予算編成の方向を示す「経済財政運営の基本方針」(いわゆる「骨太の方針」第4弾)にも、この目標が90年当時のまま、盛り込まれています。
この指標には、専門家の間でさまざまに疑問視する声があります。
★「環境効率性」
もう一つは、環境問題にかかわる「環境効率性」という概念です。初めて登場したのは、2001年頃(たとえば「平成13年版環境白書」)です。これについては、3月15日のブログ「エコロジー的近代化論の問題点」でふれました。
「環境効率」(Eco‐efficiency)いう言葉が政府関係者、企業、マスメディアなどで好んで使われています。これは経済性の向上を通じて「環境負荷の削減」をめざすものであり、製品の機能・性能の向上や財務のパフォーマンスの向上と同時に、環境負荷の相対的な削減を示す尺度です。
そして現在、産業界のさまざまな場面で使われはじめています。特に、企業が公表している「環境報告書」のほとんどで「環境効率(性)」が用いられています。たとえば企業の場合では、売上高(あるいは生産高)を環境負荷(CO2排出量、廃棄物排出量、SOx、NOxなどの大気汚染物質排出量など)で割ったものが環境効率です。 「原単位」と呼ぶこともあります。
国の場合では、環境効率はGDPを環境負荷で割ったものです(具体的には国の場合、「環境効率=GDP÷CO2排出量」とか、「GDP÷一般廃棄物排出量」、「GDP÷SO2平均濃度」というような形をとることもあります)。
環境効率(原単位)はよいほうが好ましいのはもちろんですが、これはあくまで相対的な指標ですので、環境効率がよくても経済活動が大きくなれば環境負荷の総量が増加することも当然あります。ですから、環境問題解決をめざした指標としては、「環境効率(原単位)」よりも「環境負荷の総量の削減」が望ましいことは論を待たないのです。
しかし、エコロジー的近代化論では、環境効率を高めることはできても、全体的な環境負荷の削減を保証することはできません。「大量生産・大量消費・大量廃棄という環境危機の根本的な原因」を、環境効率の向上でしかとりあげることができないからです。
同じように、日本では「効率化」と「省エネ」も混同しています。
「経済大国」と称される日本の社会システムを国際社会との比較で語るとき、企業人、エコノミスト、政策担当者はその指標の一つとして日本の「効率の良さ」を挙げますが、これには、1月25日のブログ「日本の環境問題を考えるときの基本条件」で示した3つの前提があることを忘れてはなりません。このような前提を忘れた議論がしばしば日本の「○○神話」を作り上げるのです。
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