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スウェーデンと日本を比較してみますと、さまざまな相違を見出だすことができますが、環境問題に対して決定的な相違は「全体」と「部分」とをどう見ているかということです。たとえば、森(全体)を見ると同時に、森を構成しているさまざまな木(部分)を見ているかどうかということです。このことは「予防志向の国」(政策の国)と「治療志向の国」(対策の国)と言い換えることができると思います。
日本は問題となっている「部分(木)」に注目し過ぎるあまり、「全体(森)」を見ないという傾向があります。一方、スウェーデンは目の前で問題となっている当面の部分を全体の中でとらえようとします。つまり、「当面の問題(部分)」と「全体」を相対的にバランスよく見ようとします。ですから、「問題の部分への対応」だけを比較すれば、この場合は特に技術的な対応ですが、日本のほうが圧倒的に優れていることがしばしばあります。
この図の「Think totally, Act partly」は、皆さんご存じの「Think globally, Act locally」をもじったものであることはいうまでもありません。
全体と部分ということで、私はもう一つ追加したいことがあります。それは「部分は全体を代表するか、言い換えれば、部分が正しければ、全体が正しいと言えるだろうか」ということです。環境問題のようにミクロからマクロの世界までを総合的に把握しなければならない分野では、私たちは不用意にも初歩的な過ちを冒し、その過ちに気づかないことがしばしばあります。
例えば、原子力という巨大な技術の評価をするときに、 「原発は二酸化炭素を出さないから、環境にやさしい、あるいはクリーンなエネルギーである」という評価などはその典型的な例です。このようなことを平気で書いたり、喋ったりする識者、政策担当者、技術者、マスコミ関係者がけっこういるものです。私には意外なのですが、原子力をほかの専門家よりも熟知しているはずの原子力の専門家と称される人達にそのような傾向があることです。
22年間の大使館での勤務の体験を通じて私が理解したスウェーデンは、伝統的に新しい発想から新しい概念を生み出し、世界に先駆けて新しいシステム(「全体」とそれを構成する「部分」からなる)を創造し、導入し、社会を変革するのが得意なシステム思考の強い国です。一方、日本は、与えられた枠組みのなかで工夫し、すぐれた要素技術(部分)の開発をするのが得意な国ですが、システム思考があまりありません。
スウェーデンが21世紀前半にめざす「緑の福祉国家」(エコロジカルに持続可能な社会)という新しい社会システムの構築を“ジグゾーパズル”に例えれば、スウェーデンがその完成図とそれを構成する整合性のあるピースをつくっているのに対し、日本は完成図がよくわからないまま、整合性のよくない新しいピースを次々につくっていると言えるのではないでしょうか。