東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

相ノ坂

2013年02月28日 | 坂道

大坂橋下 大坂橋下 相ノ坂下 相ノ坂下 前回の松見坂下から松見坂地蔵尊のある坂を下って坂下を左折し、道なりに歩く(現代地図)。途中、右(西)を見るとかなり長く続く階段があり、左(東)の山手通り側を見ると歩道へ上る階段があったりして、この道はこのあたりの低地であることがわかる。空川はこのあたりを流れていた。

やがて、一枚目の写真のように、進行方向に大坂橋が見えてくるが、首都高速3号渋谷線の高架がその上にあって下を圧倒するようにそびえている。二枚目は山手通りの歩道から大坂橋を撮ったもので、橋の全体がわかる。ここから山手通りを一段目とし全体で三段構造となったおもしろい光景を眺めることができる。

大坂橋は、路面電車(玉電)の開通(明治40年)のときにできたが、ここを見ると、大きな川が流れていたようにも思えてくる。その昔の大坂は、大山街道の最大の難所だったという話もわかるような気がする。

相ノ坂下 相ノ坂下 相ノ坂下 相ノ坂中腹 山手通りの西側の歩道を南へ進み、大坂橋の下をくぐり、その先の信号で横断し、ちょっと北へもどるように歩くと、突き当たるので右折する。しばらく東へ歩き、菅刈小学校の角で左折すると、相ノ坂の坂下である(現代地図)。

左折してすぐのところから撮ったのが上三枚目の写真で、坂下からちょっと進んだところから撮ったのが上四枚目で、細い道がまっすぐに北へ延び、まだかなり緩やかである。

一枚目の写真は、ちょっと入ったところから坂下を撮ったもので、小学校側の端に坂の標柱が立っている。二枚目は、坂下からさらに進んだところから坂上側を撮ったもので、この先で、左に緩やかに曲がっている。 三枚目は、その先から坂下側を撮ったものである。そのあたりから坂上を見ると、緩くカーブし、右にブロック塀がそびえ立っており、そのわきからかなり急な階段が上っている。この中腹のあたりから坂上側を撮ったのが四枚目で、階段も写っている。

相ノ坂中腹 階段上 相ノ坂中腹 階段上から 相ノ坂中腹 相ノ坂中腹 一枚目の写真は、階段を上り、その上から東へ延びる道を撮ったもので、陽当たりが悪いのか雪がかなり残っている。二枚目は階段上から下を撮ったもので、かなり急なことがわかる。

三枚目は階段下のちょっと坂上側から坂下を、四枚目はそのあたりから坂上側を撮ったもので、このカーブの手前あたりからしだいに勾配がついてくる。

坂下に立っている標柱には次の説明がある。

「相ノ坂(あいのさか) 坂の上の旧大山道(現、玉川通り)と坂下の旧日向(ひなた)道の間(あい)の坂だからとする説や、人々が落ち合う坂(合の坂・逢の坂)だからとする説がある。」

両説ともいかにもありそうな説で決定版ではないようである。坂下の東西に延びる道を日向道とよんだのだろうか。

相ノ坂中腹 相ノ坂中腹 相ノ坂中腹 相ノ坂中腹 一枚目の写真は中腹のカーブからちょっと進んだところから坂下側を撮ったものである。二枚目はその先から坂上を、三枚目はさらにちょっと上から撮ったもので、このあたりからまっすぐに上り、もっとも勾配がある。坂左端に手摺りができている。四枚目は、そのあたりから坂下側を撮ったものである。

この坂の中腹は、勾配があり、両側にコンクリートの直立壁がそびえ立っているため暗く、おまけに道も狭いため、森林の中の細い山道を登っているようである。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、184m、12.9m、6.32で、緩やかな坂下を考えると、やはりかなり急な坂であることがわかる。

相ノ坂中腹 相ノ坂上 相ノ坂上 相ノ坂上 一枚目の写真は、中腹の上側から坂上側を撮ったもので、勾配は引き続きかなりある。二、三枚目は坂上にかなり近くなってきたところから坂上側を撮ったもので、その先でちょっと右にカーブしている。四枚目は、カーブの手前から坂上を撮ったものである。

写真を並べてあらためて見ると、どこかの坂と似ているような気がしてきたと思ったら、南麻布の明治通りから北へ上る新坂である。ここも一部にかなり高い直立壁があって、細い道が続き、かなり長いが、坂上でなだらかな道が続き、中腹の勾配も緩やかで、この相ノ坂と比べると緩やかな丘を上る感じではあるが。

相ノ坂上 相ノ坂上 相ノ坂上 相ノ坂上 一枚目の写真は、坂上のカーブのあたりから坂下側を撮ったもので、坂下の向こうは明るいが、急な中腹は壁に囲まれて暗い。二、三枚目は坂上を撮ったもので、坂上近くになると、緩やかになる。坂上の横に延びる道は、246号線の大坂の方から南東へと延びる旧山手通りの裏道である。四枚目は坂上から坂下側を撮ったもので、カーブのため、坂の中腹は見えない。

御江戸大絵図(天保十四年(1843))を見ると、宮益町の西、道玄坂の先に、大山道と記されているが、そこから南へ目黒川の方に延びる道がある。これがこの坂かもしれないが、なにもない所にさらっと描いた感じで確かでない。昭和16年(1941)の目黒区の地図には、坂名がちゃんと記され、坂下に菅刈小学校がある。

この坂は、特に中腹の直線部分でかなり勾配があり、直立壁がそびえ立っていて、人工的ではあるが、まるで現代の都会の中にできた深山幽谷の地である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
菅原健二「川の地図辞典 江戸・東京/23区編」(之潮)

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