前回の半兵衛坂下を左折し、南へちょっと歩くと、蛇崩川緑道が交差する地点に至る。一枚目の写真のように、ここが蛇崩橋(蛇崩上橋)跡である(現代地図)。
ここを左折し、緑道に入り、下流側(東)に進む。以前もここを歩いたが、そのときは、上流(水源)に向かってであった(以前の記事)。それ以来であるが、なんとなくなつかしい気分になる。
二枚目は、緑道に入ってすぐのところから下流側を撮ったもので、樹木がよく育っている。
まもなく、蛇崩下橋跡に至るが、その近くから左手の一般道を撮ったのが三枚目である。西へとまっすぐに上る坂であるが、坂上は、先ほどの半兵衛坂下の蛇崩の交差点である。ここから見ると、半兵衛坂下から蛇崩川にはさらに下る。
蛇崩川は、かつては大変な暴れ川で谷も深く、このあたり一帯の旧地名でもあった「蛇崩」の名は、川が蛇のようにうねって流れていたから、とか、両岸を深く浸蝕しそこに土砂が崩れていたからなどの説がある(以前の記事)。
しばらく歩くと、川端橋のずっと手前に右に入る小路がある。その小路のちょっと手前で蛇崩川緑道の下流側を撮ったのが四枚目である(現代地図)。この小路の入口が右側に見える。
一枚目の写真は、上四枚目の小路を緑道側から撮ったもので、ここが蛇崩川支流緑道である。この支流緑道は、ここから南へと謡坂下まで延びている。
ここは初めてで、目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」で知り、今回の坂巡りに入れた(というよりも、ここが組み入れられた坂コースを参考にした)。
二枚目、三枚目のように、先ほどまでの緑道よりも狭い道が家と家との間をくねくねと延び、本流緑道とちょっと違った雰囲気で緑道歩きを楽しむことができる。
やがて一般道に出るが、ここは、先ほどの半兵衛坂下の蛇崩の交差点から東へと延びる道である。この出たところをふり返って撮ったのが四枚目で、アーチ状のコンクリートの門に「蛇崩川支流緑道」と記されている。
上四枚目の門を出たところで、進むべき道が見つからず、一瞬迷うが、突き当たりを左折し、次を右折すると、先ほどまでの細い道とは違った一般道のような道が続く。
まもなく、一枚目の写真のように、階段に至る。
階段上の道の向こうに先ほどと同じコンクリートの門が見える。ここから入ると、二、三枚目のように、ふたたび先ほどまでと同じような細い道が続く。
やがて一般道に出るが、ここでこの支流緑道は終わりで、そこをふり返って撮ったのが四枚目である。ここにも同じ形の門が立っている(現代地図)。
このあたりから支流が南から北へと流れ、先ほどの蛇崩川緑道のあたりで本流へ注いでいたのであろう。そう思い、明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、この支流と思われる川がさらに南の方へ延びていたことがわかる。
蛇崩川は、この当時、蛇のようにくねくねと流れていた。半兵衛坂の左手(上から見て)東側は、崖のようになって、その谷底に蛇崩川が流れていたように想像される。
(続く)
参考文献
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)