前回の稲荷坂下を直進すると、蛇崩川緑道の諏訪山橋跡に至る(現代地図)。
一枚目の写真は、諏訪山橋跡の標柱を入れて緑道の上流側を撮ったもので、ここから先ほどの支流緑道の入口まで1km程度と思われる。この近くのベンチでちょっと休憩する。
ここから北に向かい、すぐに左折して西へ進むと、右手に二枚目のように烏森稲荷神社がある。この稲荷は、半兵衛坂上の壽福寺の境内にあったが、元禄(1688~1703)の頃に移したものという(壽福寺の説明パネル参照)。
以前、中目黒駅前から蛇崩川緑道を水源に向けて歩いたとき知ったが、このあたりから北側の丘を諏訪山と呼んだ(以前の記事)。三枚目は、諏訪山橋から北へ坂を上り、坂上から坂下側を撮ったものである。
下りの東横線に乗って中目黒駅を出るとまもなく、右手に小高い丘が見えてきて、このあたりも起伏の多い土地であることがわかるが、ここが諏訪山と思われる。
一枚目の写真は、上三枚目のあたりから反対側を撮ったもので、このあたりは平坦であるが、直進すると、下り坂になる。ここを北へ進むと、山手通りを越え、目黒川の宿山橋に至る。
諏訪山の北側に小川坂が東西に延びており、烏森稲荷神社の北側には烏森小(門前が小川坂上)があるので、この山は小川坂上とともにこのあたり一帯の山塊を形成している。蛇崩川を挟んで南側が稲荷坂上・謡坂上の丘陵地帯である。
現代地図を見ると、このあたりには諏訪山の名の付いた建物が多い。
明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、「字諏訪山」とあるが、先ほどの諏訪山橋から北へ上ってきた道以外に道はほとんどない。こんもりとした森のある山であったのだろうか。昭和16年(1911)発行の目黒区の地図でも同じように見える。
上記の現代地図から昭和22年の航空写真を見ると、建物は少ないが、昭和38年になると、かなり増えていることがわかる。
二枚目の写真は、山の東側に行ったら出くわした坂を坂下側から、三枚目は、さらに下ってから坂上側を撮ったものである。まっすぐにちょっと急に下っており、一挙に高度を下げる。二三回曲がりながら下ると、ふたたび蛇崩川緑道に出る。ここから中目黒駅へ。
携帯による総歩行距離は10.4km。
参考文献
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)