東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

稲荷坂(上目黒)

2013年07月16日 | 坂道

稲荷坂上 稲荷坂上 稲荷坂上 稲荷坂上 前回の謡坂上を直進すると、やがて東横線のガード下が見えてくる。それを右に見ながら左折し、北へちょっと歩くと、稲荷坂の坂上である。

一、二枚目の写真は、坂上から坂下側を撮ったもので、北側の眺めがよい。左右の視界は狭いが、現代の坂でこれだけ遠望できればよい方と云える。

目黒区上目黒四丁目11番と14番の間を北へ下る(現代地図)。

三枚目はふり返って坂上側を、四枚目は坂下側を撮ったものである。ほぼまっすぐに中程度の勾配で下っている。

稲荷坂上 稲荷坂中腹 稲荷坂中腹 稲荷坂中腹 一枚目の写真はちょっと下ってから坂上を撮ったもので、二枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。

以前、この坂を訪れたときは、坂下からであったが、そのときとちょっと印象が違うような気がした。こんなに長い坂ではなかったように思うが、記憶も当てにならない。

三枚目は、さらに下ってから坂上側を、四枚目は、坂下側を撮ったものである。このちょっと下側に坂の標柱が立っていて、次の説明がある。

「稲荷坂(いなりざか)
 この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。」

稲荷坂中腹 稲荷坂中腹 稲荷坂中腹 稲荷坂中腹 一枚目の写真は、中腹に立っている標柱を入れて坂上側を、二枚目は、そのあたりから坂下側を撮ったものである。

三枚目は、ちょっと下ってから坂上側を撮ったもので、標柱も小さく写っているが、そのちょっと下側から左(東)へ入る道がある。ここを入って、ちょっとの所に標柱の説明にある刺抜稲荷大明神がある(「東京23区の坂道」)。今回、直接確かめることができなかったが、google地図で確かめることができた。

四枚目は、さらに下ってから坂上側を撮ったものである。

石川と岡崎は、坂下の蛇崩川にかかる諏訪山橋を超えて諏訪山の方にある烏森稲荷神社がこの坂名の由来と考えているようであるが、この神社はこの坂からちょっと離れているので、標柱の説明の方が正しいように思われる。

稲荷坂下 稲荷坂下 稲荷坂下 稲荷坂下 坂下になるとかなり勾配が緩やかになって、左へ、右へとちょっと曲がっている。

一枚目の写真はかなり下ってから坂下側を、二枚目はそのあたりから坂上を撮ったものである。

三枚目は坂下側を、四枚目は坂上側を撮ったもので、このあたりが坂下と思ったら蛇崩川の諏訪山橋が坂下らしい(横関)。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、前回の謡坂を東に進むと、四差路があり、ここを左折すると、北へほぼまっすぐに蛇崩川へ続く道筋があるが、ここがこの坂と思われる。この坂の周辺の字が蛇崩であった。

昭和16年(1911)発行の目黒区の地図では、東横線が通っており、現在とほぼ同じ道筋となっている。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、168m、7.6m、4.18で、全長が短めなので、坂下の小カーブあたりを坂下としたのかもしれない。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)

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