東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

謡坂

2013年07月15日 | 坂道

謡坂下 謡坂下 謡坂下 謡坂下 前回の蛇崩川支流緑道を出たところを左折しちょっと歩くと、行く手に緩やかな上り坂が見えるが、謡坂である。

反対に右折すると、急カーブしてから、先ほどの蛇崩川緑道の蛇崩橋跡、半兵衛坂下の蛇崩の交差点へと続く。

目黒区上目黒四丁目30番と五本木一丁目6番との間を東に上る(現代地図)。

一枚目の写真はそのあたりから坂上側を、二枚目はさらに歩いてから坂上側を、三枚目はさらに進んで坂下の交差点のあたりから坂上側を撮ったもので、緩やかにまっすぐに上っている。

四枚目はそのあたりから坂下側を撮ったもので、この坂名が付いた駐車場が見える。

坂上側に標柱が立っているが、次の説明がある。

「謡坂(うたいざか)
 昭和の初め頃、この坂の近くに謡の好きな人が住んでいたので、謡坂と呼ぶようになったといわれる。」

謡坂中腹 謡坂中腹 謡坂中腹 謡坂中腹 坂をちょっと上ると、一枚目の写真のように、右側の建物の歩道わきの敷地にこの坂名を刻んだ石柱が立っている。

二枚目はさらに進んだ中腹から坂上側を、三枚目はそのあたりから坂下側を、四枚目はさらに上ってから坂上側を撮ったものである。

目黒区HPに次の詳しい説明がある。

 『「謡坂[うたいざか]」という坂は、近畿以東に40余りもあるという。そのひとつが目黒区にある。

この坂は、東横線ガード下から蛇崩川へ下る上目黒四丁目と五本木一丁目との境の道となっている。

坂名の由来については、資料が少なく、確かなものはない。目黒区郷土研究会の資料によると「ウタイ」の語源が、アイヌ語のウタ、出崎を意味するとある。蛇崩川は、昔、かなり大きな川だったらしく、その川に出崎があり、そこをこの坂がう回していたのではないかとある。

昭和17年から坂の中ほどに住む小沢夏哉さんに話を伺った。

「私が、ここに来た当時は、道幅もせまく、もっと坂らしい坂でしたよ。道幅は1間半ぐらいだったかな。追いはぎが出た寂しい坂でしたよ。坂名の由来ね… 古くから住む地元の人でないとわからないんじゃないですか」 2人、3人にきいてみたが、わからない。そこで、地元の人で祐天寺かいわいでは、一番の長老といわれる田中守太郎さんに話を伺うことにした。

「この辺には、昔は何もなかった。周囲は、畑とナラ林だけ。震災の後だったか、坂のわきに16軒長屋なんてものが建って、人がぽつりぽつりと住み始めたっけ。そこの人たちが、「坂に何か名をつけよう」ということで「うたい坂」とつけたんだね。この長屋に長唄か踊りを教える人がいたなんて話も聞いたことがあったな」

年々、古くから地元に住む人が減っていることもあって、区内にあるたくさんの坂の中でも、その名やそれにまつわる話の分かる人が少なくなってきている。

現在の謡坂は、左右にギッシリ家が建ち並らび、アスファルトで舗装された道となっている。』

謡坂中腹 謡坂上 謡坂上 謡坂上 一枚目の写真は、中腹上側に立っている標柱を坂上側から撮ったものである。

二~四枚目は、坂上近くで、坂上側、坂下側、坂上側を順に撮ったもので、坂上も坂と同じく東へまっすぐに延びている。

横関は、近畿以東には、「うとう坂」と呼ぶ坂が、四十もあるが、それらと同じような意味を持った坂は、東京には少なく、三つの坂をあげているが、その一つがこの謡坂である。他の二つは、北区王子神社近くの宇都布坂(うとうざか/旧日光街道の地蔵坂の古称)、市ヶ谷の歌坂(以前の記事)。 これらに共通した点は、かつて坂下に川あったこと、いまでも川や橋があること、その坂が岡の終わりで、平地に突き出ていること、の三つであるという。「うとう坂」は、日本の北半分に多いが、全国的に散在しているといってよく、東京に少なく地方に多い。「うとう」や「おとう」の読みであるが、当て字がきわめてい多いとある。烏頭坂、善知烏坂、鵜頭坂、宇都布坂、鵜取坂、・・・。真鶴の謡坂は、うたい坂ではなく、うとう坂であるという。結論的には、「うとう」とは、「烏頭」であって、善知烏(うとう)の「くちばし」に似たような地形、山や海浜の出崎を言ったのであろうとしている。横関は、実際の坂を取りあげて検討しているが、この坂には言及していない。

この謡坂が全国的に散在するという「うとう坂」から転訛したものか、あるいは、標柱にあるように、まったく別なことに由来するのか不明である。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図にこの坂に相当する道が見え、坂下の先で蛇崩川を横断しているが、そこまでの道筋が左へ右へと二回大きくカーブしており、この形状がウトウのくちばしに似ていたからかなどと思ってしまう。昭和16年(1911)発行の目黒区の地図には坂上の先に東横線が通っている。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、171m、3.4m、1.91で、平凡な坂であるが、その坂名の由来は不思議さを感じさせる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

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