釈迦坂下を右折し丸の内線のガード下を通り抜けて、藤坂の方からの道を横断し左折すると、稲荷神社があるが、この先を曲がると蛙(かえる)坂の坂下である。ここに貞静学園短大の門がある。坂下は緩やかであるが、中腹で右にちょっと曲がるあたりから勾配がきつくなり、上側で左に大きく曲がってから、少し緩やかになって上る。谷からいっきょに小日向の台地に上るためかなり急である。坂上の途中から東側を見ると、丸の内線が下に見える。
ここを直進すると、左手に切支丹屋敷跡の石柱が立っており、その先を左折したところが切支丹坂上である(以前の記事参照)。
坂の上側の大きく曲がるところに説明板が立っているが、前回、この説明板を撮影していたら車がきたらしく警笛がなるまで気がつかなかった。この坂は、特に曲がりの部分では写真を撮るのも車を運転するのも要注意である。
「蛙坂(復坂) 小日向一丁目23と25の間
「蛙坂は七間屋敷より清水谷へ下る坂なり、或は復坂ともかけり、そのゆへ詳にせず」(改撰江戸志)
『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので、里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。
なお、七間屋敷とは、切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり、この坂道は切支丹坂に通じている。
文京区教育委員会 平成12年3月」
別名の復坂は、かえるざかと読み、横関に別書きとある。
尾張屋板江戸切絵図を見ると、徳雲寺の西を下る釈迦坂の南に緩やかな弧を描いている道があるがここと思われる。南側で急にまっすぐになっている。近江屋板もそうなっているが、坂マークがない。
上の説明にある清水谷とはどこを指すのだろうか。この坂下あたり一帯は茗荷谷と思っていたがそうでもないらしい。『御府内備考』の小日向の総説に「清水谷は茗荷谷のむかいの方、御簞笥町の裏なり、【改撰江戸志】」とある。切絵図をみると、徳雲寺の北に小日向清水谷町とあり、その道を挟んで向こう側が小石川御簞笥町となっている。その清水谷町は、これから行く藤坂の上の方にあり、谷という感じがないので、ちょっとイメージがつかみきれない。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)