おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

農業用水路にアオダイショウ5匹

2011年06月20日 03時41分46秒 | 動物

写真1 鎌首をもたげ、筆者を睨むアオダイショウ。威嚇している?


写真2 face to face どのような関係? 5月、6月は交尾期ゆえ、雄と雌?


写真3 face to face からパッと分かれ、泳ぎ出したアオダイショウ2匹、長い


写真4 舌をペロ、ペロ出すアオダイショウ


写真5 舌先は2つに裂ける


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 ここは、栃木県足利市、三栗谷土地改良区・雉川第2揚水機場近くの農業用水路
 時季は麦秋、麦刈取りコンバイン、麦刈跡耕起トラクターの姿や音が耳目に入る

 本格通水前の農業用水路に目をやるとアオダイショウ
 とにかく長い、驚くもシャッターを切る
 ファインダーから目を放し用水路を見ると、もう1匹が筆者を睨んでいる、びっくり

 さらに、はなれて3匹、同じく睨んでる
 もー、驚きでなく、寒気
 草生える農道歩きが怖くなる
 麦刈取りコンバインなどの撮影行が鈍る

 アオダイショウは樹木の登り下りができる
 したがって農業用水路の垂直コンクリーリ壁もなんのその
 蛙などを狙って用水路にいるのであろう
 学名:Elaphe climacophora ナミヘビ科

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月05日 撮影地:栃木県足利市
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ついに撮るヒバリの飛び姿

2011年06月19日 00時31分37秒 | 野鳥

写真1 いざ上昇!!



写真2 上昇中のヒバリ。写真1とは別個体


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 ヒバリ
 春、空高く囀り、突然急降下して畑や草むらに消える
 ほどなく飛びたち、囀り、急降下
 この繰り返しを里みちや農道などで耳目に入れられる

 筆者は空で囀るヒバリの姿を撮りたく、これまで挑戦するも失敗
 このたび、なんとか成功(写真1・写真2)
 
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月04日 撮影地:群馬県太田市
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なに なさってんですか  ソラマメ保温ビニールを剥いでる

2011年06月18日 00時00分00秒 | 農業

写真1 ソラマメ保温ビニールを剥ぐ男性農民。後ろにトラクターと麦。トラクターの正面は、目、鼻、口、顔に見える


写真2 歩行型自動ネギ移植機。昼休みで、独りぼっち


写真3 ソラマメ保温ビニールは剥がれ、ソラマメの畝はトラクターで耕され、整地されている


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 江田沼から矢太神水源(ヤダイジンスイゲン)へ向かう
 石田川左岸の畑で作業中の男性農民(1928・昭和03年生まれ83歳)
 現場に着き、なに、なさってんですか(以下、< >は筆者の質問あるいは返答。他は男性のご教示。)

 <こんちわー、はじめまして、これは、どーゆう作業なさってるんですか> これ、ほれ、下へ暖っまるようにすいて(敷いて)
   そいで要らなくなったから剥いで、暖めっためにすいてね(写真1)
 <前は何が植わってたんですか> ここはー、ソラマメ
 <その上に被せる> ドロへ敷く、下へ、ドロの上、これを敷く
 <ほんで、枯らすわけ> 枯らすわけじゃなくて、播いたとき、寒みーから、保温
 <ソラマメの保温だったんだ> うん
 <それを回収なさってんだー> うん、ドロだらけだけど
 <あすこに機械がありますよね、ネギの> あらー、ネギ植やってる、今(写真2)


 4時間後、矢太神水源からの帰りに立ち寄ると畑は耕してあった(写真3)。

 引用・参考文献等:①弊ブログ2011年06月16日 ②弊ブログ2011年06月17日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月04日 撮影地:群馬県太田市・新田中江田町(旧新田郡新田町)
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大間々扇状地扇端の江田沼  湧水涸れる <農村の水24 >

2011年06月17日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 降雨で水位上昇の江田沼(えだのぬま)


写真2 沼の周りは公園に整備され、清々しい。「新田環境みらいの会」など地域の皆様が整備されているのであろう


写真3 電動ポンプ小屋。江田沼に替わり、伏流水・地化水を汲み揚げ、田んぼなどへ送る


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 群馬県の旧新田郡新田町の江田沼(えだのぬま)
 大間々扇状地の扇端部にある沼
 扇端部の沼の中で最も低い標高に立地
 矢太神水源(弊ブログ2011年06月16日)から2㎞ほど扇状地を下った所にある

 まず、江田沼の現状について、近くに住む男性(1936年・昭和11年生まれ75歳)が次のように教えてくださった
(以下、< >は筆者の質問あるいは返答。「 」は男性のご教示。( )は筆者の補足)
 <ここ(江田池)は自然の湧き水ですか>「昔は湧き水で、いつも水があったんですけど、こゆう側溝ができたりして地下水がだんだん下がったみたいですね」
 <湧き出すのが少なくなった>「えー、湧き出すのが少ないですね」
 「夕立とか、梅雨どきとか、雨が多いと一応溜まるんです」
 <それ以外は溜まらなくなった>「はい、だいたい、10月頃、雨が降らなくなってから春さきまでは干上がっちゃうんです。それと、周辺の泥が流れ込んで、昔の深さよりずーと、あのー、底が高くなっちゃった。そいで、ま、地下水ってのは、ほとんど出なくなった」
 「昔は、1年中、どっからか、こー、地下水が浸透して溜まってたんですけど、底が浅くなったのと周辺が整備されて周辺の地下水自体も下がったから、湧き出すってのがなくなった」
 <これから、矢太神水源と重殿水源へ行くんですけど>「上の方(矢太神水源や重殿水源の方)は、ここよりは、地下水位もそんなに下がってないし、赤城からの地下水が伏流水となって、ここへん(辺)で、こー、出てきている。ここは、もー、一番シモ(下)の方に入る」
 <ここからシモ(下)に、こゆう沼はないですか>「ここで終わりみたいです」
 「ここから1キロぐらい先の所に石田川ってのがある。そこに、直ぐ、こゆう水ってのも流れて行ってしまう。昔は、ヨウスイボリ(用水堀)って、ここらへんの田んぼの時季なるってゆうと、農家の人が浚って綺麗に手入れしたけど、今は、もー、地下水汲み上げるんですよ。ほとんど、そんな目的(農業用水に使う目的)もなくなって。そんで、ま、年々、こゆ土が流れ込むしね、夕立の時、そいで、池の底自体がヘドロで、こー、溜まってしまって」
 「昔の面影はなくなったって、土地の人は言ってますよね」


 次に、江田沼から矢太神水源(ヤダイジンスイゲン)へ向かう途中、石田川左岸の畑で作業中の男性農業者(1928年昭和03年生まれ83歳)が教えてくださる。
 <(矢太神水源は)石田川に沿って行けばいいですか>「うん、石田川のズーと見えるムラ(「村」:近世期の村に系譜をもち、連綿と続く自治的集団。「むら八分」のむらに当たる。行政単位の村ではない。以下同じ。)がそうだから」
 「川のハタがズーと行けるから(石田川の堤防をズーと行けるから)。そいで、ヒトムラ(一つのムラ)越してやからね」
 <ヒトムラ越して次の村なんだ>「ムラってゆうより、ウチがなくなっちゃうとこなんだね」
 <ここは、赤城の伏流水が出る所でしょ>「うん、そう、そう」
 <江田の池が一番端(はし)の方みたいですね>「江田の池は、山がある時は水があったんだけど、今ねー」
 <ない>「うん。今日は、(昨日雨が降ったので)ちょっと溜まったんねー」
 <いつも涸れてんですか>「もー、時季なると涸れちゃう、春は涸れちゃうねー。ここ、雨が降ったから」
 <昔は赤城の水が出てたんですか>「赤城の水だか、なんだかしんねけど、向こうがズーと山林だったから、だから(水が)年間あったんだよ。ウナギなんか、こんな、でっけーのが」
 <ウナギもいたんですか、でっかいのが>「あー、いたんだ。だけど、目がつぶれなんつって」
 <獲ると>「うん」
 <獲っちゃだめだったんだー>「獲っちゃだめ」
 <矢太神沼が石田川の>「水源地」
 「重殿は、イクシナ(生品)でね、イチノイ(市野井)にある」
 「向こう(重殿)は、オーカワ(大川)の源流なんだよ、ちっさい川だけどオーカワ」


 上記2人のご教示から、湧水枯渇の要因は次のように考えられる
  ①山林の開発や伐採による保水力減少
  ②扇状地開発による雨水の河川への直接流入と地下浸透水減少、すなわち伏流水減少
  ③江田沼周辺の開発による地下水位の低下と泥流入
  その結果
  ④農業用水源として江田沼は使われず
  ⑤土地改良事業で地下水・伏流水の電動ポンプ揚水となり
  ⑥農業用水路や沼は浚渫されず、昔日の面影はない

 大間々扇状地湧水の行く末を想起させる江田沼である。
 最後に、江田沼の禁忌習俗としてウナギの捕獲禁止があったことを知る

 謝辞:丁寧に教えてくださった上記のお二人に感謝致します
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月04日 撮影地:群馬県太田市・新田中江田町(旧新田郡新田町)
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コンコンと太古から水が湧く矢太神水源 <農村の水23 >

2011年06月16日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 矢太神水源の10を超える湧水の中で、砂吹き上げの自噴現象が最も大きい湧水


写真2 10を超える湧水はY字型の池を造る。湧水は当写真の右下へ流れて石田川になる


写真3 Y字の左部分の湧水。吹き出された灰色の砂は同心円状に積もる。写真1の湧水は、当写真では右下、Y字の分岐部、草叢の前にある


写真4 Y字の右部分の湧水。ここだけでも5つ前後の小さな湧水がある


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 渡良瀬川は関東平野に出ると南北の大間々扇状地を造る
 すなわち、みどり市・旧大間々町を扇頂に南へ約16㎞緩傾斜
 太田市と伊勢崎市を結ぶ線・約12㎞を扇端とする

 扇状地の伏流水は、標高55~60mの太田市・旧新田町で多くの湧水となる
 なかでも、写真の矢太神水源(やだいじんすいげん)は最も豊富に湧き出し、石田川へ流れ、流域の水田を潤す
 扇央のみどり市・旧笠懸村は伏流水位が深く、用水確保が難しかった

 上記湧水の周りでは縄文時代から人々の暮らしが営まれていた
 平安時代末期、12世紀中頃になると荘園・新田荘が成立する
 新田義重(源義家の孫)は太田市西部を荘園とした
 太田市西部、石田川流域や早川流域の19郷を支配、さらに37郷を支配
 湧水は新田荘の成立及び維持に貢献し、荘園経営を安定させた
 義重から数えて8代目、新田義貞の1333年(元弘3)の鎌倉幕府倒幕につながったと考えられる
 隣接する足利荘の足利氏・足利尊氏の隆盛も、渡良瀬川などの「水」が支えたと考えられる
 「水」ある所に人あり、繁栄あり

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月04日 撮影地:群馬県太田市新田大根町
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