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日本や多くの国で耕耘機が広く使われる前の時代、田や畑を耕すのに鍬と犂が使われていた。筆者は、牛や馬が、ときには人が牽いて田や畑を耕していた犂と、その利用(犂耕)、ならびに農業・農村の歴史を調査研究している。
筆者に、力強い研究パートナーが登場。その人は、学部・大学院時代からの友人・後輩であるラオス人民民主共和国(以下、ラオスと記す。)の、シスラス ボアカム氏。わが国文部省の国費留学生だった。現在、ラオスで活躍中。
彼が、ラオスの犂と犂耕を撮り送ってくれたのが写真1と写真2。ラオスも日本と同じように耕耘機が普及し、写真のような犂・犂耕は非常に少ない。貴重な現場写真、現在進行形の写真。筆者にとって犂・犂耕の写真は垂涎の的。調査研究意欲を掻き立てられる。日本では、現在、博物館で見るしかない。
さて、上の写真で牽いているのは水牛、犂は鉄製の短床犂(接地部位を床と呼ぶ。その長さが短い。写真3に犂床が見える)、犂の後ろで操作する人(シンドリ)がいる(写真1)。耕耘に慣れてない牛や馬の場合、前に立ち誘導する人(ハナドリ)が1人付く場合もある(写真2)。
執筆者:有馬洋太郎 撮影者:シスラス ボアカム 撮影年月日:2011年6月19日 撮影地:ラオス・サバナケット県アツサパントング市ドンヘン村