おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

ダイジャサマに伝統行事存続を考える

2012年11月13日 12時38分06秒 | 農村

写真1 ブルーシートの上でダイジャサマ造り。左側に “技”を教わるグループが2組。ダイジャサマを巻き付ける鳥居が見える


写真2 2つの教わるグループ。右3人(教わるのはタオルを巻く男性)、左4人(教わるのは水色帽子と黒帽子の男性)
    白帽子・紺色シャツの教える男性の背に数百年の伝統を感じる  


写真3 教える女性(白帽子に薄桃色上着)と男性(白帽子)、教わる男性2人(水色帽子と黒帽子)、心配そうに見る女性(黒帽子)


写真4 お茶準備など裏方が終わり、ダイジャサマの爪を造り始める女性2人


写真5 女性2人が造った爪に意見を述べる先生役の女性(正面の白帽子)


写真6 ダイジャサマの胴体造り。ここでも“技”の教え、教わりがある

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1.伝統行事は“心”や“技”の伝承が課題 
 伝統行事の課題は、“心”や“技”を承け継ぐ人を確保し、伝えること
 ここでは、“技”の伝承について大輪神社のダイジャサマを事例に考える

 ダイジャサマは、毎年10月15日、大輪神社の秋祭りに奉納される
 その1週間前に、境内で稲わらを使いダイジャサマが造られ、鳥居の柱に2体巻きつけられる
 2012年は10月08日(弊ブログ2012年10月18日
 過去1年に“不幸”(葬儀など)のあった家はダイジャサマ造りに参加できない

2.ダイジャサマのカシラ造り
 ブルーシートの上でダイジャサマを造る人たちは、指示されるのでなく当たり前のように2つに分かれた(写真1~写真3)
 一つは造り方を教わるグループ
 当グループの主な造作対象はダイジャのカシラ(上あご・下あご・舌)
 教えるのは大正末期や昭和1桁前半の男性や女性、“技”既得者
 教わるのは比較的若い、一世代若い団塊世代あたりと思しき男性

 二つは独りでカシラ以外のダイジャサマの部品を造る人
 黙々とあるいは喋りながら縄を綯い、爪などを造る
 “技”に憶えのある女性2人が互いに確認しつつ、ダイジャの爪を造り始めた(写真4・写真5)
 
3.ダイジャサマの鳥居巻きつけ
 カシラを2体造り終えると、鳥居の貫(柱上部で横に渡してある部材)に取りつける
 カシラの下にわらを挿し込み綯い、4mほどの胴体を造る
 造り終えた胴体を鳥居の左右の柱に巻きつける
 カシラ据え付け、胴体造りの過程で挿し込み綯う方法と柱への巻き付け方法を教え、教えられる(写真6)

4.ダイジャサマ造りは実演口述で教え、教わる
 ダイジャサマ造りは紙に記す造作手順、すなわち記述マニュアルはない
 口述や実技実演で教え、教わる
 しかし、年に1回、忘れた頃やってくるので憶えづらい、との声も耳に入る
 今のところ、大正末・昭和1桁前半世代⇒団塊世代あたりへの教え、教わりが実演口述でなされる

5.教え、教わりの好機は世帯主交代期
 観察して筆者が思うのは、若い人の参加が少ない
 団塊世代あたりまでは教わり憶えているが、次の世代への教えが課題
 ダイジャサマ造りに参加しているのは世帯主のようである
 それゆえ、世帯主交代期が教え、教わりの好機と考えられる
 
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年10月08日 撮影地:埼玉県久喜市(旧鷲宮町)東大輪
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