ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

点検の記

2011-09-06 | 3~4歳
 台風12号は温帯低気圧になってなお、猛威を振るいそうな勢いだ。被害に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げます。これからの進路にあたる地域では命が奪われないように祈るばかりです。


 私達の居住地域は多少の風雨と遠雷があっただけだから、テレビで見るその破壊力に驚く。雨といえばまったくゲリラ的で、10分ほどすると晴れ間が出ている。ただアリエスと河原に出る時のみ、神経を張りつめている日々だった。

 朝見た折の妙にゆったりとした流れが気にかかり、夕方川を見に行った。アリエスの運動は私にとってこのうえなく大切な日常だからだ。このあたりは普段からしょっちゅう市の管理係がパトロールに来ていて、災害のハイリスク時にも水位を調べたり事前に物品を移動しておいたり、手際よく土手下への進入が禁止されたりと、細かな対応がなされている地域だ。行ってみた時は土手上の歩行に関しては制限がなく、大型機械で土手の草刈り作業が黙々と続けられていた。

 だが・・・。いつもの河原はもう浸水して川の一部になっていた。憩いの公園も何枚もある野球場もサッカー場もキャンプサイトも草原も、まさに土手の内側は洪水だった。
 津波、堤防の決壊、ほんの浅瀬の渦。水というものは優しげに見えて、圧倒的な速さと重さで突然牙をむく。以前アリエスとラフティングをした折、ちょろそうな流れに体を持っていかれて焦ったことがあった。昔は水泳選手の自分がライフジャケットを着こみ、経験豊かなガイドさんがつきっきりで、流されても必ず引っかかる地形であったにも関わらず。

 上流の地域での降雨についてデータとしては認識していても、遠く離れタイムラグもある現在地での危機感を想起するのは、わりと難しい。これからはもっともっと気をつけよう・・・

 そう思っていた時、ふと思い出した。新潟に住んでいて中越沖地震を経験した当時のこと。揺れの直後、自分は「けっこう大きかったけど、まあ大丈夫だな」と思った。ところが一緒にいた同僚が「どこが揺れたのかな」と言ったのである。この場は問題なくても、別の場所に甚大な被害を受けた可能性のある人々がいる。私はそのことに思い至らなかったのだ。要するに想像力の欠如で、それは共感の希薄さにつながってしまう。その後少しずつ時間が経っていっても、受けた傷の大小による言動の差異は、日常の中でけっこう頻繁にみられた。魚沼地域で直撃を受けた先輩は地震の話題の中で、わずかな言葉の使い方に激怒して上司と衝突したし、他にも似たような場面がいくつかあった。

 この春の震災でもあちこちで起こる豪雨でも、自然に対してあまりにも微弱な人間の力が毎回露呈する。ヒトの分際では計り知れない領域に対する畏れや、過去から受け継いだはずの知恵や、それから、被災した人々に思い至ることができる心、そういったものが、個人レベルでは何らかの連帯を生むことができるのだろうと思う。


 
川が同じ高さになってる


半分の全景を見る・・・すべて水没


もう半分、いつも歩く道・・・手前も奥も小さな川に