昨年まで、ガーデンシクラメンを育てていた。原種に近く、外で夏越しし寒さにも耐える。鉢植えなのにほぼ放置で、けれどちゃんと自分で休眠したり芽を出したりしていた。そのすごさに気づかぬまま、私は「お〜いつのまにか葉っぱが茂っとる」などと驚いたり、花が咲いたと無邪気に喜んだりしていた。
ところが。今年は待てど暮らせど葉が出てこない。天候がおかしかったから遅いのだと思いたいが、もうどこでも開花した株が売られている。うちの子は、どうしたんだろう。
わずかに紫がかる深い赤で、白で縁取りされた花弁。普通のシクラメンを思い浮かればあまりにも小さなミニチュアのようなのに、いっちょまえに同じ形なのが(こっちが原種寄りだけど)本当にかわいいものだ。花びらの白い縁や形がアリエスの耳のよう。それが見られないとなると途端に惜しまれてならず、アリエスの姿と共に眼前から消えたようにも感じてしまい、変に焦る気持ちになった。立ち寄ったホームセンターで何となく見て回るも、うちのがいいしピンともこない。帰ろうかなとしていた時、真っ白なガーデンシクラメンに目を止めた。
市場には数多くの園芸種が出回り、育種家がいて登録商標がある。気を引くような名前が付けられ、大手や有名園芸店から出荷したものは誇らしげにタグがついていたりもする。その時もそういったのが大量に並べられていたのだが、か細かったり(売り場での世話の問題もあるかもしれないが)元気がなかったり。最小の投資で最大の利益を生むためには、土は購入されるまでもてばいい、鉢もできるだけ小さくする。まあそんなもんだろう。
ところがその一画の数鉢だけ、株の様子が違うものがあった。ラベルなし、名前もないし出荷元も分からない量産品だが、葉も茎も、何だかみずみずしい。真っ白な花はアリエスを思わずにはいられなかった。それに、違う色にして家のが咲くのも待てばいいかな。
翌日、鉢に植えようと株をポットから出してみれば、生き生きしているのも頷けた。これまでのポット苗では見たこともないような、ふかふかの土に植えられていたのだ。おかげで丈夫な根が回っている。皆が望む大きさに調整するための肥料も乗っかっていない。どこかの真摯な人が、ノーラベルの小さな植物を正直に生かしたのだなと思うと、感動してしまった。その思いを引き継いで、大切に育てよう。
ところが。今年は待てど暮らせど葉が出てこない。天候がおかしかったから遅いのだと思いたいが、もうどこでも開花した株が売られている。うちの子は、どうしたんだろう。
わずかに紫がかる深い赤で、白で縁取りされた花弁。普通のシクラメンを思い浮かればあまりにも小さなミニチュアのようなのに、いっちょまえに同じ形なのが(こっちが原種寄りだけど)本当にかわいいものだ。花びらの白い縁や形がアリエスの耳のよう。それが見られないとなると途端に惜しまれてならず、アリエスの姿と共に眼前から消えたようにも感じてしまい、変に焦る気持ちになった。立ち寄ったホームセンターで何となく見て回るも、うちのがいいしピンともこない。帰ろうかなとしていた時、真っ白なガーデンシクラメンに目を止めた。
市場には数多くの園芸種が出回り、育種家がいて登録商標がある。気を引くような名前が付けられ、大手や有名園芸店から出荷したものは誇らしげにタグがついていたりもする。その時もそういったのが大量に並べられていたのだが、か細かったり(売り場での世話の問題もあるかもしれないが)元気がなかったり。最小の投資で最大の利益を生むためには、土は購入されるまでもてばいい、鉢もできるだけ小さくする。まあそんなもんだろう。
ところがその一画の数鉢だけ、株の様子が違うものがあった。ラベルなし、名前もないし出荷元も分からない量産品だが、葉も茎も、何だかみずみずしい。真っ白な花はアリエスを思わずにはいられなかった。それに、違う色にして家のが咲くのも待てばいいかな。
翌日、鉢に植えようと株をポットから出してみれば、生き生きしているのも頷けた。これまでのポット苗では見たこともないような、ふかふかの土に植えられていたのだ。おかげで丈夫な根が回っている。皆が望む大きさに調整するための肥料も乗っかっていない。どこかの真摯な人が、ノーラベルの小さな植物を正直に生かしたのだなと思うと、感動してしまった。その思いを引き継いで、大切に育てよう。