2010年5月31日(月曜日)
敦賀市吉河にある向出山(むかいでやま)1号墳から
56年前に出土した、よろいとかぶと・・・
全国でも数少ない金メッキが施されたものだそうだ。
およそ1500年も前に金メッキをほどこした甲冑を
身にまとうことができるほどの権力者が
敦賀にいたという証明でもある。
甲冑の形状からは、身につけた人の体格や地位などを
推察し、どのような暮らしをしていたのだろうと
思いをはせることが、考古学の魅力のひとつだろう。
そして56年前に誰が見つけたのか、どういう経緯で
個人所有の博物館に所蔵されていたのか、
同じ石室にはほかにどのようなものが
収められていたのか、盗掘された形跡はなかったのか
などなど、こちらも解いてみたい謎だ・・・
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=21722&storytopic=5
敦賀出土よろいに全面金メッキ 古墳中期 全国2例目
福井県の敦賀市教委は31日、同市吉河(よしこ)の
向出山(むかいでやま)1号墳から56年前に出土した
古墳時代中期(5世紀後半)の鉄製よろい
「鉄地金銅装頚甲(てつじこんどうそうあかべよろい)」を
洗浄したところ、全面に金メッキを施した
豪華なものであることが分かった、と発表した。
総金張りのよろいは奈良県・五条猫塚古墳での出土に続いて
全国2例目で、奈良のものにはない細かい文様も施されていた。
市教委は「当時、敦賀を治めていた豪族の地位が
極めて高かったことを示す史料」と話している。
同時に出土したかぶと
「鉄地金銅装眉庇付冑(てつじこんどうそうまびさしつきかぶと)」は、
かぶとの周囲にまいた金帯を挟んで上下6方向に金メッキを施した
「六方白(ろっぽうしろ)」と呼ばれる様式であることが分かった。
金銅装かぶとは全国で約15例の出土がある。
このうち5例が金メッキを4方向に配した「四方白」だが、
六方白は見つかっていないという。
よろいは幅18センチ、高さ14センチ、奥行き24センチで
首周りや胸、背中を守るために着用したとみられる。
全面に金をメッキし、細いたがねで彫った「毛彫り」と
呼ばれる文様を描いているのが特徴だ。
かぶとは前後22センチ、幅20センチ、高さ12センチ。
前部にひさし(横25センチ、幅9センチ)があるのは
同時代に大陸で作られたかぶとには見られない形状で、
国内製とみられる。
市文化振興課の中野拓郎係長は
「金銅装の甲冑(かっちゅう)を身に着けられる豪族は
極めて少なかった。
港があり、大陸の入り口となっていた敦賀を当時の政権が
重要視して贈ったのではないか」とみている。
よろいとかぶとは1954年に1号墳の石室から見つかった。
敦賀市三島町1丁目の八幡神社が所有しており、
59年に市文化財に指定された。
2008年度からクリーニングと保存作業が行われていた。
いずれも金が用いられていることは分かっていたが、
今回のクリーニングで豪華な金張りの全体像が判明した。
9~27日の間、市立博物館で展示する。