はるみのちょっとTea-time

日々の暮らしのなかで感じたこと、市民運動のことなどわたしのことばで、つづります。

あしたは議会最終日

2010-03-17 | ニュースから

2010年3月17日(水曜日)
いよいよ、明日が議会最終日。
討論の原稿を書きながら、アレも入れたいコレも言いたい・・・
と、思いつつ、無駄を省き、簡潔にあっさりまとめなおしました。

議場のすべての人を、賛同させようという
いきごみで、討論に臨んではいますが、
これがまた、なかなかに難しい・・・

さて明日、市長は最後のあいさつでもんじゅにふれるのか・・・
もんじゅの再開が秒読み段階に入り、マスコミも
いろいろと特集を組んでいます。

毎日新聞は、これまで敦賀に駐在していた記者が
順番に記事を書いていくという特集になっています。
なんと! なつかしい名前が・・・

事故当時に駐在していた記者のみなさんが
ぞくぞくと敦賀に集結する日も近いのではないでしょうか。
それとも、かなりずれこむのかな?

http://mainichi.jp/area/fukui/news/20100317ddlk18040616000c.html

もんじゅ:40年の軌跡 回顧/1 
鴨志田公男・前橋支局長 /福井
 ◆88年4月~90年3月、敦賀駐在

◇機器続々搬入 原発には地域間「差別」
私の在任中は、もんじゅの本体工事が
順調に進んでいた時期だった。
今も印象に残っているのは原子炉容器の“おしめ”の搬入だ。

正式名称は「ガードベッセル」。
液体ナトリウムが配管から漏れ出す大事故が起きたとしても、
炉心を冷やすのに必要最低限のナトリウムを
確保するための構造物だ。
お漏らしに備え、原子炉容器をすっぽり覆っていたので、
私たちは「おしめ」と呼んでいた。
原子炉容器より一回り大きく、高速増殖炉には
こんなものが必要なのかと驚いたものだ。

原発の立地過程が知りたくて、
もんじゅが立地する敦賀半島や若狭湾一帯を歩いた。
「道路がほしい」「地域振興につなげたい」というのが、
原発を受け入れた地元住民に共通する思いと知った。

原発が立地する若狭は関西電力の供給エリアだが、
関西に原発はない。
東京電力も供給エリア内に原発は持っていない。
地方がなぜ原発を受け入れたかを考えたことのある
都市住民はどれだけいるか。
恥ずかしながら、私はなかった。
ある意味、原発は差別の下で動いている。
以後、そう考えるようになった。

もんじゅのナトリウム漏れ火災では、直後から約3カ月間、
科学部員として現地で取材した。
「おしめ」が役に立つような事故が起きないことを願う。

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