あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

人生の目標

2005-11-23 22:01:31 | 目標、やること
先日、東京へ行った帰りに駅の本屋で「できる人の時間の使い方」なんていう大変べたな本を買ってしまった。
最近、やや行き詰まりを感じていたせいもあるかもしれない。

どうせ、ありきたりの内容だろうと、あまり期待していなかったが、いがいに良かった。

大まかな内容としては、成功する人に目標の無い人はいない、要するに成功するためには確固たるビジョンがなくてはならないと。
とにかく、目標をかかげてそれに対する戦術・戦略を年ごと、月ごと、週ごと、日ごと、時間ごと、まで細かく練って、しかもそれを文字として残すことが大切だと。
そしてそれを常に目に入るようにして、自分のモチベーションを維持していくのだと。
また、その目標には必ず時間的な期限をつけること。
つまり、単なる願望ではなく目標とは
1、期限が設定されてること。
2、具体的であること。
3、紙に書き出していること。
なんだそうです。
これで、目標ができたら手段を考える、そして手段ができたら、ただひたすら、死に物狂いで実行すると。
あとはいろいろ細かいことが書いてあるが、まあ、だいたいがこんな話。

思えば今やってるダイエットは結構これに沿っているかもしれない。
期限あり、目標あり、記載あり、あとは手段はやはり確立されて無いので、死に物狂いで遂行されていないが、、。

そこで、今日は私の人生の目標を再確認しようと思う。

現在の施設へ来て心臓外科としてのトレーニングを開始してもうすぐ1年半たつが、当時31歳の時にかかげた目標としては

最初の2年で
人工心肺の脱着、グラフト採取、第一助手、手術に対する戦略戦術といった心臓外科としての基礎を確実に身に着けること。
末梢血管の術者として1人立ちすること。

次の2年で開心術術者としてのトレーニングのできる施設へ移り、35歳で独り立ちすること、つまりどこかの部長職に付くこと。
もしくは、海外の施設でトレーニングを受けること。

そして、40歳までに日本で一流といわれる心臓外科医になること、最終的には歴史に名を残す。
と、まーなかなか大きな目標をかかげましたが、とりあえず、これは今現在も変わらない。

さて、この目標はどこまで達成されたかといえば
一年半で、できるようになったのは人工心肺、静脈採取まではほぼOKかと、最近になり胸部大血管以外は前立ちをやらせてもらえるようになり、腹部大動脈瘤も術者がまわってくるようになった、後は残りの半年で経験をつんでくのみ。
手術に対する戦術戦略といったものは、けして教科書にすべて書いてあるわけではなく、日々の臨床の中で先輩たちがやっているものを見ていけば自然と身につくもの、というのは甘い考えか?、やはりテキストと文献を見ないといけない。

とりあえずは、最初の2年の目標は、このまま行けば8割がたは目標達成となりそうではある。
あと残されたのは、動脈グラフトの採取である、RAもそうだがうちではほとんど使わないのでこれはあきらめるとしても、IMAである。
なかなかIMAの出番はなさそう、まず、オペレーターの先生たちがもういい、満足だと思ってくれないと、下々には回ってこないだろう。
何とか、ならないものかと思うが、こういうチャンスというのは自分の努力だけではどうにもなら無い、ただただがっついてもダメであろうし。
しかしあきらめてはダメ、考えようによっては、要するには切実にそれを願い、日々求めておれば、自然と周りにも伝わり、ひいては上のものもそれをプレッシャーとして感じるようになり、そのうちチャンスをくれるものと信じてる。
ただ、そこでチャンスを生かせるように日々、イメージトレーニングをしていないといけないということ。

まあ、話は戻して、次の2年であるが、ようやくこの施設にもこの町にもなれてきたころではあるが、ここに甘えていては絶対いけない。
ここにいれば、楽であろうし、今後あらたなチャンスも来るかもしれないが、ここでの目標はあくまでも基礎トレーニングのみである、これ以上いるとどんどんと甘えが出てくる。
だから、次の施設を探す、といっても半年しかないけど何も決まっていない。
結局ずるずるともう一年ぐらいいてしまいそうだが、いずれにしても今から施設を探すとなるとそうなるのかもしれないが、とにかく半年以内にどこか探すぐらいに気持ちでいないといけない。

できることなら当然、海外へ出たい、今年の夏に行ったドイツはちょっと期待はずれだった、インドは上司が見学に行ったがどうだか、良く分からない、行かないところを見るといまいちなのか。
とにかく見学に行ってみるべし、考えていてもしょうがないのでここで、目標を設定することとす。

来年の始め1月か2月には必ず、トルコへ行く。
来年の夏は、アジア血管学会でインドネシアに行く、また、さらに、夜久先生のオーストラリア視察についていく。
そしてその手段、トルコは渡辺剛先生に連絡して何とか紹介してもらう。メールを出す。もしくは12月の冠動脈血管学会に来るらしいのでそこで何とかアポイントメントを取る。
インドネシアはとにかく演題を出す。
オーストラリアは、夜久先生に頼み込む。

これでどうだ、後は、英会話を何とかサボらずに行かなくちゃ行けません。


やや煩雑であるが、とにかく仕事の上での目標は再確認できた。後は細かな計画と実行のみ。
とにかく、まず渡辺剛先生、夜久先生と連絡を取ること、演題を書くことである。

私生活についての具体的な目標はあまり考えたことが無い、というかあまり願望がない、しかし、それも平行していくべきだと、本の中では書かれているので、また次回考えることとしよう。

ATCVS その2

2005-11-23 20:11:38 | ちょっといい話、へー
さっきはAFの話で終わりましたので、今度はCABGについて、レクチャー自体はCXの展開の仕方というものでお決まりの話であったが、ウェットラボはなかなか楽しめた。

僕は一番前でパートナー誰もおらず、それがラッキーなことに渡辺先生、荒井先生、夜久先生と3人に1本ずつ前立ちしてもらった。

渡辺先生はうちのボスの、開胸もせず特別な道具も使わないシンプルなOFFCABGをほめてた、たしかにうちのボスは複雑なことは大嫌いですべてがシンプル、必要ないことはいっさいしない方針、ただの、めんどくさがりというのもあるが、、、。
荒井先生とはやはりテンタクルの話で盛り上がった。
夜久先生とはドイツ以来の再会である、なんか、あきてきたからシークエンシャルやれとのことでやらしてもらったが、言われたとおりやったらできた、やはり前立ちひとつで変わるもんだ。
来週はうちで夜久先生のライブがあるので、楽しみである。

あとは豚のリブでIMAを取るというのを高梨先生がやってて、高梨先生は自分でも言っていたが、樋上先生とは真っ向から逆のやり方であります。
まずは、基本的にはすべてMAXモードでカットすると、そのほうが断然早いとのこと、たしかうちのボスもMAXだった。
あとは、進行方向にフックの面をあてて進んでいき、縦方向のブラッシングというより横に薙いでいくとの事。
それは枝を切ってしまわないかと質問してみると、フックの面で行けば視野が非常に良くて枝が分かるとのお答え。
また、枝の処理はお決まりのメルティングカットではなくフックで引っ掛け引っ張らずに待つと、自然に切れて出血も無いとの事。
まさに樋上先生と全く逆のやり方である、しかし、しっかりとした理論があり聞いてると納得してしまう、この先生はほんといつ見てもスマートな雰囲気でかっこがいい。
ただ、見た目は さだまさしそっくりだが。

あと、渡辺先生の吻合はすごい、針も持ち替えはいっさいしないので、大変リズミカルでテンポ良くあれとあれよという間に終わってた。
特に対側のサイドの吻合には目から鱗、なんと、針の持ち方がグラフトに入るときはカマ持ちで、そうするとそのまま逆針でつかめて、持ち替えずにネーティブに入れると、、、。そんなのみたことない。
渡辺先生は今でも毎日、吻合の練習をしているとの事、そういった中でいかに針の持ち変えを少なく、早く縫うかを編み出してきたのだと思われる。
吻合の練習なんか自分で家でいくらでも出来る、後は頭をどう使うかだとおっしゃってました。
まさにその通り。

あと、もう一言、最後に
「人には頼るな、自分で考えて行動しろ、そして良い上司を探して従事することが大切」といっていた。

ATCVS

2005-11-23 07:35:06 | ちょっといい話、へー
先週末はATCVSに参加するため東京のジョンジョンの本社に行ってきた。
ジョンジョンの本社は真っ黒なビルで他のビルとはやはり風格が違いかっこよかった。さすが世界医療シェアNo1である。

ATCVSとはadvanced technology in cardiovascular surgeryの略で金沢の渡辺剛先生と日医の新田隆先生が発起人となって主催しているもの、今回で二回目だある、要するに日本における最先端の技術の勉強会である。
最初にレクチャーがありその後、今はやりのウェットラボでそれを実践し技術を取得するというもの、もちろん、最先端といっても、内視鏡下のバイパスとか普通の施設では出来ないものではなく、どの施設でも可能な範囲のものである。
今回のテーマはAFの新しいデバイスの使い方と、展開困難なoffCABG、それからAVRで生体弁の適切な植え込み方と三項目あってそれぞれ大御所の先生たちが講師で着ていた。
面子は石井庸介、石川進、磯部文隆、今井克彦、新田隆、竹村博文、成瀬好洋、大川育秀、夜久均、高梨秀一郎、荒井裕国、渡辺剛、大北裕、小林順二郎、加瀬川均と、言わずと知れた早々たるメンバーである。

覚えていることを、述べていきたい。

最初はAFのお話、AFに関しては僕も実はあまり勉強しておらず、その理論とかはあんまりわかって無いのだが、今回ですこし勉強になった。
まずは、術後のAFについて、特徴としては高頻度、術直後から発症、頻回に繰り返す、自然に消失である。
発症は10日以内が多く、9割がたは14日以内におさまる。また、手術が煩雑になるほど頻度は高い。
原因としてはいろいろ言われているが、炎症、心房負荷、自律神経が関与しているといわれており、日医の石井先生の発表によれば非炎症群と炎症群ではAFの頻度は炎症群で高く、また、炎症群でステロイドを用いて抗炎症療法をするとAFの頻度が低下したと述べており、炎症とAFとの関係を証明していた。
なかなか興味深い話である。
術後AFの治療法としてはやはり抗不整脈か、レートコントロール目的でβブロッカーかCaブロッカーもしくはオーバードライブペーシングなどらしい。
最近、術前からアンカロンを導入するという話もあるが、合併症を考えるとなかなかルーチンでは使いにくい、しかし、今ヨーロッパでは不整脈には何でもかんでもアンカロンが第一選択らしいが、、、。
僕もβブロッカーが一番かと思うが、使い方を間違えるとこれも恐ろしい薬なので、現在うちでは、ジルチアゼムの点滴が第一選択となっている、繰り返す場合はそのまま内服させてしまう。

MAZEについては、現在の主流はMAZEⅢであろうが、やや成績は落ちるものも、簡便なPVOI(+α)がほとんどなのではないかと思われる。
やはり、手術が煩雑になっている現在、MAZEに時間をさいて心肺時間を延長させるのは本末転倒、やはりまだおまけ的な手術というイメージが強い、いろいろと新しいデバイスも出てきているので、はやくOFFPUMPで簡便かつ短時間で出来るようになれば良いのだが、今回、帝京の石川先生がOFFPUMPでのPVOI+RA-MAZEをやっていたので、楽しみである。
ただ、その前に内科に食われてしまう気がするが、、、。
今のところは、うちでは安くて簡便なクライオが一番と考えているが、しかし成績は6~7割といまいちである、やはり手技手的に不完全な面も多いと思うので、できれば原因を解明して成績を上げるべきだが。

とりあえず、ATCVS、この辺でいったん終了。
朝の回診へ行ってきます。

気切トラブル

2005-11-23 06:30:06 | Weblog
今日は、予定手術の二件が終わって帰ったのが2時過ぎ、ゆっくり寝かせてもらおうと思ってたら、4時に呼ばれてしまった。
内科のAMIの方で、抜管試みるも2度再挿管になってる方で、気切を依頼されて、昼間に1人でシコシコとやった方だが、換気できないということらしい。
もともと二度目の再挿管のときに気管内に肉芽が出来ていて苦労したとのことだったのでもしやと思ったら、案の定でした。
とりあえずブロンコファイバーで覗いてみると、体動で先端の位置が変わったらしく、先端が肉芽にぶち当たっており、気切チューブをおもっくそ押し込むと何とか、肉芽を超えて換気できるようにはなるが、AWAKEの方なので、今後も体動で抜けて肉芽にぶち当たる可能性あり、また呼ばれたらたまったものではないので、チューブを長いのに入れ替えることとした。
以前に、おもっくそ太った人で普通の気切チューブでは体動で抜けてしまう人がおり、仕方ないので最初挿管チューブをぶっこんで、その後、長さを調節できる気切チューブというのがあり、それを使ったことがあり、その時のストックがまだ残ってたのでそれを使うこととした。
気切してまだ半日しかたってないので、入れ替えは困難が予想されたが、以前の太っちょの人のときも気切して間もないうちに何度も入れ替えた経験があり、ポイントは把握してるつもり。
ようは気管の穴っぽこを見失わないように、古いチューブを抜く前にウェイトライナーかけてある程度視野を展開できるようにしておいて、抜いたらすかさず、気管の切開ラインをペアンか何かでつかんでしまうことだ。
もし気管壁が中に落ち込んでしまうと最悪な事態になってしまうだろう。
そういえば大学で気切を教えてもらったときは気管壁と皮下とを縫ってしまっていたが、今思うとそれもこういったトラブルに対応できるようにやっていたのかもしれない。しかし、気切を閉じるときのことを考えると縫わないほうがよいような気もするが、関係ないかな。
とりあえず、無事終わり最後にファイバーで長さを微調節して分岐に当たらない程度にしてきたが、ほんとは、夜間人がいないときに1人でこういった非日常的な処置はしないのが大原則であるが、いけると踏んでやってしまった。
うまくいったからいいものの、失敗こいてたら大変である、こういうときは、常に二の手、三の手を考えながらやらなくてはいけない。
今日の場合は気切チューブが入らなくなったらどうすべきであったか、自分の頭の中にあった二の手はとりあえず、経口で挿管してしまうという作戦、そして三の手はMEが当直してたので最終手段でPCPSまわすと、しかしそうならなくてよかった

もう、目が覚めてしまったので、このまま回診までブログを書くこととする。

ダイエットクラブ 5週目

2005-11-23 00:21:16 | Weblog
僕はマラソンが終わって、風邪を引いてその辺から、普通に食べるようになりまして、体重は89kgで停滞中です。
まあ、これでも夏よりは9kg近くやせたことになるので、結構満足といえば満足だが。
残すところあと4週間となりました。

誰が優勝するか、読者の皆さんもしよければ予想してください。
当たった方には打ち上げのお食事会(2,3万相当)にご招待しますか。

オッズとしては、
Dr.N    2.0
あぽいち   4.0
Dr.BB  11.0
NS.T嬢  20.0

てなところでしょうか、Dr.BBは最後にラシックスと下剤飲むといっていたので、意外とダークホースかもしれない。