先日、東京へ行った帰りに駅の本屋で「できる人の時間の使い方」なんていう大変べたな本を買ってしまった。
最近、やや行き詰まりを感じていたせいもあるかもしれない。
どうせ、ありきたりの内容だろうと、あまり期待していなかったが、いがいに良かった。
大まかな内容としては、成功する人に目標の無い人はいない、要するに成功するためには確固たるビジョンがなくてはならないと。
とにかく、目標をかかげてそれに対する戦術・戦略を年ごと、月ごと、週ごと、日ごと、時間ごと、まで細かく練って、しかもそれを文字として残すことが大切だと。
そしてそれを常に目に入るようにして、自分のモチベーションを維持していくのだと。
また、その目標には必ず時間的な期限をつけること。
つまり、単なる願望ではなく目標とは
1、期限が設定されてること。
2、具体的であること。
3、紙に書き出していること。
なんだそうです。
これで、目標ができたら手段を考える、そして手段ができたら、ただひたすら、死に物狂いで実行すると。
あとはいろいろ細かいことが書いてあるが、まあ、だいたいがこんな話。
思えば今やってるダイエットは結構これに沿っているかもしれない。
期限あり、目標あり、記載あり、あとは手段はやはり確立されて無いので、死に物狂いで遂行されていないが、、。
そこで、今日は私の人生の目標を再確認しようと思う。
現在の施設へ来て心臓外科としてのトレーニングを開始してもうすぐ1年半たつが、当時31歳の時にかかげた目標としては
最初の2年で
人工心肺の脱着、グラフト採取、第一助手、手術に対する戦略戦術といった心臓外科としての基礎を確実に身に着けること。
末梢血管の術者として1人立ちすること。
次の2年で開心術術者としてのトレーニングのできる施設へ移り、35歳で独り立ちすること、つまりどこかの部長職に付くこと。
もしくは、海外の施設でトレーニングを受けること。
そして、40歳までに日本で一流といわれる心臓外科医になること、最終的には歴史に名を残す。
と、まーなかなか大きな目標をかかげましたが、とりあえず、これは今現在も変わらない。
さて、この目標はどこまで達成されたかといえば
一年半で、できるようになったのは人工心肺、静脈採取まではほぼOKかと、最近になり胸部大血管以外は前立ちをやらせてもらえるようになり、腹部大動脈瘤も術者がまわってくるようになった、後は残りの半年で経験をつんでくのみ。
手術に対する戦術戦略といったものは、けして教科書にすべて書いてあるわけではなく、日々の臨床の中で先輩たちがやっているものを見ていけば自然と身につくもの、というのは甘い考えか?、やはりテキストと文献を見ないといけない。
とりあえずは、最初の2年の目標は、このまま行けば8割がたは目標達成となりそうではある。
あと残されたのは、動脈グラフトの採取である、RAもそうだがうちではほとんど使わないのでこれはあきらめるとしても、IMAである。
なかなかIMAの出番はなさそう、まず、オペレーターの先生たちがもういい、満足だと思ってくれないと、下々には回ってこないだろう。
何とか、ならないものかと思うが、こういうチャンスというのは自分の努力だけではどうにもなら無い、ただただがっついてもダメであろうし。
しかしあきらめてはダメ、考えようによっては、要するには切実にそれを願い、日々求めておれば、自然と周りにも伝わり、ひいては上のものもそれをプレッシャーとして感じるようになり、そのうちチャンスをくれるものと信じてる。
ただ、そこでチャンスを生かせるように日々、イメージトレーニングをしていないといけないということ。
まあ、話は戻して、次の2年であるが、ようやくこの施設にもこの町にもなれてきたころではあるが、ここに甘えていては絶対いけない。
ここにいれば、楽であろうし、今後あらたなチャンスも来るかもしれないが、ここでの目標はあくまでも基礎トレーニングのみである、これ以上いるとどんどんと甘えが出てくる。
だから、次の施設を探す、といっても半年しかないけど何も決まっていない。
結局ずるずるともう一年ぐらいいてしまいそうだが、いずれにしても今から施設を探すとなるとそうなるのかもしれないが、とにかく半年以内にどこか探すぐらいに気持ちでいないといけない。
できることなら当然、海外へ出たい、今年の夏に行ったドイツはちょっと期待はずれだった、インドは上司が見学に行ったがどうだか、良く分からない、行かないところを見るといまいちなのか。
とにかく見学に行ってみるべし、考えていてもしょうがないのでここで、目標を設定することとす。
来年の始め1月か2月には必ず、トルコへ行く。
来年の夏は、アジア血管学会でインドネシアに行く、また、さらに、夜久先生のオーストラリア視察についていく。
そしてその手段、トルコは渡辺剛先生に連絡して何とか紹介してもらう。メールを出す。もしくは12月の冠動脈血管学会に来るらしいのでそこで何とかアポイントメントを取る。
インドネシアはとにかく演題を出す。
オーストラリアは、夜久先生に頼み込む。
これでどうだ、後は、英会話を何とかサボらずに行かなくちゃ行けません。
やや煩雑であるが、とにかく仕事の上での目標は再確認できた。後は細かな計画と実行のみ。
とにかく、まず渡辺剛先生、夜久先生と連絡を取ること、演題を書くことである。
私生活についての具体的な目標はあまり考えたことが無い、というかあまり願望がない、しかし、それも平行していくべきだと、本の中では書かれているので、また次回考えることとしよう。
最近、やや行き詰まりを感じていたせいもあるかもしれない。
どうせ、ありきたりの内容だろうと、あまり期待していなかったが、いがいに良かった。
大まかな内容としては、成功する人に目標の無い人はいない、要するに成功するためには確固たるビジョンがなくてはならないと。
とにかく、目標をかかげてそれに対する戦術・戦略を年ごと、月ごと、週ごと、日ごと、時間ごと、まで細かく練って、しかもそれを文字として残すことが大切だと。
そしてそれを常に目に入るようにして、自分のモチベーションを維持していくのだと。
また、その目標には必ず時間的な期限をつけること。
つまり、単なる願望ではなく目標とは
1、期限が設定されてること。
2、具体的であること。
3、紙に書き出していること。
なんだそうです。
これで、目標ができたら手段を考える、そして手段ができたら、ただひたすら、死に物狂いで実行すると。
あとはいろいろ細かいことが書いてあるが、まあ、だいたいがこんな話。
思えば今やってるダイエットは結構これに沿っているかもしれない。
期限あり、目標あり、記載あり、あとは手段はやはり確立されて無いので、死に物狂いで遂行されていないが、、。
そこで、今日は私の人生の目標を再確認しようと思う。
現在の施設へ来て心臓外科としてのトレーニングを開始してもうすぐ1年半たつが、当時31歳の時にかかげた目標としては
最初の2年で
人工心肺の脱着、グラフト採取、第一助手、手術に対する戦略戦術といった心臓外科としての基礎を確実に身に着けること。
末梢血管の術者として1人立ちすること。
次の2年で開心術術者としてのトレーニングのできる施設へ移り、35歳で独り立ちすること、つまりどこかの部長職に付くこと。
もしくは、海外の施設でトレーニングを受けること。
そして、40歳までに日本で一流といわれる心臓外科医になること、最終的には歴史に名を残す。
と、まーなかなか大きな目標をかかげましたが、とりあえず、これは今現在も変わらない。
さて、この目標はどこまで達成されたかといえば
一年半で、できるようになったのは人工心肺、静脈採取まではほぼOKかと、最近になり胸部大血管以外は前立ちをやらせてもらえるようになり、腹部大動脈瘤も術者がまわってくるようになった、後は残りの半年で経験をつんでくのみ。
手術に対する戦術戦略といったものは、けして教科書にすべて書いてあるわけではなく、日々の臨床の中で先輩たちがやっているものを見ていけば自然と身につくもの、というのは甘い考えか?、やはりテキストと文献を見ないといけない。
とりあえずは、最初の2年の目標は、このまま行けば8割がたは目標達成となりそうではある。
あと残されたのは、動脈グラフトの採取である、RAもそうだがうちではほとんど使わないのでこれはあきらめるとしても、IMAである。
なかなかIMAの出番はなさそう、まず、オペレーターの先生たちがもういい、満足だと思ってくれないと、下々には回ってこないだろう。
何とか、ならないものかと思うが、こういうチャンスというのは自分の努力だけではどうにもなら無い、ただただがっついてもダメであろうし。
しかしあきらめてはダメ、考えようによっては、要するには切実にそれを願い、日々求めておれば、自然と周りにも伝わり、ひいては上のものもそれをプレッシャーとして感じるようになり、そのうちチャンスをくれるものと信じてる。
ただ、そこでチャンスを生かせるように日々、イメージトレーニングをしていないといけないということ。
まあ、話は戻して、次の2年であるが、ようやくこの施設にもこの町にもなれてきたころではあるが、ここに甘えていては絶対いけない。
ここにいれば、楽であろうし、今後あらたなチャンスも来るかもしれないが、ここでの目標はあくまでも基礎トレーニングのみである、これ以上いるとどんどんと甘えが出てくる。
だから、次の施設を探す、といっても半年しかないけど何も決まっていない。
結局ずるずるともう一年ぐらいいてしまいそうだが、いずれにしても今から施設を探すとなるとそうなるのかもしれないが、とにかく半年以内にどこか探すぐらいに気持ちでいないといけない。
できることなら当然、海外へ出たい、今年の夏に行ったドイツはちょっと期待はずれだった、インドは上司が見学に行ったがどうだか、良く分からない、行かないところを見るといまいちなのか。
とにかく見学に行ってみるべし、考えていてもしょうがないのでここで、目標を設定することとす。
来年の始め1月か2月には必ず、トルコへ行く。
来年の夏は、アジア血管学会でインドネシアに行く、また、さらに、夜久先生のオーストラリア視察についていく。
そしてその手段、トルコは渡辺剛先生に連絡して何とか紹介してもらう。メールを出す。もしくは12月の冠動脈血管学会に来るらしいのでそこで何とかアポイントメントを取る。
インドネシアはとにかく演題を出す。
オーストラリアは、夜久先生に頼み込む。
これでどうだ、後は、英会話を何とかサボらずに行かなくちゃ行けません。
やや煩雑であるが、とにかく仕事の上での目標は再確認できた。後は細かな計画と実行のみ。
とにかく、まず渡辺剛先生、夜久先生と連絡を取ること、演題を書くことである。
私生活についての具体的な目標はあまり考えたことが無い、というかあまり願望がない、しかし、それも平行していくべきだと、本の中では書かれているので、また次回考えることとしよう。