陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

夜をゆく飛行機

2007-10-12 05:57:55 | 
夜をゆく飛行機
角田 光代
中央公論新社

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折しも↓辛いことになっているが、

イラン邦人誘拐、麻薬密売組織の犯行か(読売新聞) - goo ニュース

小泉政権下『テロに屈しない』のひとことで殺されてしまった証生さんの事が思い出される…)

角谷光代さんの小説は実体験にもとずく
バックパッカーの貧乏小説が多かった。
あれよあれよという間に押しも押されぬ直木賞作家。

これは酒屋家族の話。日本版庶民派若草物語という感じかな?
どの姉妹も父母もそこらにありがちな感じ。
三女寿子の小説家ってのはありがちではないけれど
どこか暗い育ち姉が突然、家族のだれも読まない分野の小説など書いており
いきなり作家先生になったくだりは新進小説家の生体験みたいでもあった。

祖母が認知症になって亡くなったり、ずっと独身のおばが突然死んだり
大きなショッピングモールが出来て古い商店は立ち行かなくなったり
姉妹の離婚があったりと劇的でないけれど、
どこにもありがちな話が展開してゆく。

おばハルミの大晦日の死を置いといて正月をちゃんとやって葬儀は正月明けとか、
祖母の死と店新装開店が重なったら、予定どおり開店セレモニーをやってしまうとか、
一見、非常識な行動の中にちゃんと
自分のしっかりした死のとらえ方や悲しみの受容の仕方が込められている。
世間体がそっちのけってことろは
バックパッカー小説にもいっぱいちりばめられていたっけ。

一家が集まって夕食を取ると言うこだわりが家族の絆の要になっている。
一家の主婦である母が
三高(高脂血症・高血圧・高血糖)の父に気を配って手料理を作って
全員そろっての食卓から、
母が姑の看病で家を空けがちで料理の担い手がなくて
勝ってきた総菜が並んだり、店屋物だったり、
大人の子供たちも諸事情で夕食タイムに家におらず揃わなくなったり
家庭の荒廃が食の荒廃でよりリアリティが出ていた。

つい我が家に照らし合わせたりした。
四人家族から今、ふたり。
かつての主婦は働く人になっておつかれモード。
手料理は手抜きオンリー。買ってきた総菜が並ぶ日も。
息子は食事時間が遅いし、
人が傍に居ると食べることに集中ができないと言うアスペ。
団らんという図は娘が帰省して三人になった時だけとなった。
娘は外食やコンビニ食の孤食がほとんどだから
久々の手料理が食べさせたく私もちゃんと母になる。
この時は昔みたいに息子も妹と卓を囲み、傍の人シッシなどと言わない。

もそもそポテトッチプでお腹を満たしている母にショックを受けるシーンが
そう言えば自分もこの前、息子の食べ残しチップで…
我が家はいつの間に家庭と言えなくってしまったのだろう?

角田さんの家族小説もいいわぁ~生き方に力みがない。


介護認定の怪

2007-10-11 06:45:17 | Weblog
介護保険は認定の程度によって使える限度額が変わるし
前回の改定で介護度によっては使えないサービスが出たし
サービスに柔軟性が持たせられない要支援なんてのも出来た。

介護認定は調査員による聞き取り調査のチェック項目をコンピューター処理して
がぁ~と書かれた特記事項と主治医による意見書を元に
各保険者(区市町村)が学識経験者で構成した委員会で決定する。

しかし主治医は自分が専門の病気については分かるが
その人トータルの身体状況がつかめきれていない人もある。
介護支援専門員はケアプラン作成のために情報をもらうことが出来るので
時にぎょぇ~~~と言う意見書を拝見してしまう。

調査員は本人と直接会って、家族等からも話を聞いて調査書を作成する。
一応、分かりにくい判断基準については研修を受けて、
判断に困る時は担当介護保険課に問い合わせて良いことになっている。
なんでそんなに詳しいかと言うと
介護支援専門員になったと同時に調査員の資格もくっついていたし
保険者によっては、担当へケアマネが調査をしても良いのだ。

担当している人だと、
この介護度を維持しないとこのサービスは使えなくなくなる
それはまじぃよねと
ご本人のお困り度がしっかり分かっているから
なんとかそれに近い介護度が取れるように
必死で調査時に聞きだす。
担当だから分かる事がベースにあるから質問事項も出やすい。
いわば誘導尋問と言ってもいい。

ではまったく初めてその人と対峙する保険者直属の調査員がする
調査は正しいのかと言うとこれまた疑問。

なぜか高齢者は知らない人に見栄を張るのだ。
介護にあたる妻等も同様。

調査は実際に動いてもらうから、
身体機能的な事は誰がやってもほぼ正しい。
食事にはどのくらい介護が必要か?お風呂はどうなの?
あたりになると
『全部できます』と言ってしまうケースが多い。

だらだらこぼして食べて介護者が拭いてあげたりしてても、
きれいに洗えていないの知って、危険と紙一重の入浴でも
面倒なので介護していない場合でも
『できます』『まったく人の世話にはなっていません』
と言うのだ。

この見栄ガードはどうして起こるのか?
最初にお困りの点はしっかり言ってもらわないと介護度は出ませんよと
念を押しているにも関わらず、
身体状況から察するしかない人まで出てくる。
聞き出せなかったところは実際にそう書き込むしかない。

さらに
物取られ妄想がありますか?や幻覚が見えますか?暴言暴行がありますか?
聞く方も辛い質問が調査書には並ぶ。
ストレートに聞いて本当の事が出るわけないじゃんと
この調査書を作った人はどういう神経なのかと腹が立つ。

このあたりは世間話風から窺う、
もしくは本人が外れた場所でこっそり家族に聞く、
あるいは利用サービス業者にまで問い合わせると言う手段を取るが、
額面とおり、その場でおしまいの調査員だったら
本当のところが書かれていない調査書が出来上がる。


こう言う不確かな調査が判定基準で介護度は決まる。

もうひとつ疑問なのは身体状況がどんなに悪くても
努力して自分でやってしまう人には介護判定は低く付く点だ。
器具を工夫して出来れば『自立』とみなしなさいと手引きにある。
努力の人は多くの介護サービスが受けられない判定結果が出る。
もし今より悪くなったらと不安を持ちながらがんばっている人の
がんばり度はチェック項目上は評価されない。
コンピューター判定の時点では撥ねられてしまうのだ。
せめて評価して欲しいと、
できているけどかくかくしかじかの努力と工夫がなされている
と、ここも必死で特記事項に書き込む。

がんばって介護保険は使わないでね。財源がないんだから
と言う
人をないがしろにした国の方針はこんなところにも表れている。

介護認定調査料は1件あたり相場は3000円程度。
調査は1時間くらいだけれども、
下書きをし手引きに照らし合わせて言葉を選び、選び
本書きをするのに丸一日掛かり。

今月は4件。調査はしたけれど完全にまだ書き込めていない。
緊急性のある仕事が飛び込んでは中断。集中力も切れる。
思う介護度が出ないと利用者が困ると思いながら嘘は書けないジレンマ。
毎月、自分が調査した結果が出てくるまでドキドキ。
今日も続きを書く予定。
すでに右手右肩に痛み。コリ。コリ。頭痛。

3000円では割が合わないと思う。
安いペイも会社のポッポへ入るので給与に関係ござりませぬが、
全部終わったら自腹4500円也のマッサージにかかる。
今日も話は余談へと流れた…お疲れモードかな





空気読み力テスト満点は没個性・迎合型?

2007-10-10 05:42:03 | Weblog
昨日、YAHOOのトップで
空気読み力テストのサイトをみつけたからすぐに開けてみようとしたら
込み合っていてあかなっかた。
ちょっと前まで脳内テストと言うのが流行っていて
名前を入れると脳が何でできているか時で出てくると言う
嘘かホントかわからないようなテストで試してみる気にもならなかったけど、

空気の読めないのが特徴のアスペルガーの子の親としては
こう言うのが流行るのはつらい。
空気が読めない人をダメじゃんと言う空気のまん延が怖い。
つらいけど気になる。

心理テストみたいで脳内メーカーより信頼がおけそうな。
これもマジイと思うけど
自分はどうなのかやってみました。

  空気支配力 60点
  人間洞察力 80点
  文章洞察力 90点
  会話柔軟力 25点
  TPO力     25点

えらくかたよりのある結果。
会話柔軟力は

 必ずしも自分の本心とは異なっていても、
 相手に合わせたり、
 役割を演出することで柔軟に会話を運用することができる力。

はい!わかちゃいるけどゴマすりができません。
TPO力の欠如はほんとに空気が読めないってことらしい。
息子の因子は私の分も色濃く遺伝したのかしらん?


空気の読み過ぎでその場に迎合することが上手な人間が
そう言えば、大きっらいだ。
人に合わせることばっかりしている人は
自分を見せず、本心がいったいどこにあるのか
実に不気味に見える。

昨日は仕事休んでハローワークに行った。
どうにも会社の体質が合わない。
4日も休むと仕事に行く気がよけい失せている。

 『どこに変ってもおんなじよ』

アドバイスは当たっているとも思う。
私が入社したことで増員できたのをこれ幸いと
たった5人の部署から2人も辞めていった職場。
(私のガマンが足りないとだけは言い難いと自己弁護)
残った2名はこの大っきらいな場の空気読み。
ひとりはちゃらちゃらちゃらちゃら心にもないとミエミエの会話に始終する。
この人が利用者に電話しているのを聞いていると胸糞が悪くなる。
もうひとりはお上様にだけベンチャラ空気読み。
以下には気力も能力も使わないタイプ。利用者にも超高圧的。
この人の電話は吐き気がしてくる。

ここまではまぁ~どこにも居るだろうが
一番腹が立って、しかもどうしようもないのが我がご一族経営者ドノ。
自分たちの儲け以外に何にも考えていない。
仮にも人様のお世話稼業、福祉産業だろうに。
利用者をないがしろにするのは私の道義に反する。

空気が読めなくてなにが悪い。
ワタシはワタシ。
空気が読める人間が必ずしも高等でないってこと。
人はそれぞれだからと
流行りテストは気楽に遊んで受け流すのがコツかな?

ワタシは生き方下手なのかもしれない。
この歳でまた転職はリスクが大きいわ。
雇う側もそう思うわね。きっと。
面接は来週。また有給消化…
…と、話は大幅に反れてしまった


実のならない枇杷の木

2007-10-09 07:29:14 | Weblog
窓からプッと誰かが種を吹いたのか
植えたおぼえのない枇杷が生えてきた。
枇杷は大好きだから
そのまま大きくなるのを放置して4年。
いっこうに実がならない。花も咲かない。
庭木は大きくなると私の手に負えなくなる。
隣へと進出しそうな紅葉は毎年、
高枝切りの剪定ばさみで悪戦苦闘している。
こう言いのが1本増えるというのは
年々体力の落ちる私としては考えもの。

実の成らない枇杷の木を切ってしまう話をしたら
枇杷の葉にはいろいろと効用があり
マンション住まいの人ベランダにわざわざ鉢をおいている話を聞いた。

勝手に生えたのだから切ることも惜しくないと思ったけれど
まて、しばし。

そう言えばリウマチの痛みのある母が
枇杷の葉を痛いところに貼っていたのを思いだした。
実家に枇杷はなかったから、
わざわざ親戚にもらいに行ってホワイトリカーに漬けこんで使っていた。
効果はあったのか聞いてみた。
痛みはひいたけれども皮膚が弱いからかぶれたから止めたと言う。

ネット検索したら直張りもOKらしい。
手をくわえないで貼るだけならと、
階段踏み外しから数か月ずっと痛みがある足首にちょっと試してみた。
お風呂上がりに貼って、朝は痛みが引いている。
これからの季節、膝にも痛みが来る。
枇杷茶と言うのも干すだけらしい。作ってみよう。

無用の長物だ、いらない、と思う前に
目線を変えると
「あれれ」ってことは
実のならない枇杷の木に限らない気がしてきた。

時々、いや毎日かな?
「うんもう!」と捨て去りたいあれこれが迫ってくる。
ひょいひょいと目線を変えたり広げたりで
案外、大切なことを見えたり、良くなったり。
あるある。きっとある


子育て連鎖

2007-10-08 08:32:13 | Weblog
引き続き同窓会の話。
保育園に長く務めている人がこんな事を言っていた。

 今の子供にいろんな問題があるけれど
 その親も問題だらけ
 でも、その親を育てたのは我々世代だ。

確かに今の状況が降って湧いたわけではない。

では、私たちはどう育ってきたか考えてみよう。
戦後民主主義が浸透して、
世の中は物質的に豊かになることを善としていた。
親たちは物質的苦労を子どもにはさせまいと頑張った。
価値基準は目に見える数字だったのだ。
そして、人をけをとしてでも受験に勝て、
勝ち組には豊かな生活と尻を叩いた。
勝つためには負ける人が居ることを教わりはしなかった。

高校の古典のかなり高齢の女性の先生の言葉を思い出す。

  みんなお勉強して
  ちゃんとした大学へ行って
  ちゃんとした会社に入って
  ちゃんとした人と結婚したいと言うのうよね。

  ちゃんとした大学、会社ってのは
  まぁ、一流のってなんとなくわかるでしょ?
  最後のちゃんとした人の「ちゃんと」って何かしら?

  こういうの枕言葉と言ってもいいんじゃないかしら?
  意味不明だから。

私たち親世代が子どもを駆り立てていた価値観がそこに見えている。
それでも、外で近所の子を群れてあそんでいた。
私には近所の子と年齢を超えて遊んだ記憶がある。
まだ隣近所との付き合いはそこにあったと思う。

戦後民主主義は家よりも個を大事に考えよと教えた。
私たち世代は
戦前の家族主義や家長主義を当たり前として生きた親たちに
矛盾を感じ反発を持って大人になった。
世の中の価値観を180度変えようとしてもそうは簡単にいかない。

我らは子供たちには物わかりの良い親になったのかもしれない。
できちゃった結婚も離婚もあっけらかんと承認してしまう。
親の自覚なしに生まれてきた次の生命。
一人の子供にジジババ4人、計6人の大人が奉仕する図。

子供には未来への責任やら面倒なものが付随している。
子供を産むことや
結婚生活と言う他者に合わせないといけない状況回避も生まれている。

何かをかわいがりたい要求はペットで代用か?
今は子供の数よりペットの数の方が多いという統計結果もある。

気がつつけば個の尊重が
家長制度や地域連帯意識の崩壊させ
個を孤立させている。

我が子だけかわいい親もまた孤独。
我が子への凄惨な虐待を産む素地はこんなところにもありそう。

高齢者に接して思うことは
『ひたすら我慢』で来られ『今も我慢』
我慢をしかたない、流れには逆らうまいと
自分の意志表示をされないことだ。

戦争と言う大きな外圧の中で欲しがってもない時代を生き
せめて子供たちには物質的な豊かさをと願った世代。
自分はした介護を社会が担う時代となり、
家を長男がみるという家長制度の崩壊を信じられない世代。
世間さまに迷惑をかけてはいけない、
内々のことは自分たちで処理してゆくのが常識だった世代。

子育ても介護も社会的責任となって個を離れつつある。
個人はますます自分のためだけに生きようとして大いに結構なのだ。
そして平等に公平に。

競争はいけないから
かけっこは手をつないでゴールし
劇の主役は何人もが分けて行い
修学旅行の写真は均等に枚数同じく写っていなくてはいけない???


私たちは時代の歯車が加速度をあげて回り続けている中で
あちらこちらで顕わになる『ひずみ』の異常さに目を丸くしている。

付け焼刃のいきなり民主主義は
自由には責任が伴うことや
自分が尊重されるためには
他者を尊重する必要性が抜けおちたままだったのか?
本物もどきが浸透してしまったのかも?


さらに文明の進歩が
ますます自然なことから人間を遠ざけ
人工的な環境内でしか生きられない
温床温室栽培の人間が生産ラインに乗っている。

今の子は生まれた時から空調の中で育ち、
もう自然界の寒暖をもろにかぶっては生きられないだろう。

楽なことしかしたくない。
いや、楽なことしかできない人間になりつつあるような。

だれもかれも親になった時
子供には
自分より幸せに生きてほしいと願って育てる。
子供たちに
より良い社会を残すことを目指してきた。
だぶん…

みんな花丸同窓会

2007-10-07 00:35:57 | Weblog
人里離れた風景となった駅に降り立ち、
駅近くの駐車場に待つみかん色のちっこい車に乗り換えて自宅へとひた走る。
夜の帳が降りた山道には曼珠沙華の赤がヘッドライトに浮かび上がって続き、
あぁ~田舎へ我が家へ帰って来たと、朝出て来たばかりの道が懐かしい。

久々に新幹線に乗って
地下鉄に乗り替え、人ごみの中をかいくぐって同窓会へ行ってきた。
すでに4年生大学の社会福祉学部の一部として残っているのみで
学校としての形はなくなって久しい。
もともと文系大学キャンパスの端っこに
へばりついている感じの知る人の少ない
100人あまりの小さな短期大学部なのだ。

この小ささが他所にない独特な雰囲気を持っていたように思う。
偏差値とは縁もゆかりもないけれど
ここを卒業したことに
ひそかな誇りを感じているのは私だけでなないと思う。

講義と講義の間には毎日、チャペルタイムがあった。
時々抜け出してケーキモーニングしたけど
いっしょうけんめいキリスト教と向きあった時期ではあった。
結局、信仰を持つことはなかったけれど
多感な青春時代に
生きる意味を模索し宗教に向き合ったことが無駄だったとは思えない。

今回は学内の学食がおしゃれなレストランとなったそこが同窓会の会場だった。
会食の後で改築、新築の建物と
我らが学んだ古びた建物を恩師の案内で見てまわった。
社会人枠の編入の話などちょっと心が動いた。

短大部だった小さな建物は古びて使われ方が変わっていた。
2階の講義室兼チャペルだったところはもうチャペルではなかった。
4階にはスタンドピアノが1台づつ入った小さな部屋が並び
そこから海が臨めたけれど、今はマンションやら立ち並び海は遠かった。

そこで初めて触れたキリスト教。
実習の付属幼稚園には知的障害を伴っている自閉症児も一緒に保育されていた。
当時としては珍しかったと思う。
保母過程、今の保育士の資格を取るためには福祉施設の実習も必須だった。
知的障害児の通園施設、乳児院、養護施設等へ泊まり込みで数日お世話になった。
何もかも初めて知る世界だった。
その経験を通して
『主の前には何人も等しい』と身をもって教えられた様にも思う。

我が子に障害ありと分かった時、幼稚園は迷わずミッションにした。
実習で感じたひとりひとりを大切に思う教育がそこにはありそうな気がした。
果たして、自閉症と診断されていた息子は幼稚園が大好きだった。
夏休みに幼稚園に行くと泣いた。
誰もいなくて先生がうさぎさんに餌をやっているだけなのを見てあきらめた。
その後の公立小学校での扱いとのギャップは…今日は語るまい。

参加者は30うん年ぶりだった前回より少ない22名。
その分個性的な恩師がかくしゃくたるお姿で5人来て下さっていた。
何を習ったか不遜にも覚えがない先生もあり。
現役を退いてなお、
自分が人のために役立つことをされて
ゆったりと過ごされている近況報告は
これから迎える老い指針の講義のようだった。
5人5様。正解はないし、人真似もない。
習っていた当時はクリスチャンではなく
中年期を過ぎて洗礼を受けたと語る先生もあった。


ひと渡り食べてしゃべって
2年半前と同じく、またしても
マイクをもたされて一人づつの近況報告タイムが来た。
2年半前のメンバーだけでなく30余年ぶりの人が居る。
人前で話すのは慣れていないと言いつつ
みんな臆せずよく語り、起承転結、まとまりの良さは年の功か。
50余年生きていれば数分で語り尽くせない事が誰にもある。
いろいろのマイナスなことも
ここでは語っても大丈夫な気がしてしまうのはなぜだろう?
おそらく
このキャンパスでは人を否定する事を学ばなかったのだ。

今日ここへ集えなかった人を案じ
集えたことに感謝し

常日頃、不服ばかりで感謝のない私が素直な気持ちで感謝の念を持ってしまう。
背筋が伸びたような?
自分が浄化されたような?

人の道からずれていることでも容認せよという強要。
心に痛みを感じなければ何てことなくやり過ごせるのに
こつんこつんと胸を苦しめる日常のあんなことこんなこと。
青臭いことと一笑されてしまいそうな私、違ってないわと
多くを語らずとも分かり合える共通の部分を持った仲間たちを感じた。
日々の最悪に埋没して半ば捨て鉢だった自分が再生してくる。

キャンパスで幾人かと別れ、何人かとお茶をして
だんだん小集団となり、最後の新幹線でふたりとなり
やがてその人も違う駅で降り、みんな帰るべき場所へと別れた。

幹事をかって出る奇特な人の気持ちに応えて
次の同窓会にも出来ることなら出席しようと誓う。

だれの人生もみんなみんな花丸なのよね。
迷ったり止まったり引き返したりしたり
何の目にみえる成果も見られないこれまでで、これからだとしても。

未来を担う子供の歓声は騒音

2007-10-06 06:25:27 | Weblog

くりすさんからご紹介のニュース

 公園の噴水遊びを騒音認定、「基準超す」と使用停止に(読売新聞) - goo ニュース

環境確保条例の騒音規制の定める
「静かな事務所内に相当する50デシベル」を超えたから
子供が大好きな噴水の水が止められた。

子供が遊ぶ歓声に我慢のならない人が訴え、
都は都の定める基準を超えたとして騒音の根源を絶った。
噴水は止められ子供も歓声は聞かれない。
これにはふたつの疑問を感じる。

①子供の声は騒音か?

  子供がやかましいのは元気な証拠で小学校や幼稚園近所の人が
  みんなうるさいと苦情は言っていない。 
    たしかに賑やか。うるさい。
  うちは高校の近所だから体育祭の練習、ブラスバンドの練習、野球の練習、
  日曜日の野球部の練習試合はギャラリーも多いから大歓声が聞こえてくる。 

②公害的騒音と子供の歓声は同じレベルのもの?

  杓子定規に規定を超えたからと 
  簡単に子供たちも楽しみを奪った役所の処置はこれでいいの?
  とかくお役所仕事は血が通わないと言われる。 
  年金横領には職員内だけ血を通わせているらしいけれど。


育つ子らの声を『騒音』で片づけていいものだろうか?
こういうのは、たしかにうるさいと感じることもあるけれど
将来ある子の育ちを『騒音だから止めろ』という発想にはならない。
騒音主の高校野球チームに『勝って』 あんなに練習しているんだものと、
すっかり応援団の私で居るけれど。

少子化時代に子供を大事に思う気持ちが、
だんだん薄れてわがままな大人ばっかり増えているような。
モンスターペアレントの抗議内容は『我が子さえよければいい』が顕著。

公園の子供の歓声が騒音であると苦情申し立てをする
『自分だけよければいい』がまん延している。
そして大事なものにまで規制規制で、身動き取れない時代が来てしまった。 

みんな騒いではしゃいで大きくなったんじゃないのかしらん?
子供の歓声が消えてゆく国の未来は心配。 


障害という言葉は不適切か?

2007-10-05 22:51:22 | Weblog
大人数のわが社でのデイサービスでのこと。
数人がボランティアの先生にテーブルを囲んで
ビーズ細工を教えてもらっておられた。
そのテーブルの位置がよりにもよって壁に囲まれて暗そう。
「見えますか?」
と尋ねたらやはり暗いとのこと。
老眼鏡でやっと見える高齢者があの小さいビーズ細工をやって居られるのだ。
手先だって昔の思うように思うようには動かない。

思わず担当に

 「障害のある人たちでしょ。明るいところへ配慮して。」

と頼んだら
くちびるを震わせて怒られた。

 「障害はいかんでしょ!」

我が子は障害者。
私自身、その言葉が不快だと思ったことはない。

手話では棒をぽっきり折る動きで障害を表す。
聴覚障害者が自身の事をそう手話される時に
私は一瞬、ドキっとした。
言葉はそれを伝えるために必要不可欠なものなのだ。
何と言ってそれを伝えれば良いのだろう?

障害と言う言葉だけに過敏反応するよりは
その人たちの本当に必要な配慮がなされることが
介護職としては大事ではないかと思ったが、
その場の雰囲気を思って議論せず、その点を誤って、
何とかしてほしい旨だけもう一度頼んだ。

障害と書くことにもためらいがあって
ネット上でも
『障碌』とか『障がい』とかを使われる人も多い。

障害と言う言葉は不適切なのか?
当事者に不快感を与えるものなのか?

私自身、『高齢になったらみな障害者』
健常者もいづれは障害者になるんだと
公言してはばからないでいたけど
こう言う言い方もマズイのかな?

心の垣根があるから言葉にこだわってるんじゃないのかと
こだわっているところに逆に何か異物感を感じてしまった。

明日は同窓会。
恩師が開設された社会学部の見学もする。
福祉を30年も前に学んだ先生や仲間にちょっと聞いてみようっと。

自然な老死もむつかしい

2007-10-05 06:52:21 | ねこ
やっと昨日の夕方から回復。
以前ほど注射で劇的な食欲の戻りはないけれど、
8割くらい痛みが消えた感じ。

あ~んして
獣医さんに痛いところを見せる訳でもなく、
診察台は
ちくんされる痛い場所とインプットしてしまったから、
いつも緊張の汗で台が濡れている。
押えている手に体の震えが伝わってくる。

治療の注射さえも
ふぃんふぃん的にはものすごい恐怖なのだ。
もしか隠れている病気を知る血液検査に連れてゆくのもためらう。
ちゃんと検査や診察してもらうとなったら、
絶食させて、1日がかりの麻酔になるのだろう。

少し食べられる様になったから、
薬の効力が切れるまで
せめて好きな物食べさせて体力回復させよう。
自分の口の痛さにおびえて
物陰に潜まなくなっただけでも良い。

老・死は人も猫も避けられることではない。
せめて痛くなく迎えられるといいなぁ~
眠るがごとくが理想型だろう。
存えるだけの治療は
逆に苦しみの時間を長くしてしまう気がする。

医療の進歩に
その自然の死にもいろんな選択ありの時代になった。
猫の治療を悩みながら
自分とダブらせて考えてしまう。

食べると痛い

2007-10-03 21:56:36 | ねこ
毎日、抗生物質と痛み止めの錠剤をクラッシャーして
餌に混ぜて与えて口内炎をブロック。
それでも痛みが来たら動物病院で注射。
以前は最短でも1ヶ月は効いていた注射が
前回は3週間、今回は2週間で痛みが来た。

全部抜歯してしまったら、
口内炎が防げる事もあるらしい。
ふぃんふぃんには前歯がない。
歯槽膿漏で抜けた。奥歯は残っている。

獣医さんと残り奥歯の抜歯について相談をした。
14歳と言う年齢と抜歯に要する体力と天秤にかけると、
100%完治できる保証もないから二の足を踏む。
やっぱりあきらめて、今日のところは注射のみ。

大好きな煮魚のほぐし身も食べたいのに食べられない。
体重が2週間で300グラム減った。
かつては6キロあった体重が今日、3.5キロ。

明日は注射が効いて食べられるよう回復を祈るのみ。


こんにちワニ

2007-10-03 06:51:09 | 
わははは!ことばあそびブック
中川 ひろたか,村上 康成
PHP研究所

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げんきが出るというまっきっきいろに
まっかっかのワニの表紙だけで期待感がわく。

つくりとしては
いないいないばあ
松谷 みよ子,瀬川 康男
童心社

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にちょっと似ているかな?

開くと半分にオチが書いてあり
もわずにたにた。

おやじぎゃくが市民権を得たみたい。

この絵本は昨夜、宅急便で届いた。
7回忌にこれなかったからと亡夫の仕事上のつきあいの人から。

この絵本は絶対息子にウケルと思ったから
絵本の見て見て押し売り。
はたして
息子の顔はちょっと照れた時の
もぐもぐ笑いに。
ふっふっふやっぱりね。

なんだか沈みそうな日は
この絵本を開けて笑っちゃおう~♪
当分、

 『ただい』  『まんとひひ』

のページを開いて玄関の靴箱の上に飾っておこうっと。

介護・医療には財源がないのに給油は出来る

2007-10-02 08:16:03 | Weblog
国会の争点は海上給油の問題と言う。
福田内閣も発足当初からこれの延長ばっかりに目が向いている。
いったい米軍がイラクへ向いていくための支援が
主権国家の存続とまで言ってしまうものなのか?

おつきあい費をっどっさり気前よく使って
じゃぁお家の中はどうなのよ?と言いたい。

介護・医療は財源がないからと
使わせないことばっかりに汲々して
実際に困る人が続出している。

介護保険の無用の長物ではないかと自ら思う介護支援専門員になった時、
ちょうど介護保険見直しの時期と重なった。
やたら作成書類が多い。通称ケアマネは文章が書けないと仕事にならない。

  どうぞ介護状態から脱却してね
  これ以上自助努力で悪くならないでね

絵に描いた餅のようなと美しいガンバリズムのケアプランを作成する。
老境においてガンバリズムを国が強要している。

お困りの本当の趣旨は
「ひとりで限界・支える家族も限界だからどうぞ介護保険で助けて」
なのだ。

  おたすけ介護ではありません。
  自立支援です。
  お国のお金を使わないように努力する義務があります。

お国はそうおっしゃっているので
介護支援専門員はそれにのっとったケアプランを
お書き申し上げなければ介護保険が給付してもらえない。
もう努力なんかしたくないのが高齢者の本音なのだ。
私は毎日、なんと人生の先輩に僭越なプランを書いては
承認の印鑑をもらっていることか。

  すみません。
  こんなこと書いて。
  痛いのに辛い日も多いのに
  がんばってと
  書かないとヘルパーさんに来てもらえないの。
  できるところはして下さい。
  これ以上、悪くならないように、もっと元気でいて下さるように
  がんばってねと言うのが介護保険なんです。

老後は楽ではない。
とにかく動ける間はお国が動けとおっしゃる。

高齢者に多い転倒・大腿骨骨折の入院。
どうぞ回復して歩ける状態で退院してねと祈るのみ。
病院はいとも簡単に家族の困難もおかまいなしに
「医療的処置は終わりました」
と退院を言ってくる。

在宅でねたきり介護に充分なほど介護保険枠ではサービスが使えない。
いきおい家族の助けがいる。
家族は介護保険がなんでもやってくれると勘違いしている事も多い。
さぁどうしよう?施設はもうどこも満杯。
うまく空きがあるところを必死で探すか
とりあえず順番待ちの申し込みをしておくしかない。
これは誰かの死を待つと言うこと。

その施設もホテルコストや食費が自己負担になった。
減額措置も考えてくれてはいるけれど、安いとこから満床。
ニーズに答えて有料老人ホームは
だんだん施設自体も内容も料金もチープなものが出来ている。
それでも高くて入れない人が多いのが現状だ。

医療と介護の中間地点に療養型病床と言うのがある。
医療保険のと介護保険のと両方持っている病院もある。
こう言うのをお金がかかるから止めようねと言うお国の方針が出ている。
この人たちどこへ行くの?
これから利用したいたちはどうなるの?

年収200万以下の人が増加している。
年金は100万を超えてもらう人は厚生年金や共済年金の人。
国民年金受給は月3万と言う人もいる。
介護保険枠いっぱいサービスを使うと1割負担すら出来ない人が居る。

お家に使うお金がないのに
外ばっかり大金を使っていいお顔をしてどうするの?

その給油は量を誤魔化していたり
アメリカ国内でも批判の多い戦場へと向かう船のためでしょう?
なんだかヘンだと思う。

悠々自適な老後が見えない。
一生働ける間は働けと年金受給の65歳まではガンバリズム。
その先は節約、節約で介護状態にならない医療を使わないガンバリズム。
キュウキュウとコマネズミの一生しか見えない。

人生85年時代らしいから
自分の残りを年数を数えてこのままで良いのか?
元気で介護、医療の世話にならないで居られる時間は何年だろう?
お金の計算をしつつ…体力の限界を思い思い…中年は中年で悩む…



いろいろ変わる10月1日

2007-10-01 06:26:49 | Weblog
私の住んでいる地方自治体では、
ごみ分別が今日から12種類になった。
ごみを出す袋も4色と配布プリントにはあるけれど
昨日までに3種類までしか店頭では見つからなかった。
たぶん買占めた人が居て、自治体が思った数では足らなかったのだろう。
細分化のごみ辞典の小冊子まで配布された。

輪ゴムは赤い袋なのね。
お弁当に入れるアルミカップは緑なのね。
と、いちいちごみ辞典チェックをしているが、
なにせ赤い袋がまだない
おんなじ緑の袋でも、金属の日、家電の日と出す日が違う。
確かに、気をつければプラマークや区分が品物に書いてある。
しかし、字が小さい。

とある同僚の弁。

  みんなゴミの事に熱心なのよね。
  ゴミの分別の説明会には近所の人がみんな来ていた。
  説明を聞きに行ってよかったわ。
  まぁ~ややこしいのは適当に
  ちょっちょっちょと何かにくるんでつっこんどけば分かんないと思うけど。

ゴマすり女の正体みたり。
あんたの仕事ぶりのまんまだねと思わず心の中でつっこむ。

こんな女はどうしようもないけれど

息子のように整理整頓が出来ない障害の人は難儀だと思う。
まず目が見えにくく、覚えるのに時間がかかる高齢者は戸惑うだろう。
ごみ袋さえ満足に配布が行き届かないのにスタート切った。


郵政民営化も今日からだ。
昨日、うっかり土日祝も手数料がかからない郵便ATMに行ったら閉まっていた。
建物の前にはずらっと車が駐車。中には電気が付いていた。
職員さんが休日返上だったのだろう。
集配局も統廃合された。
配達員さんは広い範囲を走りまわるようになるのかな?
息子みたいに「早く!正確に!」と追い立てられて
事故が多くならなければいいけれど。

郵便局からの小冊子はよく見ていない。
どこがどう変わったのか?変わるのか?
小泉さんの置き土産は吉と出るか?凶と出るか?

実は職場の併設デイサービスも今日から体制が変わる。
現行の介護保険ではどうしても儲けが上がらないからと
経営陣が勝手にあれこれ画策。
利用者は改築が入って様子が変わることに戸惑っている。
職員間にも不安の声が上がっている。
双方が不慣れで、
目が行き届かず事故につながらない事を祈るのみ。
このやり口は
民意が置き去りの国の改革にえらく似ている。

儲け主義の会社が、どうでもイヤなら
完全放棄で辞めちゃう無責任な国の長を見習って
アベしちゃおうかな~っと。

とりあえず衣替えと言うことで
今日からダサい制服ベストを来て出勤しまっす