夜をゆく飛行機角田 光代中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
折しも↓辛いことになっているが、
イラン邦人誘拐、麻薬密売組織の犯行か(読売新聞) - goo ニュース
(小泉政権下『テロに屈しない』のひとことで殺されてしまった証生さんの事が思い出される…)
角谷光代さんの小説は実体験にもとずく
バックパッカーの貧乏小説が多かった。
あれよあれよという間に押しも押されぬ直木賞作家。
これは酒屋家族の話。日本版庶民派若草物語という感じかな?
どの姉妹も父母もそこらにありがちな感じ。
三女寿子の小説家ってのはありがちではないけれど
どこか暗い育ち姉が突然、家族のだれも読まない分野の小説など書いており
いきなり作家先生になったくだりは新進小説家の生体験みたいでもあった。
祖母が認知症になって亡くなったり、ずっと独身のおばが突然死んだり
大きなショッピングモールが出来て古い商店は立ち行かなくなったり
姉妹の離婚があったりと劇的でないけれど、
どこにもありがちな話が展開してゆく。
おばハルミの大晦日の死を置いといて正月をちゃんとやって葬儀は正月明けとか、
祖母の死と店新装開店が重なったら、予定どおり開店セレモニーをやってしまうとか、
一見、非常識な行動の中にちゃんと
自分のしっかりした死のとらえ方や悲しみの受容の仕方が込められている。
世間体がそっちのけってことろは
バックパッカー小説にもいっぱいちりばめられていたっけ。
一家が集まって夕食を取ると言うこだわりが家族の絆の要になっている。
一家の主婦である母が
三高(高脂血症・高血圧・高血糖)の父に気を配って手料理を作って
全員そろっての食卓から、
母が姑の看病で家を空けがちで料理の担い手がなくて
勝ってきた総菜が並んだり、店屋物だったり、
大人の子供たちも諸事情で夕食タイムに家におらず揃わなくなったり
家庭の荒廃が食の荒廃でよりリアリティが出ていた。
つい我が家に照らし合わせたりした。
四人家族から今、ふたり。
かつての主婦は働く人になっておつかれモード。
手料理は手抜きオンリー。買ってきた総菜が並ぶ日も。
息子は食事時間が遅いし、
人が傍に居ると食べることに集中ができないと言うアスペ。
団らんという図は娘が帰省して三人になった時だけとなった。
娘は外食やコンビニ食の孤食がほとんどだから
久々の手料理が食べさせたく私もちゃんと母になる。
この時は昔みたいに息子も妹と卓を囲み、傍の人シッシなどと言わない。
もそもそポテトッチプでお腹を満たしている母にショックを受けるシーンが
そう言えば自分もこの前、息子の食べ残しチップで…
我が家はいつの間に家庭と言えなくってしまったのだろう?
角田さんの家族小説もいいわぁ~生き方に力みがない。