結婚小説中島 たい子集英社このアイテムの詳細を見る |
結婚が自分の意志とは関係なく、終了した私も結婚ってなんだろうか?と時に思う。
もし、結婚していなければ、死後までうっとうしい姻戚関係はない。
子供も存在しない。
随分、ツルンとした人生だったかもしれない。
もう終わってしまった結婚生活を嬉しい楽しい事と辛い事と天秤にかけてどっちに今、振れるだろう?
人と暮らすと言うことは、
「自分以外の人の誰かがトイレに入っているという驚き」
トイレの順番を待たなきゃいけないとか、キッチンから物音がするとか、
細かな描写にいちいちうなずく。
死によって別たれた者にとっては、逆バージョンでこの気配のなさが一番堪える。
未婚者が既婚者を見て
『ダンナ教に入信した見たい』と言う。
なにもかもうかうかとおんぶに抱っこだった事に、私自身も終わってしまってから気がついた。
ダンナ教は一生物だと思っていたら、突然に破門されたようなものか?
女性はなぜ結婚すると、経済的な自立を放棄したくなるのか?
たまたま仕事に行き詰まっての逃げ?
あるいは子供を持つこと?
その辺りを絡めて考える行程も結婚小説に収まっていた。
私もずっと続けるつもりだった職を、
たまたま障害を持っていたと後から気付いた息子の子育てのために手放した。
誰かが仕事として子育てをしなければ、
それは夫ではなく産んで乳を与えて育んだ自分の役目だと疑う事もなかった。
それだけ?と問われれば
10年近くになる勤め先に飽きていた部分が加味されていた事も否めない。
結婚式でハッピーエンドでなく、
純白のウエディングドレスの次の日からを
ああでもないこうでもないと多面的に眺めて結婚をためらう。
決して幸せでないだろうと思える結婚している人々を横眼で見て知って
やっぱり人は結婚を選ぶのはなぜだろう?
この辺りの逡巡が上手く描かれていた。
40歳を目前にして、『結婚』をテーマにした小説を依頼された小説家の
フィクションを練るための取材がミイラ取りがミイラになるお話。
奇妙な主人公の親夫婦の在り様がコミカルさに拍車をかけるし、
主人公の人格形成への関与はそこから来ているのかな?とも思わせる。
あくまで日常的なことを女の目で、軽いノリで見せてくれる中島たい子も好きな作家だ。