三月の招待状角田 光代集英社このアイテムの詳細を見る |
34歳の大学の同級生5人が登場してくる。
離婚式から始まり、次の年5月の結婚式で終わる。
どっちの式に参列しているのもほぼ同じ面子。
五人とももしかして角田さんの周りの誰かなんじゃないか?と
思ってしまう生活感というか世間の固定概念から外れた人物ばかり。
男2人に女3人。
1人の風来坊的男に女2人が恋をしている。
学生時代に作家として本も出したが鳴かず飛ばず。
現在バックッパッカーだったりフリーターだったり。
ライターをしている一人の女が
恋のケジメに挙げる結婚式で、この男が自作の詩を読みあげるところで終わっている。
この詩はどんな詩なのか?なんで割愛してしまったのか?
余韻とか読者に想像させるとか言うより作者も書きようがなかったんじゃないの?
と、あらぬ想像をしてしまう。
結婚という形態から一番遠い所に居る風来坊が作った結婚に際してのお祝い?の詩。
なくてもあっても良かったか?
平凡でいた専業主婦が夫のクレジットカードを使って3ヶ月の家出。
沖縄、広島、京都、実家の長野、最後は都内のウィークリーマンション。
働こうという意志がないまま離婚届だけは夫に送っている。
3ヶ月の間に『暇』という事を考察している。
確かに人に等しく与えられているのは、何もしないでもいい空白の暇時間かもしれない。
角田小説に出る人物は『お金はある人が出す』暗黙の了解がある。
そこに出す方も出してもらう方も痛痒がない。
ほとんどの人は空白の与えら得た時間を、食べるため生きるために稼ぐことで埋めてている。
稼ぐことが人生の目的でないと言う同じ価値観の人々が角田さんの周りに集まっているよう。
稼がない人と、しっかり人の分まで払える人のバランスが良いので成り立っている関係とも言える。
その辺りが私小説めいている。
金稼ぐが人生も目的ではないけれど、
あくせく働いているウチに、
何もしないでいい空白の時間に耐えがたい自分にいつの間にかなっている。
私は明日から営業日5日出勤停止のコンプライアンス休暇へ入る。
たった5日の休みが祝日入りで8日間になる。
空白が怖いわけではないが、せっせとすでに予定を書き出している。
役所の各種手続き、行きたくても行けなかった大したことないが気になる病院受診と、
平日でないと出来ない事がいっぱいで、むなしい休暇の使い方となる。
空白の考察には、何にもしない誰にも煩わされない3ヶ月間は必須かもしれない。
34歳の男と女の関係に子供を生み育てる視点がない。
ないから醸し出される世界観のようにも思う。
根なし草で生きることを子供はしっかりと地面に結わえつけてくれる。
縦横無尽に自分を縛る関係まで構築され身動きが取れなくもなる。
そう感じるのも、
また中年のおばさんの神話であるのかもしれない。
私より少し上世代の子供たち、団塊ジュニアの子育て感はまた違うやもしれず。
そんなこんな言いながら角田光代を休暇中にもっと読みそうな予感。