6月27日、28日と明石高専を舞台に、土木学会のコンクリート委員会の「教育研究小委員会」の合宿委員会が開催されました。8名の参加委員によるクリエイティブな対話が重ねられた、大変刺激的な二日間でした。
私も様々な組織や場に身を置いてきましたし、それなりの議論は実践してきましたが、大変にクリエイティブで、得意技の異なる委員がそれぞれの独自の視点を織り交ぜながら、質の高いアウトプットを目指した対話であり、大変に心地よい時間でした。と同時に、スポーツをした後のような充実感と疲労感もありました。
このような対話を実践するためには、当然に良いメンバーが集まらねばなりません。
また、いきなり対話ができるわけでもなく、お互いの信頼感も必要でしょうし、ヴィジョンもそれなりに共有していないとできません。
この委員会では、HPにもあるように、昨年度に6回の公開座談会を開催し、誰に見られても恥ずかしくない議論をしてきましたし、そもそも何を目指して議論しているのかも発信してきました。
この国は順風満帆な状況では全くなく、どのような意味で危機的なのか、その辺りの危機感を共有できないと、ヴィジョンを共有できません。
教育だけでこの危機的状況が改善されるとは思いませんが、そもそも日本をどういう国にしたいのか、現状はどのような理由で理想的な状況からかけ離れてしまっているのか、という意識・知識を共有し、その上で土木分野における教育のあり方、哲学、実践方法などを議論しているわけです。
対話の具体的な内容になると、一見、対立しているような二つの考え方がある場合がほとんどです。例えば、大学教育においては「基礎をしっかりと教える方がよい。その方が後々の応用力が培われる」という考え方と、「実社会で求められているスキル(ICTとか)をしっかりと教える方がよい」という考え方が、対立構図として捉えられる場合があります。どっちかが良い、どっちかが悪い、という議論をしても、何の改善にもなりません。対話により、どちらにもメリット、デメリットはあるでしょうし、どちらも取り込んだアウフヘーベンも可能かもしれません。
クリエイティブな対話からは、多くの学びが得られますし、今後の実践に向けてのヒントも得られますし、自分自身や自分の手法を肯定することもできますし、改善のヒントも得られるでしょう。とにかく、対話。ディベートのような白黒付けたがるようなものからは私はほとんど何も得る気がしませんし、やりたいとも思わない。
豊穣な社会のための教育です。
同様なクリエイティブな対話が、豊穣な社会研究センターでも活発に繰り広げられることを期待しています。そのためには、豊穣な社会とは何か、現在の社会がどのように豊穣さからかけ離れているのか、その主な原因は何か、その辺りの考え方を緩く共有できるかどうか、が大事なのだろうと思っています。
+++ お知らせ +++
◯令和5年度土木学会全国大会研究討論会◯