細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

素敵な姿

2017-01-26 17:24:10 | 人生論

先週は、前半がインフルエンザによる療養で、18日(水)から仕事に復帰し、その後は何が何だかよく分からないような状況で、ただスケジュールをこなしております。。。

今週は気が付けば木曜日の夕方。講義、様々な研究のディスカッション、鞆への出張等、充実はしておりますが、1月もあっという間に終わりそうです。

「コンクリート工学」誌の1月号の特集が、「コンクリート界の明日を担う研究者・技術者」というもので、私も知っている若手・中堅の方々が多く原稿執筆されており、とても興味深く読んでいます。

各分野(例えば、土木材料分野)で4名の選ばれた方々が執筆し、その分野のシニアの先生がそれらの4本の原稿を読んで感じたことを書かれる、という構成になっており、どれも興味深いです。

若手の方々の原稿は読んでいて清々しいものが多く、私も共感したり、刺激を受けたりする箇所も多いです。やはり、読んで清々しくなる文章、って良いですね。

土木構造分野のシニアとして書かれていた宇治公隆先生の文章の中に、こういう一節がありました。宇治先生には、現在、プレストレストコンクリート工学会の防災の研究委員会で、宇治委員長で私が副委員長という立場でお世話になっております。

「新たなものを生み出す、現象の解明に取り組む、など研究者としての使命を果たさなければ、存在価値がない。研究者になった意義がない。歳に関係なく、研究に取り組む姿勢は見ていて楽しいものであり、羨ましい。」

そうなんですよね。研究に取り組んでいる姿勢って、素敵なんだと思います。そして、いつの日か、すごく懐かしく思い出すのだと思います。

私も、周囲の一所懸命に研究に取り組んでいる同志や学生たちの姿を見ていると、素敵だな、と思うし、格好いいと思うこともしばしばです。

私自身が周囲にそのような清々しい印象を与えているかは分かりませんが、できればそうありたい。

研究に限りません。

周囲から見ていて素敵だな、と思う生き方をされている方はたくさんおられます。生き方、とまでいかなくても、素敵だな、と思う考え方、行為にはよく出会います。

そして、私が「土木史と技術者倫理」の講義で、泥臭くも、受講生たちと対話を重ねるのは、ぜひ素敵な生き方をしてほしいからです。

ほとんどの学生は五体満足で、様々な方々のサポートにより一流の大学で学べる、というこれ以上恵まれようがないくらいの環境にいるのに、精神が死んでいる。素敵でないどころか、本当に腹が立つのです。もっと自分の可能性に気付け、と。

来週、1/31が第15回目の講義で最終回になります。

最終回は、土木史からは離れ、学生たちに少しでもヒントを拾ってもらうための、様々な雑談に終始します。

10冊くらい本を持って3日間くらい温泉かビーチなどでボケーっとしたいような気分でもありますが、2月末までの繁忙期、もうしばらく全力疾走を続けます。