ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

『駅伝がマラソンをダメにした』

2005-12-21 20:36:04 | 本・漫画・映画など
スポーツライター・生島淳氏の新刊(光文社新書)。

著者は箱根駅伝が大好きで、小学生のときはNHKラジオの1時間に一度の途中経過放送を聴きながら、広告の裏紙に各校のタイムを区間ごとに記録し、速報後にタイムを集計していったとのこと。
駅伝を愛すればこそ、の苦言・提言に満ちた熱情あふれる書である。

氏は1967年生まれで早大卒。箱根駅伝に代表される駅伝への急傾斜・過熱が、日本の長距離界に悪影響を及ぼし、とくに男子マラソンの不振を招いたとする視点から、その経緯と現状を詳細に分析・検証していく。

とりわけ、箱根駅伝の歴史的転換点となったのが1987(昭和62年)に始まった日本テレビの中継放送。著者は「日テレ時代」と呼び、前後の大きな相違を描き出す。

日テレ以前の「牧歌的時代」には、箱根出場は現在のような賞賛と憧れの対象ではなく、息抜きであり、出られなくてもかまわない程度の大会にすぎなかったそうだ。
その時代の語り部として、ナンバで知られる矢野龍彦先生(桐朋学園大学教授)が登場。矢野先生は東京教育大学(現・筑波大)で中距離選手だったが、「箱根に借り出される危険性があった」と言う。現在と異なり、「メンバーに入ったら練習はしんどいし、わざわざ20kmを走りたくはない」といった雰囲気だったそうだ。

「日テレ時代」に入り、視聴率30%を超えることさえあるドル箱番組に成長したことが、さまざまな波紋を広げていく。

  「巨大メディアの報道によって人気が過熱しすぎると、競技の本質が変容してしまい、ときに関係者や選手の望まない方向へ競技が進化してしまうことがあるのだ。問題は、駅伝の競争力がそのまま陸上の国際的な競争力につながらないことにある。」

駅伝が肥大化しすぎて弊害が顕著になっていることを多角的に明示するとともに、競技が「進化」しすぎると、かえって競技のおもしろさが希薄になってしまう例として、男子マラソンや100m、さらに最近の記録狙いマラソンのつまらなさを著者は掲げている。

「しかしこの記録レース、見ていても全然つまらないのだ。やはりマラソンは勝負、駆け引きにこそ醍醐味がある。記録は勝負の先にあるものではないか。人工的な要素が排除され、真剣勝負が行なわれる、だから面白いのだ」、まことに同感のオヤジであった。


朝11km(つま先5km) 1:11:58、心拍150。
夜、ステップ運動60分、心拍79。
コメント (2)
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