ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

走る意味と意欲

2005-12-05 21:47:02 | レース
きのう、湘南3km父子勝負でスタート直前の会話。

息子「オトーサンはボクに勝てば、よっしゃー、勝ったあ!ってうれしいだろうけど、ボクにはそういうのがないんだよね」

父「ン? オヤジに勝ったあ! でダメなの?」

「中学3年がオヤジに勝ってもなあ。誰もほめてくれないだろうし」

「つーことは、なんかほしいわけ? 勝てば賞品が出るとか」

「まあ、そうだね。やっぱ、なんかないと。勝ったら……ってものが」

「そうなると、おめえがほしいもんつうと、やっぱゾイドか。最新の」

(ゾイドとは組立てプラモデルで、動物と機械が合体した機獣。今も根強い人気)


横で聞いてた妻が血相変えて、「ダメダメ!」
「もう置くとこ、ないじゃない。何十体も棚からあふれてて。作るのが楽しいだけで、あとは壊れるだけじゃないの」

「つまり、とにかく、なんかほしいわけだな。いまっから走る意味ちゅうもんが。
それがないと、意欲がわかねえっちゅうことだろ」

「そうそう、そういうこと」

「じゃあ、何がいいのよ。ゾイドはやめてね」

小3息子も口をはさむ。
「ボクだったら、ムシキングがいいな」

「おめえは走らねえんだから関係ねえだろ。オレのことだろ」

「帰りにムシキングのゲームやりたいな」

「うるせえな、関係ねえってんだろ」

「うわ、もうスタートだ。賞品は考えとけや」

「オトーサン、勝ってよ、絶対勝ってよ」

と妻の声援(?)に送られて必勝を期した3kmレースだったが、3秒差で負け。

結局、自分の棚を片付け、ゆかには置かないという約束で最新型ゾイドを手に入れ、午後は嬉々として組み立てていた中3息子であった。
帰る途中で小3息子もムシキングのゲームができて、それぞれに満足。

以前紹介した本『スポーツ選手よ 強くなるには「哲学」を持て!』(杉浦健著)
の中にも、こうあった。

「やる気はウンチみたいなものです。がんばって無理に出そうと思ってもなかなか出ませんし、意味がわからないままがんばりすぎるとキレたりします。明確な意味を見出すことによって、自然とやる気が出ることが大事なのです」

なるほど。自分なりに意味を見つけることが意欲を燃やすことに通ずるわけだ。
次のチャンスまでに、ワシも多少なりともスピードアップに努めねば。


朝、ステップ運動20分、心拍94。
今週いっぱい、中3息子は落ち葉掃きボランティアで早出のためワシが起こす。
コメント (6)
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