スポーツライターとして活躍中の小林信也さんの新刊(光文社新書)。
カルチャーセンターでナンバや「古武術をスポーツに生かす」などを受講しながら、どうもピンとこないオヤジであったが、この本を読んで、自分がいかに頭でっかっちで脳力・筋力優先の発想をしているか、改めて強く認識させられた。
この本では随所に「アタマの脳からの命令による動き」と「身体脳による全身からの動き」との違い・対比が出てくる。
たとえば、2人組で一人が正座して立ち上がるのをもう一人が肩を押し下げて妨げる。普通に立とうとすると力と力の攻防になって容易には立ち上がれない。ところが、座った人が両手の人差し指をまっすぐ伸ばして前に差し出して、同じ方向に大きく回しながら立ってみる。と、今度は立てるのだ。押さえる側が用心して全力で押さえ込もうとしても、あっさりとはねのけられてしまう。
これは、脳の命令が「指を回す」ほうに行き、立ち上がる動きのほうは身体脳の動きに変化したため。
なかには、指を回してもなかなか立てない人もいて、たいていは(ホントに立てるのかな)などと余計なことを考えてしまい、立つことを脳が意識してしまうとうまくいかない。結果を気にしないで、ただ指を回すことに意識を向けてやれば、ほとんど間違いなく立ち上がれる。
よくわかる。日曜の白岡練習会で快調に走れていたのが、「km4分ペースに上がった」と意識したとたんに走りが崩れてしまったのに通じると実感する。ペースを脳で意識するまでは、高速ランナーの方々についていくことだけを考え、一緒に走れていることにわくわくして楽しんでいられたのに、「4分」と意識しただけで勝手にもうダメかも、と自滅してしまったのだった。
あくまでも「本を読んでの理解」なので、脳のレベルにすぎず、まだ全然わかっていないのだが、自分がわかっていないと知るところから再出発するほかない。
朝11km(つま先4km)、1:12・35。心拍179と高かった。
夜、ステップ運動60分、心拍84。
カルチャーセンターでナンバや「古武術をスポーツに生かす」などを受講しながら、どうもピンとこないオヤジであったが、この本を読んで、自分がいかに頭でっかっちで脳力・筋力優先の発想をしているか、改めて強く認識させられた。
この本では随所に「アタマの脳からの命令による動き」と「身体脳による全身からの動き」との違い・対比が出てくる。
たとえば、2人組で一人が正座して立ち上がるのをもう一人が肩を押し下げて妨げる。普通に立とうとすると力と力の攻防になって容易には立ち上がれない。ところが、座った人が両手の人差し指をまっすぐ伸ばして前に差し出して、同じ方向に大きく回しながら立ってみる。と、今度は立てるのだ。押さえる側が用心して全力で押さえ込もうとしても、あっさりとはねのけられてしまう。
これは、脳の命令が「指を回す」ほうに行き、立ち上がる動きのほうは身体脳の動きに変化したため。
なかには、指を回してもなかなか立てない人もいて、たいていは(ホントに立てるのかな)などと余計なことを考えてしまい、立つことを脳が意識してしまうとうまくいかない。結果を気にしないで、ただ指を回すことに意識を向けてやれば、ほとんど間違いなく立ち上がれる。
よくわかる。日曜の白岡練習会で快調に走れていたのが、「km4分ペースに上がった」と意識したとたんに走りが崩れてしまったのに通じると実感する。ペースを脳で意識するまでは、高速ランナーの方々についていくことだけを考え、一緒に走れていることにわくわくして楽しんでいられたのに、「4分」と意識しただけで勝手にもうダメかも、と自滅してしまったのだった。
あくまでも「本を読んでの理解」なので、脳のレベルにすぎず、まだ全然わかっていないのだが、自分がわかっていないと知るところから再出発するほかない。
朝11km(つま先4km)、1:12・35。心拍179と高かった。
夜、ステップ運動60分、心拍84。