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昭和のプロレス:たったの1試合

2023-05-12 06:29:49 | 日記
52歳の助っ人

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリング上を盛り上げた脇役達
を振り返っています。
今週登場するのは007映画にも出演した「日系アメリカ人、ハロルド坂田」
です。
 1951年9月16日にハワイのプロモーターのアル・カラシックが
GHQの認可を受けて6人のプロレスラーを招聘しました。
その中のひとりが178cm104kgの坂田でした。
 12月11日からは力道山、遠藤幸吉らを伴って各地を巡業。
力とはシングルマッチで時間切れ引き分けを演じています。

 4年後の55年10月27日に再来日すると力と組んでアジアタッグ王座
争奪戦に出場。
11月14日の準決勝ではシン、シャー組と対戦し1本目を坂田が3本目は
力が取って快勝。
 翌日の決勝戦ではコング、ジョキンダー組と対戦。
1本目は力が取りますが2本目は集中攻撃を受けた坂田がリングアウト負け、
3本目も戦意喪失で日本組が負け。
初代王座を逃しています。
 日本プロレスとの縁は続き、57年10月4日に世界王者のルー・テーズ
が来日すると練習相手を務めています。
 また72年7月24日には創設間もない新日プロレスに登場してもいます。
当時のパンフレットには「日本陣営に強力な助っ人が登場」と書かれていました。
坂田この時、52歳でした。

5敗のひとつ

 坂田は国際プロレスにも参戦しています。
それが68年1月31日から2月21日まで行われた「TWWAワールド・
タッグシリーズ」です。
 シリーズの主役は前シリーズで鉄人テーズから世界王座を奪い取った
ダニー・ホッジ。
他にはタッグの名手のザ・カンガルーズ。
初来日の若手の有望格フレッド・カリーと残留したブルドッグ・ブラワー。
 ここにトシ東郷を名乗った坂田が加わったのですが、その経緯がどうにも謎です。
シリーズのポスターに坂田の顔が載っていないのです。
それが突然2月14日の大阪府立大会に登場、しかも相手はNWAジュニア
王者の経歴を誇る主役のホッジ。

 ホッジは国内で117戦していますが、その内シングル戦は80戦。
戦績は65勝5敗10引き分けと圧倒的な強さを誇る実力者です。 
 試合は1本目に10分30秒地獄付きからのダブルチョップで坂田が先取。
2本目は3分30秒に回転エビ固めでホッジ。
3本目は再び回転エビ固めを仕掛けられた坂田がロープを掴んで自爆させ、
押さえ込み4分35秒に坂田の勝利。(SAMEDASU より)
国内で5敗しかしていないホッジに堂々勝利しています。
 ところがホッジに雪辱の機会も与えずに翌日帰国してしまいます。
坂田のこの唐突な出現といきなりの帰国、全く謎が解けません。
 
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