脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

カナリヤなす

2007年11月08日 | 四季の風景
「カナリヤ」というより、

やはり、
「フォックスフェイス」の名前の方が
ピッタリだと思います。

色といい、形といい
「きつねの頭」みたいに見えますもの。




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10 コメント

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これって・・ (ogaoga)
2007-11-08 17:31:20
ゆめさん  こんにちは。
こやつ初めて見ました
日本古来からあります?
そして食べれます? 
食べたらどんな味なんだろう 
最近喰い地が・・・
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ogaogaさんこんばんは。 (ゆめ)
2007-11-08 17:48:01
いや~。不調です。

これは、どうも観賞用のようです。

昨年の一連の観察によると、
最後は茶色くなって、カラカラになり、
唐辛子みたいに中に種が出来てました。
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あ~ (ゆめ)
2007-11-08 19:44:37
ぐるし~。
もういやだ~。

加害者め~。絶対許さない~。

逃げ徳、やられ損のこの日本、
間違ってる・・・・
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Unknown (毘沙倶楽部)
2007-11-08 21:06:07
本当・・お辛そうですね・・
私も時々加害者と会います。
当時、飲酒運転で免許取り消しのはずが・・
知り合いの警察に頼んで逃れようとしてました。

でも私は負けませんでした。
警察へ行き他の警察など相談に行ったり・・
でも最後は正義がかつんですよね~!
憎しみは心にしまい込んで・・街ですれ違います!
返信する
毘沙倶楽部さん (ゆめ)
2007-11-09 08:38:02
正義は勝つ?

そうだといいんですが・・・・・

薬害C型肝炎・・・
あれもひどすぎですよね・・・・

これだから、医師も医師の与える薬も
うっかり鵜呑みにできないんです。

疑ってかかるぐらいでちょうどいいと思います。
返信する
このところ・・・ (ゆめ)
2007-11-09 08:40:41
左の肩が脱臼したみたいに痛い・・・・

背中はいつもだれか背負っているみたいに重いし、
鈍痛があるし、

首は締め上げられているし、

時々心臓もしめつけられる・・・・

手足は脱力してぶらぶらになるし・・・

気持ちは公園に行きたい・・・・
でも、体がついていかない・・・・

紅葉が見たいなぁ・・・
どこまで進んだかなぁ・・
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ぐるし~ (ゆめ)
2007-11-09 16:57:24
心臓が~締め付けられる~

なんでこんなにいろんな症状で苦しめるの~
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Unknown (さな)
2007-11-10 10:54:13
背中に誰かが乗ってるような感じって私もそうです!首から背中が石のようになっています…
鼻も半分しか匂わないし、舌の上の味覚は0です!杖がないと歩けない、普通に仕事して生活していたのに、こーんな体にした加害者、そしてそれに対してマニュアル通りの保険会社…被害者の苦しみ、少しでもわかろうとしないの!って怒りは常に私の中にもあります。
私も思いも一緒です。ゆめさんの戦った時間の何十分の1しか時間が経っていなくても、こうなんですから…ゆめさんの苦しみは図り知れないですね(>_<) 
この病気に未来はあるの?
「先生私は普通に歩けるようになるのでしょうか?と聞きましたが、今マウス実験などして今後良い薬が出たら、そう言う事もあるかも知れませんね…」と言う回答でした…
返信する
さなさんへ (ゆめ)
2007-11-10 11:14:08
さなさんこんにちは。

さなさんのブログでいただいたお言葉を読んで、
きのうから感じて書きとめていた気持ちがあります。

コメント公開をためらっていましたが、
今日もここにコメントいただき、ますます、感じた気持ちは確信するに至り、ここに書かせていただきます。

受容と共感が
病んだ人の心を癒すってこのことなんだな、と
さなさんの言葉で改めて感じました。

今まで、多くの方がたが私のブログに来て励ましてくださいましたが、
同病の方でも交通事故でない方や、
事故でも事故からまもなく病名や治療にたどり着いた方々ばかりで、そういった方がたになにか距離を感じ

数十年放置され、仮病扱いされてきた私は、
うらみの気持ちや、ぶつけどころのない怒りが、
「どうせ、幸運なみなさんにはわかりっこない」と勝手な思い込みから、
「理解されない悲しみ孤独さ」をいつも抱えていました。
でも、さなさんの言葉に触れて、

自分の嘆きが受け入れられたと感じるか感じないかはは、相手の方が
脳脊髄液減少症になった原因が
事故か事故でないか、とか、
事故からの放置時間の長さ、短さ、の違い
ではないとわかりました。

わかる人にはわかってもらえると思いました。
たとえ事故から数ヶ月の方であっても。

交通事故であろうがなかろうが、
事故からまもなくであろうが、病名まで
何十年たった方だろうが、

病名が同じだろうが、違おうが、
健常者だろうが、病人だろうが、
そんなことは関係ない。

分かる人にはわかってもらえ、
わからない人にはわからってもらえない。

思いやりは、やはりその人の
「想像力」なのでしょうか?

受容してもらえた、共感してもらえた、
ありのままの気持ちに寄り添ってもらえた、
と感じられた時、

人は孤独から開放され、慰められ癒されるのだとわかりました。

私も回復したら、
病んだ人や嘆く人の気持ちに、
批判することなく、叱咤激励することなく、
ありのままのその人の気持ちに
そっと寄り添える人間になりたいと思います。

今は自分のことで精一杯でそんな余裕はなく無理ですが、そう思いました。

さなさんの言葉で
大切な気づきをありがとうございました。
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聞きたかったなぁ (ゆめ)
2007-11-10 13:04:00
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/58650.html
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