脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

医師の教科書は「患者」

2011年08月18日 | 心の葛藤

本日の

NHKの総合診療医ドクターGのテーマは「胸が痛い」だそうです。

さて、

どんな病名にたどりつくやら、楽しみです。

その前に、

昨日の思いの続きです。

 

私は以前から、感じていたんですが、

 

同じ、見えない症状が出るケガであっても、

たとえ、同じ「脳脊髄液減少症」と診断された患者でも、

たとえ、脳脊髄液減少症患者に接している医師であっても、

「本当の脳脊髄液減少症の恐ろしさ」はわかっていない人たちが多い

と感じることが

私はよくあります。 

今までも多々ありました。

 

見えないものの見えない恐怖は、経験したものでないと実際にはわからないのに、

経験したこともない人や、

経験したとしても、診断まで時間がかからなかった恵まれた患者や

病名がすぐついたために、医師や医療関係者の理解が得られ、温かい支援に恵まれた

患者になんか、

「私は脳脊髄液減少症の苦しさをわかっている。」なんて

思っていただきたくありません。

 

ましてや、

交通事故でいきなり、加害者により脳脊髄液減少症にさせられたうえ、

加害者にも損害保険会社にも、その事故で発症したと認めてもらえず、

医師に症状をいくら訴えても訴えても何年も何年も理解してもらえなかった経験もない人に

「恨みごとを言ったり、苦しさを切々と訴えたりする気持ちは私もわかる。」なんて

うそっぱちです。わかっていないから、そんな言葉がでるのです。

「人からケガを負わされた人と、練習中に発症した人」とでは、

怒りも恨みの感情も、その大きさはぜんぜん違うことが思考から抜け落ちていることに

気づいていないようです。

 

そういう言葉が出ること自体、

交通事故被害者の患者で、長年放置されてきた患者の気持ちなんて

これっぽっちもわかっていない証拠です。

わかっていないからあんな言葉がでるのです。

私はあの記事のあなたの言葉に、

ひどく傷つきましたよ。

 

ああ、おなじ病名だからって、

やっぱり私たち古参の患者の悲惨さは、信じてもらえないし、

わかっていただいていないんだなと。

 

たとえば、

見えない放射能の恐ろしさを、本当に知っているのは、

放射能に詳しい学者ではないと思うのです。

放射能に被ばくして症状が出たけれど、早期に専門医に恵まれ

手厚い医療の恩恵を受けられた患者でもないのです。

 

本当の放射能の怖さを知っているのは、

広島や長崎で、放射能の怖さを何も教えられないまま被ばくし、その恐ろしい急性症状で

適切な医療も受けられないままなすすべもなく死んでいった一般市民や、

後遺症を抱えつつ、国にも周囲にも理解されないまま誤解と差別と偏見の中を、

闘いぬいて生きてきた人たちであると、

私は思うのです。

 

脳脊髄液減少症だって同じです。

脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさを知っているのは、

医師ではありません。

患者です。

ただし、ただの患者ではありません。

 

その中でも、脳脊髄液減少症が原因で苦しみながら死んでいった人たちと、

苦しみながら死なずになんとか生き抜いてきた患者こそ

脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさを知っているのです。

 

同じ

不慮の事故でのケガであっても、

同じ脳脊髄液減少症であっても、

事故の原因、状況、加害者の存在の有無、加害者の態度、などで、

のちのち引っ張る気持ちは

全然違ってくると思います。

 

 

発症原因が、

はっきりわかっているか、

わからないか?

 

交通事故か、

それとも自分が望んでやっていた部活動やスポーツや競技による事故か、

 

その事故は、自分になんの落ち度もない100パーセント相手の責任の事故か、

そうではなく、自分にも何パーセントか落ち度があっての事故か、

 

加害者がいるなら、その加害者に誠意ある態度はとってもらえたか、

反対に、全く誠意がなかったか、

 

加害者がいても、その加害者が精一杯誠意ある態度を示して充分な保障が得られたか、

そうでなかったか

 

で、心に残る思いや

加害者に対する恨みの気持ちも全然違ってきます。

 

スポーツでのケガの場合、

見た目なんともない交通事故での脳脊髄液減少症患者より

多くはケガに対する保険もおりやすいでしょう。

 

また、

事故後、別のケガもあり、すぐさまなんらかの診断がつき、医療に手厚く長く助けてもらえたか、

反対に、事故後、まったく軽傷扱いされ、

いくら苦しさを訴えても、おおげさだ、なんともない、気のせいだ、事故のショックによる精神的なものだ

はては仮病だとまで言われ、

医療にも社会にも家族にもまったく相手にされなかったか、でも

受ける心の傷はまったく違ってきます。

 

事故後すぐさま医師に真摯にむきあってもらえ、なんらかの病名がついて、すぐ治療もリハビリも手厚く受けられ、それを家族にも温かく支えてもらえたか、

反対に、事故後どんなに検査を受けても、病名がつかず、異常なしといわれ、そのために誰にも症状を理解されず、医師にもリハビリにも縁がなく、孤独に耐えているのに、

家族にさえ、その苦しみを理解されず冷たい扱いを受ける延々と何年も何年も続いてきたか、

 

でも、患者に残る気持ちは全然変わってきます。

 

それなのに、一様に、

事故でのけが人、

事故被害者、

同じ脳脊髄液減少症患者、と

 

みんなひとくくりにされて語られてしまうのは、

非常に不愉快だし、違和感を感じます。

 

脳脊髄液減少症患者診療にかかわっている医師であっても、

実際に脳脊髄液漏れのあのこの世の地獄といってもいいほどの、症状の体験が

全くない以上、

患者の苦しみは想像しかできず、「わからない」のです。

 

なんともない、あなたの気のせいだと医療に見放され、

家族にも医師にも誰にも症状を信じてもらえず、

病名もなく、なんの根本的治療も受けられないまま、何年も孤独に生き抜いた経験がない以上、

 

本当の「脳脊髄液減少症の怖さ」を知っているとは

全くいいがたいと思います。

 

知らない人は、

知っている患者から教えられるべきです。

 

私たち大昔の交通事故被害者での脳脊髄液減少症患者が

その恐ろしさ、理不尽さを伝え続けなければならないと思っていますが、

 

その恐ろしさ、症状の耐えがたさを必死で伝えようとしても、

いくら医師であっても、

実際に同じ状態を経験したこともない人に、

「周囲の理解を得るために、自分の苦しさをことさら強調したり、加害者への恨みにとらわれ続ける

悲劇のヒロイン症候群を乗り越えることが重要」なんて、言われたら、

 

「ああ、脳脊髄液減少症治療にかかわっている医師にまで、

私たちの訴えはおおげさだ」と思われているんだ、と

脳脊髄液減少症のことを伝える気力も

失せてしまいます。

 

脳脊髄液漏れで、脳機能が低下した患者は

認知症患者と同じで、同じことを繰り返し訴えるでしょうし、

脳機能が低下しているから、うつ傾向にもあり、暗い後ろ向きな思考でしょうし、

高次脳機能障害によって、物事を明確に、短くまとめて話すといった能力も奪われているから

だらだらと話すでしょうし、

高次脳機能障害により感情のコントロールができないため、

涙もろくなったり、怒りっぽくなったりもしている人もいるでしょうから、

 

毎日毎日、

そんな患者の長ばなしにつきあうのもうんざりするのも、当然だと、

その大変さをお察しいたします。

 

これからは、

脳脊髄液減少症治療に向き合おうとしている医師たちには、

脳脊髄液減少症患者に、

心の中でうんざりしても、

それは病の症状の一部だと、理解してあげ、心して接していただきたいと思います。

 

今後も、

専門医にまで、あんなことを言われたら、

私は脳脊髄液減少症を見逃されることの恐ろしさを

伝える気力もそがれてしまいます。

 

「プラス思考」の名のもとに、

患者の口からでかかったすべての訴えや言葉を

どうか、封じないでほしい。

 

医師にとっての教科書は「患者」だと思います。

患者の教科書が、「医師」ではないと、

私はいつも思っています。

 

医学の教科書より、

本当の意味で、さまざまなことを教えてくれるのが、

生きた患者なのですから、

もっと、もっと、生の患者の言葉を聞き続けて、

患者から脳脊髄液減少症の真実を知ってほしいのです。

 

 

まあ、思いはつきませんが、

このへんでひとまずおいておいて、

 

NHK、総合診療医ドクターGは「胸が痛い」。

今まで何度も書きましたが、

脳脊髄液減少症でも

心臓が握りつぶされるような、狭心症のような、心筋梗塞のような

呼吸もできないような胸の痛みがでます。

 

それでも、医師に訴えても、どんな検査をしても、異常なしか、様子を見ましょうで返されてしまいます。

誰にも相手にされません。

誰も、

胸の痛みの影に潜む、脳脊髄液漏れには気づけませんでした。

 

毎週訴えていますが、

脳脊髄液減少症を番組で取り上げてもらえるように、

NHKに患者が皆で、訴えませんか?

 

脳脊髄液減少症の専門医と同等なほど、

脳脊髄液減少症の知識が豊富な「総合診療医」が

この日本にいるかどうかは疑問ですが・・・。

 

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12 コメント

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同感です! (のぶ)
2011-08-18 12:25:33
今日も暑いですね。
ゆめさん、体調はいかがですか~

「周囲の理解を得るために、自分の苦しさをことさら強調したり、加害者への恨みにとらわれ続ける
悲劇のヒロイン症候群を乗り越えることが重要」
という記事にはいささか哀しくなりました
確かに、一理はあると思うのです。「怒り」や「憎しみ」の感情は症状を悪化させる事もありますからね~
でも、周囲の理解を得るためには、「死んだ方がまし」という苦しみや痛みや苦しみは、体験した者だけが知っています。これは伝えつづけなくてはいけないと思うのです。。。

改善途中にいる患者さんと、地獄の中で悶えている患者さんとは、明らかに心のあり方が違いますよね。
地獄の中の方に「前向きに!」という言葉ほど残酷なものはないかもしれませんね
自分が全否定されてしまっているようで。。。
自分の訴える痛みが「気の持ち方」で変わると言われているようで。。。


返信する
のぶさんありがとう・・・・ (ゆめ)
2011-08-19 07:12:43
どなたからもコメントをいただけないので、

おそらく多くの患者さんは、
あの記事に違和感や反感をもたなかったのだなと思っていました。

のぶさんに「同感だ」と言っていただけて、

あの記事に違和感を感じるのは私だけではないのだと
安心しました。

こんなことを感じるのは、
交通事故で発症し、それの原因が特定できない時代を、治療もされず、誰にも理解もされず、
生き延びた患者だけなのかもしれません。

そういう患者は、たいていは、20年前30年前の交通事故だから、高齢化してしまって、
もはや、声を上げる力も、こんなインターネット上に書き込みなんかできないかもしれませんし、

大昔の交通事故で、脳脊髄液減少症になり、この事故後遺症の辛酸を嘗めつくした「本当の恐ろしさを知っている患者」こそが、声をあげられないのではないかと。

戦争体験者がすべてなくなったら、
もう生き証人がいなくなってしまうように、

20年前、30年前の交通事故での脳脊髄液減少症患者がすべて死に絶えてしまったら、

発症から数年以内で病名もらった幸運な脳脊髄液減少症の患者さんばかりになって、
長い無理解の経験がない患者さんたちばかりが、

「脳脊髄液減少症の苦しみとはこうだ。」なんて

わずかな経験を元に、

脳脊髄液減少症のことを語りだすのかと思うと、
そして、それが医師に伝わるのかと思うと、

ため息が漏れてしまいます。


私はT先生といえども、
脳脊髄液減少症を自ら体で経験していない以上、

あの恐ろしさ、ものすごさは
全くわかっていないと思っています。

でも、それは誰でもそうだと思うのです。

私も、もし脳脊髄液減少症の経験がなければ、
患者の訴えを聞いても、

「まさかぁ・・・・大げさなんだからぁ」と
思ってしまい、

もし、家族がこの病でぐったりしていても、

「気のもちようだ。」と
おそらく叱咤激励してしまうと思うのです。

それぐらい、
脳脊髄液減少症という本当の恐ろしさは、

人間の想定をはるかに超えているからです。

その本当の恐ろしさを知ってしまった人間は、
耐えきれず、もう亡くなってしまったか、

生き延びていても、ごくわずかの人数であり、

そのごくわずかの人数の生き残りの患者の中でも、

その苦しみを伝えることができる人間は、

ますますごくわずかになってしまっていると思います。

T先生が「プラス思考」の本を以前出した段階で、


私は正直
「この先生、まだまだ若いな。

脳脊髄液減少症を甘く見ているな。

わかっていないな。」と

すでに以前から常々感じていましたから。

今回のことで、怒りが爆発しました。


わかっていない人には

わかっている人が教えてあげなければなりません。


それがたとえ、医師であろうが、なかろうが。

脳脊髄液減少症の治療にかかわっている医師であろうが、なかろうが。


戦争を知らない若い世代が総理大臣になろうが、

戦争を実際に経験した一老人がその総理大臣に対して、戦争の悲惨さを語り、悲惨さを教え、伝えなければならないように。

返信する
のぶさん・・・・ (ゆめ)
2011-08-20 10:27:52
共感のコメントを寄せてくださったのは
のぶさんだけでしたが、
私は私の感じたまま、ありのままを伝え続けます。

グリーフワークに関しては、
この記事
http://blog.goo.ne.jp/aino-yume75215/e/24a7f442f04cd571466a104ac88fe863内に、関連ホームページを探してリンクしてありますので、
ご参考ください。
返信する
多分。。。 (のぶ)
2011-08-20 13:57:31
共感なさっている方々は、私だけではなく、たくさんいらっしゃると思います。
ただ、、、T医師に心身共に救われた患者さんは、遠慮してコメントできないだけでは~。
私自身は、T医師とは面識はまったくないので、なんとも言い様がないのですが。
脳脊髄液減少症の知人は、M医師のあまりのクールな対応に落ち込み傷ついた時、T医師の優しい言葉にいたく癒された、と言っていました。

記事にされてしまうと、事実がゆがめられたり、ニュアンスが変わってしまう事は、よくある事です。
おそらく、ゆめさんがおっしゃるように、記者さんのまとめ方が、まずかったのでしょう。

もし、T医師の本心であったとしたら、かなりショックですが。

少し前に。実際に被災地で行われているグリーフワークの模様をテレビで見ました。。。
痛いほどその心情が分ります。勿論、部外者としてですが。。。
「つながろう日本!」というAC広告も、
企業の「この度は。。。お見舞い申し上げます」というテロップも。。。
タレントの慰問や短期間の炊き出しも。。。

上辺だけなような気がして、怒りが沸いてくる、とおっしゃられていました。
こんなマイナーな感情は私だけかも、と思うと、なかなか吐き出せないし、自責の念が噴出して、すごいストレスとなり、体調にも影響してくるようでした。

被災者の方々も、私たち患者も、その本音を封じ込める事は、心身共に良くない方向にいってしまう。と実感させられました。

「脳脊髄液減少症」は今、まさに医学界や行政、保険業界に認知してもらうために、大きく動かなくてはならない時です。
この病気は、決して「前向き」思考なんかだけで対処できるような、あまっちょろい病ではない、と思います。T医師も確か、著書の中でそのようにお書きになってらっしゃっていましたので、重々ご理解頂けているかと信じたいです
返信する
結局・・・ (のぶ)
2011-08-20 15:51:51
人は、自分が経験した以上の「痛み」は、本当の意味で理解できないって事でしょうか。。。
普段、患者さんの痛みに寄り添って下さっている医師ですら、理解できない事は多いと思います。
ある緩和医師のブログにもありました。
虫歯の痛みで、思考も集中力も判断能力も鈍り、ご自分の痛みだけで精一杯になってしまった、というある医師。。。
歯科に行き、神経を抜いてもらったら、痛みが取れ、世の中が「ピンク色」に見えたとか。
私たちのように日々、苦痛に晒されている、脳脊髄液減少症の患者からすれば、たかが虫歯で~~大げさな、って思っちゃいますが、
ご本人にしてみれば、大真面目に症状を訴えていたと思います。
普段、癌疼痛の患者さんに寄り添ってくれているはずの医師だってそうなんですよね。

癌とは違って、一見元気そうに見えてしまう、脳脊髄液減少症の患者を相手にして下さっている医師が、理解できなくたって仕方ないのかも。。。

だからこそ、患者さんが、我慢しないで、感じたままの「死んだ方がまし」な症状や心情を訴えないと、と思います。
決して「大げさ」でも「誇張」でもないのですから
返信する
ずっと思っていたこと。 (ゆめ)
2011-08-21 00:36:21
脳脊髄液減少症の脳外科医が、
脳脊髄液減少症患者の、さまざまな全身や精神にかかわる症状の治療や

精神的なフォローや、グリーフワークまで引き受けることは絶対に無理です。

ただでさえオーバーワークの脳外科医師が倒れてしまいます。

まして、脳脊髄液が減少している患者は
高次脳機能障害が多かれ少なかれ出ていて
話をうまくまとめて話せないし、
要点をうまく伝えられないし、
同じ話を何度もするし、
くどいし、しつこいし、話はどうどうめぐりで終わらないし、

そんな患者を一日何人も相手にすると、
たぶん私でもイライラしてくるし、
嫌気がさしてくるし、
もういい加減にしてくれ、って気持ちになると思います。

そんなつらい思いを、脳脊髄液減少症の脳外科医の先生たちはしていると思うと、
さぞやお疲れではと思うのです。

だから、初診再診患者の話を効率よく聞きだすかの工夫と、そのための問診票や、看護師などの協力は必要だと思うのです。

脳外科医師は(診断と治療)をしっかり担当し、
他のことは、せっかく、他科の医師や
精神保健福祉士や、精神科医や、社会福祉士など専門家がいるんですから、
これからは、そういった人たちが、どんどん脳脊髄液減少症患者のチーム医療にかかわってほしいと思っています。

そうすれば、もう少し、脳外科医も楽になるかもしれないし、ゆとりも出てくるかもしれないと。
返信する
そう、 (ゆめ)
2011-08-21 00:55:28
私も、
「この事故後遺症は、けっして、プラス思考で対処できるような、あまちょろいものではない!!」と
私は思います。

返信する
Unknown (ゆめ)
2011-08-21 00:58:55
どう、あまちょろくないかを、これだけ伝えてきても、世間にも医師にもまだまだ伝わらない。

私たち過去の事故での生き残りが死んでいなくなったら、
どうなるのでしょうか?

病名が認知されつつある現代に事故にあって、
すぐさま診断治療に行き着いたようなものすごく幸運な患者さんたちも、

何十年も病名もなく気のせい扱いされ続けてきた私たち患者も、

みんな、同じ「脳脊髄液減少症患者」としてひとくくりにされる。

病名がつくかつかないか、

患者と認めてもらえるか、もらえないか、

治療してもらえるか、
もらえない耐えるだけの時代を生きたかで、

患者の心の傷の深さも、症状の重さも、
いままで失ったものの多さも大きさも、

全然違うのに。


返信する
許してあげましょうよ。 (800万円)
2011-08-21 02:30:27
言葉を伝える、受け取るということは昔から難しいのです。
意図は?本心は?言葉の定義は?
意外と人それぞれなのですよ。
患者には患者側の苦悩があり、医師には医師側の苦悩があるはずです。
だから、お互いに許しあう気持ちが必要だと思います。
症状が重い人が偉くて軽い人が偉くないそんな発想になりませんか?
時々どこを目指しているのか見失うこともあるでしょうが、これからもご活躍を期待しております。
返信する
800万円さま、はじめまして。 (ゆめ)
2011-08-21 08:02:04
本当に、文字や言葉で伝えることは難しいものです。
それは日々、痛感していて、わかっております。

だからこそ、伝え方がまずかったのかなと想像しております。

真意がゆがめられているのでは?と。

私たち患者の理解のために、善意であったことは充分理解しております。

許すとか許さないとかではなく、
患者の感想や思いを正直に伝えているだけです。
読書感想文みたいなものです。


私は症状が重い人、長く放置された人がえらいと言っているわけではないのです。

800万円さまに
もし、そう受け取られたなら、それこそ言葉での真意のつたわらなさをさらに痛感いたします。

私は、症状が軽い人、すぐ診断がついた人、さっさと完治した人より、

病名もなく、周囲の無理解にさらされて、自ら命を絶った人こそ、脳脊髄液減少症の恐ろしさを知っていると思っています。

でもその人たちの声はもう届かない。

だから、軽症患者や事故後すぐさま時間をおかず、診断治療にいたった軽快組より

長年病名もない時代を生き抜いた人の方が、
脳脊髄液減少症が見逃される怖さを、理不尽さをいやというほど知っているはずだから、
それを、亡くなった人たちに代わって伝えなければと
思っているだけです。

でないと、脳脊髄液減少症の診断基準が、甘くて、
起立性頭痛がないと認めない診断基準になってしまって、患者がこれからも見逃される恐れがあるから。

「患者を起立性頭痛があることが前提で、しぼって、患者を多少見逃しても大丈夫だ、と
軽視されはしないか?」と心配しているのです。

だからこそ、
お伝えしているのです。

私個人はもう、人生もほとんど脳脊髄液減少症の病名をないまま終わってしまい、
もう過ぎ去った時間はもどらないから、
とりかえしもつかず、もうどうでもいいのです。

でも、
これから、脳脊髄液減少症と診断される人たちが、

かなり長い期間診断も病名もなかった時代を辛く耐えてきた人たちだった場合、

その訴えに対して、悲嘆に対して、
批判的な目で見ないであげてほしい、
「プラス思考」の名のもとに、突き放すのではなくなんとか、その傷ついた心をいやすチーム医療を確立して支えてあげてほしいと
思っているだけです。

それなのに、
私の言葉の真意も、皆さま方にうまく伝わらないのが、くやしいです。

私は、どこを目指しているのか見失ってなんかいませんよ。

もし、見失っていたら、
私はこんなに、この病気のことなんか、ブログに書き続けていません。

さっさと過去なんて忘れて、
苦しかった闘病なんて忘れて、

とっくに、もっと自分だけのために、時間も体力も有効に生かしていると思います。

こんな体力も時間もかかる、伝えても伝えても
世間に伝わらない、
こんなめんどうな「脳脊髄液減少症の認知活動」なんかかかわりたくはないからと、

あとの患者のことなんか、知ったことかと、
さっさとこんなことやめていますよ。
返信する