今日は『所有意識』について語りたいと思います。
◆◆◆◆◆◆
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん、どんどん解離していってます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219
今回も参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。
◆◆◆◆◆◆
■高価な所有意識
なぜ人は、自分の持っているものを過大評価するのか?
■保有効果
あるバスケットボールの試合の観戦チケットにまつわる実験の話。
(話を短くするためにかなり単純化しているのは予めご了承いただきたい。)
この観戦チケットを手に入れるためには、列を作って並んだ上に抽選で当選しなければならない。
つまり、とても苦労するものだと思ってほしい。
・実験1
実際のやりとりが次だ。
ウィリアムはチケットを持っていない。
「やぁ、ウィリアム。チケットは外れてしまったそうだね?」
「ええ、そうですけど」
「一枚、手配できるかもしれないよ?」
「やった!」
「1枚にいくらなら払ってもいいと思う?」
「1万円でどうでしょう?」
「それじゃぁ安すぎるよ。もっと出さないと!」
「1万5千円とか?」
「もっとだな」
ウィリアムはしばらく考えて
「1万7千5百円かな」
「たったそれだけか?」
「ええ、それ以上は1円も出せません」
「わかった。待機者リストに載せておこう。また連絡するよ。」
「ところで、どうやって1万7千5百円に辿り着いたんだい?」
「1万7千5百円あれば、スポーツバーに行って酒を飲みながら試合を見て、少し買い物できるくらいのお金が残ると思うから」
ウィリアムは、チケットに対して1万7千5百円は高額だと認識している。
--------------
次の電話の相手はジョーゼフだ。
ジョーゼフはチケットを持っている。
「やぁ、ジョーゼフ。いい話があるんだが、チケットを売る気はないかい?」
「最低額を聴かせてくれよ。」
「最低額なんて知りませんよ」
あるパチーノ風に言う
「大金を積まれれば誰だってなびくもんだぜ?」
「30万円なら売ろう。」
「おいおい、それはいくらなんでも高すぎるだろう。」
「常識的に考えてくれよ。もっと安くしてくれないか?」
「わかりました。じゃぁ24万円で。」
「そんなにもするのかい?」
「これ以上は下げられません」
「わかった。その値段で買いたいと言う人がいたら連絡するよ。」
「ところで、どうやってその値段に行きついたんだい?」
ジョーゼフは熱く語る。
「自分の人生にとって意義深いことなんだ」
「子供や孫たちにも話してあげるいい経験になる」
「なのにどうして値段をつけろっていうんです?」
「思い出に値段なんてつけられると思いますか?」
--------------
というようなやりとりを100人以上に行った結果、チケットがはずれた人は平均して1万7千円を支払う意志を見せた。
みな1万7千円という値段の理由をウィリアムの場合と同じように、「お金の他の使い道」によって調整されていた。
一方、チケットが当たった学生は、1枚のチケットに平均して24万円を要求した。
こちらは、ジョーゼフと同じように、この経験が重要で、生涯忘れえない思い出になるだろうことを価格の理由にした。
驚くべきことは、100人以上に実験したのに、買う側が支払ってもいいと思う金額でチケットを売ろうという人は1人もいなかった。
これは一体どういうことだろう?
抽選の結果が出る前は、喉から手が出るほどチケットを欲しがっている人々の一群があった。
ところが、結果が出た途端に、2つのグループに分かれたのだ。
チケットの「所有者」と「非所有者」だ。
試合の素晴らしさを想像する人たちと、チケットの代金で買える他のものを想像する人々の間に、感情の隔たりが生じた。
それも、約14倍もの隔たりだ。
ランダムな抽選によって「チケットの価値」が、これほどまでに劇的に変わってしまったのはなぜだろう?
■私たちの生活全体に浸透する所有意識
所有意識は、私たちの生活を奇妙な形で方向づけている。
人間性の中にある3つの不合理な癖のせいだという。
[1] 自分の持っているものに惚れ込んでしまう
恋のキューピット役がうまいと言われる人々がいる。
適した異性を紹介するのがうまいのだ。
だが、組み合わせを完璧にするのはその人の才能ではなく、何かを手にした途端に愛着を感じ始める人間性の力なのかもしれない。
[2] 手に入るかもしれないものより、失うかもしれないものに注目してしまう
これは前に語った『プロスペクト理論』を参照して欲しい。
人は損失に近視眼的集中を起こしてしまう。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
[3] 他の人が取引を見る視点も、自分と同じだと思い込んでしまう
どういうわけか、人間は相手が、自分と同じ気持ちや感情や思い出を共有していると思ってしまう。
しかし残念ながら、実際は必ずしもそうではない。
これは前に語ったミラーニューロンが関係しているかもしれない。
AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc
■奇妙な所有意識
所有意識には奇妙な特性がある。
1つは、私たちは何かに打ち込めば打ち込むほど、それに対する所有意識が強くなる。
それどころか、所有しているという誇りは、打ち込む際の容易さと反比例している。
難しいものほど所有感が高くなるのだ。
(家具の組み立てが難しいほど所有効果が高まることから一部では「イケア効果」と呼ぶらしい・・)
別の奇妙な特性は、「仮想の所有意識」だ。
(「仮想の所有意識」こそ本エントリの本丸だ。)
■仮想の所有意識
実際に何かを所有する前に、それに対して所有意識を持ちはじめる場合があるのだ。
ネットオークションを用いた実験がある。
月曜日の午前中、腕時計に最初の入札をし、この時点であなたの入札額が最高だったとする。
その晩、インターネットに接続した時も、あなたは一番だった。
次の晩もそうだった。
そのうちあなたは、洗練された腕時計のことを思い浮かべ始める。
自分が腕にはめているところを想像し、人に褒められているところを想像する。
そして、オークションが終わる一時間前にもう一度接続してみると、どこかの輩があなたより高い額を入札しているではないか!
あなたの腕時計が他人に取られてしまう。
そこであなたは、初めに予定していた金額をオーバーしてまで入札額を上げる。
この部分の所有意識は、ネットオークションでよくあるように入札額が上がり続ける原因の1つである。
オークションが長ければ長いほど、様々な入札者が仮想の所有意識を強め、もっと高い金額を入札するようになる。
実験では、最も長いあいだ最高額の入札者だった人は、最終的に仮想の所有意識を最も強く抱いていた。
もちろん、最高入札者の立場は危ういものだ。
そのため、いったん自分が所有者だと感じると、その立場を失わないように、しかたなくどんどん高い額を入札していた。
「仮想の所有意識」は広告業の推進力の一つになっているのは言うまでもない。
幸せそうな夫婦が高級車で海岸線を走るのを見て、そんな自分の姿を想像する。
罠が仕掛けられているところに、私たちは喜んで踏み込んでいく。
そして、まだ何も手にしていないうちから、部分的な所有者になってしまうのだ。
「お試しパック」なんかは、この仮想の所有意識を巧妙に使ったマーケティングの一種だ。
■所有意識の適応範囲
所有意識は物質的なものに限ったことではない。
ものの見方にも当てはまる。
政治に関するものであれ、スポーツに関することであれ、なんらかの思想の所有権を得たら、私たちは大事にし過ぎるほど後生大事にし、ほんとうの価値以上に高く評価するだろう。
もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。
その結果、残るモノは何か?
頑なで柔軟性のないイデオロギーだ。
自分の所有物を過大評価してしまう傾向は、人の基本的な偏向であり、自分自身に関係のあるもの全てに惚れ込み、過度に楽観的になってしまうという、もっと全般的な性向を反映している。
■所有意識から上手に逃れるためには
所有意識という病を治す既知の方法はない。
所有意識は私たちの生活に織り込まれている。
(実はある。その方法論を解くものが宗教や哲学だ。仏教では解脱という。禅をするのもいいかもしれない。)
できることと言えば、あえて自分と目的との間に距離を置くことである。
できるだけ自分が「非所有者」であるかのように考える方法だ。
■AKB48と所有意識
ようやく本題まで来て、息切れしました(汗)
関わりが深すぎて簡単に述べられないので、後述することにします。
(とかいいつつ、他のもずっと作成中のまま・・)
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さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん、どんどん解離していってます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219
今回も参考図書はダン・アリエリーの『予想通りに不合理(増補版)』です。
◆◆◆◆◆◆
■高価な所有意識
なぜ人は、自分の持っているものを過大評価するのか?
■保有効果
あるバスケットボールの試合の観戦チケットにまつわる実験の話。
(話を短くするためにかなり単純化しているのは予めご了承いただきたい。)
この観戦チケットを手に入れるためには、列を作って並んだ上に抽選で当選しなければならない。
つまり、とても苦労するものだと思ってほしい。
・実験1
「チケットを勝ち取った学生」と「チケットを勝ち取れなかった学生」の間で、どちらがよりチケットを高く評価するだろうか?
実際のやりとりが次だ。
ウィリアムはチケットを持っていない。
「やぁ、ウィリアム。チケットは外れてしまったそうだね?」
「ええ、そうですけど」
「一枚、手配できるかもしれないよ?」
「やった!」
「1枚にいくらなら払ってもいいと思う?」
「1万円でどうでしょう?」
「それじゃぁ安すぎるよ。もっと出さないと!」
「1万5千円とか?」
「もっとだな」
ウィリアムはしばらく考えて
「1万7千5百円かな」
「たったそれだけか?」
「ええ、それ以上は1円も出せません」
「わかった。待機者リストに載せておこう。また連絡するよ。」
「ところで、どうやって1万7千5百円に辿り着いたんだい?」
「1万7千5百円あれば、スポーツバーに行って酒を飲みながら試合を見て、少し買い物できるくらいのお金が残ると思うから」
ウィリアムは、チケットに対して1万7千5百円は高額だと認識している。
--------------
次の電話の相手はジョーゼフだ。
ジョーゼフはチケットを持っている。
「やぁ、ジョーゼフ。いい話があるんだが、チケットを売る気はないかい?」
「最低額を聴かせてくれよ。」
「最低額なんて知りませんよ」
あるパチーノ風に言う
「大金を積まれれば誰だってなびくもんだぜ?」
「30万円なら売ろう。」
「おいおい、それはいくらなんでも高すぎるだろう。」
「常識的に考えてくれよ。もっと安くしてくれないか?」
「わかりました。じゃぁ24万円で。」
「そんなにもするのかい?」
「これ以上は下げられません」
「わかった。その値段で買いたいと言う人がいたら連絡するよ。」
「ところで、どうやってその値段に行きついたんだい?」
ジョーゼフは熱く語る。
「自分の人生にとって意義深いことなんだ」
「子供や孫たちにも話してあげるいい経験になる」
「なのにどうして値段をつけろっていうんです?」
「思い出に値段なんてつけられると思いますか?」
--------------
というようなやりとりを100人以上に行った結果、チケットがはずれた人は平均して1万7千円を支払う意志を見せた。
みな1万7千円という値段の理由をウィリアムの場合と同じように、「お金の他の使い道」によって調整されていた。
一方、チケットが当たった学生は、1枚のチケットに平均して24万円を要求した。
こちらは、ジョーゼフと同じように、この経験が重要で、生涯忘れえない思い出になるだろうことを価格の理由にした。
驚くべきことは、100人以上に実験したのに、買う側が支払ってもいいと思う金額でチケットを売ろうという人は1人もいなかった。
これは一体どういうことだろう?
抽選の結果が出る前は、喉から手が出るほどチケットを欲しがっている人々の一群があった。
ところが、結果が出た途端に、2つのグループに分かれたのだ。
チケットの「所有者」と「非所有者」だ。
試合の素晴らしさを想像する人たちと、チケットの代金で買える他のものを想像する人々の間に、感情の隔たりが生じた。
それも、約14倍もの隔たりだ。
ランダムな抽選によって「チケットの価値」が、これほどまでに劇的に変わってしまったのはなぜだろう?
■私たちの生活全体に浸透する所有意識
所有意識は、私たちの生活を奇妙な形で方向づけている。
人間性の中にある3つの不合理な癖のせいだという。
[1] 自分の持っているものに惚れ込んでしまう
恋のキューピット役がうまいと言われる人々がいる。
適した異性を紹介するのがうまいのだ。
だが、組み合わせを完璧にするのはその人の才能ではなく、何かを手にした途端に愛着を感じ始める人間性の力なのかもしれない。
[2] 手に入るかもしれないものより、失うかもしれないものに注目してしまう
これは前に語った『プロスペクト理論』を参照して欲しい。
人は損失に近視眼的集中を起こしてしまう。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
[3] 他の人が取引を見る視点も、自分と同じだと思い込んでしまう
どういうわけか、人間は相手が、自分と同じ気持ちや感情や思い出を共有していると思ってしまう。
しかし残念ながら、実際は必ずしもそうではない。
これは前に語ったミラーニューロンが関係しているかもしれない。
AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc
■奇妙な所有意識
所有意識には奇妙な特性がある。
1つは、私たちは何かに打ち込めば打ち込むほど、それに対する所有意識が強くなる。
それどころか、所有しているという誇りは、打ち込む際の容易さと反比例している。
難しいものほど所有感が高くなるのだ。
(家具の組み立てが難しいほど所有効果が高まることから一部では「イケア効果」と呼ぶらしい・・)
別の奇妙な特性は、「仮想の所有意識」だ。
(「仮想の所有意識」こそ本エントリの本丸だ。)
■仮想の所有意識
実際に何かを所有する前に、それに対して所有意識を持ちはじめる場合があるのだ。
ネットオークションを用いた実験がある。
月曜日の午前中、腕時計に最初の入札をし、この時点であなたの入札額が最高だったとする。
その晩、インターネットに接続した時も、あなたは一番だった。
次の晩もそうだった。
そのうちあなたは、洗練された腕時計のことを思い浮かべ始める。
自分が腕にはめているところを想像し、人に褒められているところを想像する。
そして、オークションが終わる一時間前にもう一度接続してみると、どこかの輩があなたより高い額を入札しているではないか!
あなたの腕時計が他人に取られてしまう。
そこであなたは、初めに予定していた金額をオーバーしてまで入札額を上げる。
この部分の所有意識は、ネットオークションでよくあるように入札額が上がり続ける原因の1つである。
オークションが長ければ長いほど、様々な入札者が仮想の所有意識を強め、もっと高い金額を入札するようになる。
実験では、最も長いあいだ最高額の入札者だった人は、最終的に仮想の所有意識を最も強く抱いていた。
もちろん、最高入札者の立場は危ういものだ。
そのため、いったん自分が所有者だと感じると、その立場を失わないように、しかたなくどんどん高い額を入札していた。
「仮想の所有意識」は広告業の推進力の一つになっているのは言うまでもない。
幸せそうな夫婦が高級車で海岸線を走るのを見て、そんな自分の姿を想像する。
罠が仕掛けられているところに、私たちは喜んで踏み込んでいく。
そして、まだ何も手にしていないうちから、部分的な所有者になってしまうのだ。
「お試しパック」なんかは、この仮想の所有意識を巧妙に使ったマーケティングの一種だ。
■所有意識の適応範囲
所有意識は物質的なものに限ったことではない。
ものの見方にも当てはまる。
政治に関するものであれ、スポーツに関することであれ、なんらかの思想の所有権を得たら、私たちは大事にし過ぎるほど後生大事にし、ほんとうの価値以上に高く評価するだろう。
もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。
その結果、残るモノは何か?
頑なで柔軟性のないイデオロギーだ。
自分の所有物を過大評価してしまう傾向は、人の基本的な偏向であり、自分自身に関係のあるもの全てに惚れ込み、過度に楽観的になってしまうという、もっと全般的な性向を反映している。
■所有意識から上手に逃れるためには
所有意識という病を治す既知の方法はない。
所有意識は私たちの生活に織り込まれている。
(実はある。その方法論を解くものが宗教や哲学だ。仏教では解脱という。禅をするのもいいかもしれない。)
できることと言えば、あえて自分と目的との間に距離を置くことである。
できるだけ自分が「非所有者」であるかのように考える方法だ。
■AKB48と所有意識
ようやく本題まで来て、息切れしました(汗)
関わりが深すぎて簡単に述べられないので、後述することにします。
(とかいいつつ、他のもずっと作成中のまま・・)
移籍等様々な行いについて過剰な反応が起こるのはなぜかが説明できそうな気がしますね。
大変でしょうが完成楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
既にネタバレしてますが、総選挙&ググタスによる仮想の所有意識や、握手会における認知に関する所有意識などを語りつつ、アンチや過剰な批判の発生要因を柔軟性を欠くイデオロギーの問題を、二律背反というか表裏一体のものとして描けるといいなと。
ただ、構想を考えただけでお腹いっぱいなので、完成はずっと先かもしれません(笑)