「実際に会う」ことの重要性:研究結果(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201102/2011021722.html
世界がドットコム・バブルに沸いていたころ、多くの人は、インターネットの台頭によって「地理的な場所」が重要な時代は終わると予想していた。しかし、その予想は外れたようだ。
以下、この問題に関する、David Brooks氏による優れたコラムから引用しよう。
[ハーバード大学の経済学者Edward Glaeser氏は新著『Triumph of the City』(都市の勝利)において、グローバルな情報ネットワークの時代であるにもかかわらず、実際の都市がより重要になってきていると主張している。]なぜなら人間は、物理的に一緒にいるときに最もうまくコミュニケーションがとれるからだ。
[中略]
都市は人々の力を拡大すると、Glaeser氏は主張する。人が密集した環境では、アイディアがすばやく拡散しやすいためだ。グローバルな市場で競争したい人にとっては、都市の中心部近くにいることが大いに役立つ。業界の地理的な中心地の近くに居を構える企業のほうが生産性は高い。都市部の労働者は都市外に住む労働者よりスキルの向上ペースが速いため、年ごとの賃金上昇ペースも速くなる。(略)
大学出身者の数が多い都市は豊かになる傾向がある。大都市圏では大学出身者の数が10倍で10%多く、個人の収入額は7.7倍7.7%多い。都市部での高卒者の収入にも同じ傾向がみられる。
Mailや何らかのWebシステム、TV会議システムで仕事を
遂行したことのある人なら誰にでもわかることがある。
それは、業務を遂行するために必要なコストの内に占める
コミュニケーション・コストの割合が非常に大きくなるということで、
しかもそれは、業務やプロジェクトの規模が大きくなればなるほど大きくなる。
そして、TV会議システムではわかりえないことが、
出張して直接に1つのテーブルで話し合えば、即座に分かり合えたりする。
私自身、長い間、国内外の複数の物理的に離れているところに
拠点を構える企業と仕事をしてきたため、これは逃れようのない事実として理解している。
理由はリンク先の研究結果を待つまでもなく、実感としてわかる。
それは「絶対的な情報量の違い」のせいだ。
人は言葉だけで円滑なコミュニケーションをとることができない。
なぜなら、「言葉」というのが非常に不完全なコミュニケーション・ツールだからだ。
人は、言葉を使って伝えたい意図を正確に表現することができないし、
また、言葉を使って相手が伝えたい意図を正確に受け取ることもできない。
それが話し言葉であっても書き言葉であっても同じことで、
結局、人の思考は言葉ほどに単純ではないので、
人がテレパシーなどのような意図を正確に伝えるツールを持たない限り、
コミュニケーション上に生じる相互理解のギャップは生じてしまう。
さらに、コミュニケーション・ギャップは、単に相互理解を阻むというだけではなく、
人のコミュニケーションへの情熱を失わせてしまう。
人は、理解し合えないと感じるとやる気を失うのだ。
より正確に言えば、人はギャップを意識すると、より低レベルの相互理解で妥協してしまう。
到達可能な程度に目標設定を下げることをするということだ。
このコミュニケーション・ギャップを乗り越える最も有効な手段が、
原始的だが直接話し合うという行為である。
原始的ではあるが、直接対面して理解し合うという行為は、人が原始人の時代よりずっと前から、
もともと備え持っているコミュニケーション・スキルであり、より本質的な行為とも言える。
逆に言えば、このことは、人類が直接話合う行為よりも、
より本質的なスキルやツールを開発できていないことを示している。
人類がテクノロジの進化によって手にしたのは、
この本質的なスキルを補完するものばかりなのである。
直接会って話し合う行為で伝達される情報は言葉だけではない。
人と人のコミュニケーションの内、非言語コミュニケーションが90%以上だといわれているが
直接会って話し合えば、表情、声色、息づかい、身振り手振り、色気、雰囲気、などなど
そういったものはMailやTV会議システムでは伝えにくい。
言葉と言葉から零れ落ちる意味を伝えるために重要なのは、非言語コミュニケーションなのだ。
リンク先では「情報が拡散しやすい」などの理由を挙げているが
それもつまるところは絶対的な情報量が違うからである。
それともう一つ、これは忘れがちな視点だが、
情報を伝達する時、人はそこに意図を加えることがある。
入力された情報を解釈し、それを出力として伝える行為だ。
これは正確な情報共有という点ではマイナスな要素もあるのだが、
実は、一人ひとりに情報の解釈と加工という機会を与え、
新しい付加価値を生み出す可能性を持っているという点でプラスの要素もある。
ICTの技術で正確な情報共有が可能になったという話しはよくあるが、
その「正確な情報共有」のために一夫で失っている「人が考える機会」について
指摘する人はなかなかいない。
http://wiredvision.jp/news/201102/2011021722.html
世界がドットコム・バブルに沸いていたころ、多くの人は、インターネットの台頭によって「地理的な場所」が重要な時代は終わると予想していた。しかし、その予想は外れたようだ。
以下、この問題に関する、David Brooks氏による優れたコラムから引用しよう。
[ハーバード大学の経済学者Edward Glaeser氏は新著『Triumph of the City』(都市の勝利)において、グローバルな情報ネットワークの時代であるにもかかわらず、実際の都市がより重要になってきていると主張している。]なぜなら人間は、物理的に一緒にいるときに最もうまくコミュニケーションがとれるからだ。
[中略]
都市は人々の力を拡大すると、Glaeser氏は主張する。人が密集した環境では、アイディアがすばやく拡散しやすいためだ。グローバルな市場で競争したい人にとっては、都市の中心部近くにいることが大いに役立つ。業界の地理的な中心地の近くに居を構える企業のほうが生産性は高い。都市部の労働者は都市外に住む労働者よりスキルの向上ペースが速いため、年ごとの賃金上昇ペースも速くなる。(略)
大学出身者の数が多い都市は豊かになる傾向がある。大都市圏では大学出身者の数が10倍で10%多く、個人の収入額は7.7倍7.7%多い。都市部での高卒者の収入にも同じ傾向がみられる。
Mailや何らかのWebシステム、TV会議システムで仕事を
遂行したことのある人なら誰にでもわかることがある。
それは、業務を遂行するために必要なコストの内に占める
コミュニケーション・コストの割合が非常に大きくなるということで、
しかもそれは、業務やプロジェクトの規模が大きくなればなるほど大きくなる。
そして、TV会議システムではわかりえないことが、
出張して直接に1つのテーブルで話し合えば、即座に分かり合えたりする。
私自身、長い間、国内外の複数の物理的に離れているところに
拠点を構える企業と仕事をしてきたため、これは逃れようのない事実として理解している。
理由はリンク先の研究結果を待つまでもなく、実感としてわかる。
それは「絶対的な情報量の違い」のせいだ。
人は言葉だけで円滑なコミュニケーションをとることができない。
なぜなら、「言葉」というのが非常に不完全なコミュニケーション・ツールだからだ。
人は、言葉を使って伝えたい意図を正確に表現することができないし、
また、言葉を使って相手が伝えたい意図を正確に受け取ることもできない。
それが話し言葉であっても書き言葉であっても同じことで、
結局、人の思考は言葉ほどに単純ではないので、
人がテレパシーなどのような意図を正確に伝えるツールを持たない限り、
コミュニケーション上に生じる相互理解のギャップは生じてしまう。
さらに、コミュニケーション・ギャップは、単に相互理解を阻むというだけではなく、
人のコミュニケーションへの情熱を失わせてしまう。
人は、理解し合えないと感じるとやる気を失うのだ。
より正確に言えば、人はギャップを意識すると、より低レベルの相互理解で妥協してしまう。
到達可能な程度に目標設定を下げることをするということだ。
このコミュニケーション・ギャップを乗り越える最も有効な手段が、
原始的だが直接話し合うという行為である。
原始的ではあるが、直接対面して理解し合うという行為は、人が原始人の時代よりずっと前から、
もともと備え持っているコミュニケーション・スキルであり、より本質的な行為とも言える。
逆に言えば、このことは、人類が直接話合う行為よりも、
より本質的なスキルやツールを開発できていないことを示している。
人類がテクノロジの進化によって手にしたのは、
この本質的なスキルを補完するものばかりなのである。
直接会って話し合う行為で伝達される情報は言葉だけではない。
人と人のコミュニケーションの内、非言語コミュニケーションが90%以上だといわれているが
直接会って話し合えば、表情、声色、息づかい、身振り手振り、色気、雰囲気、などなど
そういったものはMailやTV会議システムでは伝えにくい。
言葉と言葉から零れ落ちる意味を伝えるために重要なのは、非言語コミュニケーションなのだ。
リンク先では「情報が拡散しやすい」などの理由を挙げているが
それもつまるところは絶対的な情報量が違うからである。
それともう一つ、これは忘れがちな視点だが、
情報を伝達する時、人はそこに意図を加えることがある。
入力された情報を解釈し、それを出力として伝える行為だ。
これは正確な情報共有という点ではマイナスな要素もあるのだが、
実は、一人ひとりに情報の解釈と加工という機会を与え、
新しい付加価値を生み出す可能性を持っているという点でプラスの要素もある。
ICTの技術で正確な情報共有が可能になったという話しはよくあるが、
その「正確な情報共有」のために一夫で失っている「人が考える機会」について
指摘する人はなかなかいない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます