『【AKB48】 過去の恋愛経験は不問でよい』を補足します。
最近は少なくなったのですが、前はよく恋愛相談に乗っていました。
その中で、男性特有のある悩みに遭遇することが稀にあります。
それは「彼女の恋愛経験について」でした。
この種の悩みを持つ男性は、往々にして恋愛経験の少ない人が多かったように思います。
私は、この悩みについて、いつも同じ回答をします。
今日はそのお話です。
処女信仰はどこからくるか。
「恋愛経験の少なさ」から来ます。
ここでいう恋愛経験とは、実体験の量を言うのではなく、質をいうのです。
どれだけ場数を踏んだかではなく、どれだけ関係を深めたかです。
(どれだけ場数を踏んでも学ばない人は学ばない。)
なぜ恋愛経験が少ないと、処女を信仰したくなるのでしょうか。
それは、恋愛経験の多寡によって、人間関係おいて重要視される項目が違ってくるからです。
もちろん、実態は言うほど単純ではなく、複雑です。
恋愛経験の多い猛者が処女の希少性に目を向ける時もあります。
性的対象としてのみ女性を捉えた時、その希少性に価値を見出す人々もおります。
年老いて、若き日のトラウマ(青春コンプレックス)に駆られて、青春を追い求めて処女を追及する人もいるでしょう。
因果関係を網羅することはできないが、あくまでも俯瞰して端的に述べる場合のお話です。
なぜ、恋愛経験の多寡が人間関係に影響を及ぼすのでしょうか。
幾つか例を挙げて考えていきましょう。
(こういう時はたとえ話が理解を深めるのに有効です。)
あなたは彼女のために料理を作ります。
あなたはカレーを作ることにしました。
あなたは彼女への精一杯の気持ちを込めてカレーを作り上げます。
ここで3通りの彼女を考えます。
彼女Aは、これまでの人生でカレーを食べたことも作ったこともありません。
彼女Bは、これまで100種類ほどのカレーを食べた経験を持つカレーオタクです。
彼女Cは、カレーが好きで自身でカレーを作ることも多々あります。
彼女Aが言いました。
「おいしい!このカレー最高!」
彼女Bが言いました。
「これまで食べたカレーで一番美味しい!」
彼女Cが言いました。
「自分でも作るからわかる。このカレーの味を出すためにどれだけの時間と労力が必要であったかを。嬉しい!」
あなたの心には、どの彼女の言葉が響きましたか?
きっとあなたと彼女の関係性によって結果は異なることでしょう。
彼女Aの人も、彼女Bの人も、彼女Cの人もいるでしょう。
時と場合によって、答えが変わることもあるでしょう。
その時の気分によってもかわります。
しかし、あなたがどの言葉がしっくりくるかにおいて、最も影響を与えるものがあります。
あなたが「あなたと彼女の関係において何を求めているか」によって決まるということです。
そして、あなたが何を求めるかは、あなたが「何を求めるべきと考えているか」によって決まります。
さらにこれは、あなたが「何を知っているか」によって決まるのです。
あなたは彼女のために料理を作ります。
あなたはカレーを作ることにしました。
あなたは彼女への精一杯の気持ちを込めてカレーを作り上げます。
あなたが「彼女への精一杯の気持ちを込めて」をどれだけ知っているかが重要です。
あなたに気持ちがなければ、彼女の言葉はなんでもよいでしょう。
あなたは何も求めていないからです。
あなたが精一杯の気持ちを込めたら、それなりの反応が欲しくなります。
共感したいことが出てくるからです。
でも、気持ちの込め方を知らなかったら?
気持ちの込め方を知っている人は、その込めたもので共感できたら嬉しいでしょう。
あなたが何かを知っていれば、誰かとの関係において共感する軸が生まれるということです。
あなたが何も知らなければ、誰かと共感する軸がないのですから、言葉なんてどうでもよいことでしょう。
そんな時、あなたは「条件」を気にすることになるでしょう。
他の価値を知らないのだから、理解しやすい条件を気にするのです。
恋愛の本質とは何であるか?
それは機能ではない。
希少性をいうのか。
もちろん、それはある。
だが、真の意味では理解をいうのだ。
★★★★★★
さて、ここまでは本質論のお話でしたが、ここからは、ではアイドルビジネスにおいて処女信仰をどう考えるかという点について議論していきます。
と、時間がなくなったので、一度ここでリリースします。
最近は少なくなったのですが、前はよく恋愛相談に乗っていました。
その中で、男性特有のある悩みに遭遇することが稀にあります。
それは「彼女の恋愛経験について」でした。
この種の悩みを持つ男性は、往々にして恋愛経験の少ない人が多かったように思います。
私は、この悩みについて、いつも同じ回答をします。
今日はそのお話です。
処女信仰はどこからくるか。
「恋愛経験の少なさ」から来ます。
ここでいう恋愛経験とは、実体験の量を言うのではなく、質をいうのです。
どれだけ場数を踏んだかではなく、どれだけ関係を深めたかです。
(どれだけ場数を踏んでも学ばない人は学ばない。)
なぜ恋愛経験が少ないと、処女を信仰したくなるのでしょうか。
それは、恋愛経験の多寡によって、人間関係おいて重要視される項目が違ってくるからです。
もちろん、実態は言うほど単純ではなく、複雑です。
恋愛経験の多い猛者が処女の希少性に目を向ける時もあります。
性的対象としてのみ女性を捉えた時、その希少性に価値を見出す人々もおります。
年老いて、若き日のトラウマ(青春コンプレックス)に駆られて、青春を追い求めて処女を追及する人もいるでしょう。
因果関係を網羅することはできないが、あくまでも俯瞰して端的に述べる場合のお話です。
なぜ、恋愛経験の多寡が人間関係に影響を及ぼすのでしょうか。
幾つか例を挙げて考えていきましょう。
(こういう時はたとえ話が理解を深めるのに有効です。)
あなたは彼女のために料理を作ります。
あなたはカレーを作ることにしました。
あなたは彼女への精一杯の気持ちを込めてカレーを作り上げます。
ここで3通りの彼女を考えます。
彼女Aは、これまでの人生でカレーを食べたことも作ったこともありません。
彼女Bは、これまで100種類ほどのカレーを食べた経験を持つカレーオタクです。
彼女Cは、カレーが好きで自身でカレーを作ることも多々あります。
彼女Aが言いました。
「おいしい!このカレー最高!」
彼女Bが言いました。
「これまで食べたカレーで一番美味しい!」
彼女Cが言いました。
「自分でも作るからわかる。このカレーの味を出すためにどれだけの時間と労力が必要であったかを。嬉しい!」
あなたの心には、どの彼女の言葉が響きましたか?
きっとあなたと彼女の関係性によって結果は異なることでしょう。
彼女Aの人も、彼女Bの人も、彼女Cの人もいるでしょう。
時と場合によって、答えが変わることもあるでしょう。
その時の気分によってもかわります。
しかし、あなたがどの言葉がしっくりくるかにおいて、最も影響を与えるものがあります。
あなたが「あなたと彼女の関係において何を求めているか」によって決まるということです。
そして、あなたが何を求めるかは、あなたが「何を求めるべきと考えているか」によって決まります。
さらにこれは、あなたが「何を知っているか」によって決まるのです。
あなたは彼女のために料理を作ります。
あなたはカレーを作ることにしました。
あなたは彼女への精一杯の気持ちを込めてカレーを作り上げます。
あなたが「彼女への精一杯の気持ちを込めて」をどれだけ知っているかが重要です。
あなたに気持ちがなければ、彼女の言葉はなんでもよいでしょう。
あなたは何も求めていないからです。
あなたが精一杯の気持ちを込めたら、それなりの反応が欲しくなります。
共感したいことが出てくるからです。
でも、気持ちの込め方を知らなかったら?
気持ちの込め方を知っている人は、その込めたもので共感できたら嬉しいでしょう。
あなたが何かを知っていれば、誰かとの関係において共感する軸が生まれるということです。
あなたが何も知らなければ、誰かと共感する軸がないのですから、言葉なんてどうでもよいことでしょう。
そんな時、あなたは「条件」を気にすることになるでしょう。
他の価値を知らないのだから、理解しやすい条件を気にするのです。
恋愛の本質とは何であるか?
それは機能ではない。
希少性をいうのか。
もちろん、それはある。
だが、真の意味では理解をいうのだ。
★★★★★★
さて、ここまでは本質論のお話でしたが、ここからは、ではアイドルビジネスにおいて処女信仰をどう考えるかという点について議論していきます。
と、時間がなくなったので、一度ここでリリースします。
たとえば、目の前に出された食事が、もし誰かが既に手を付けていたものだった場合、良い気持ちはしない。自分のものは誰も手を付けていて欲しくない、とても素直な感情のように思います。
しかし、それは対象を物理的なモノとしてしか捉えていない側面がある。対象が人であった場合、それはとても悲しいことです。本来はもっと普遍的な内面的なものに目を向ける必要がある。
でも、多くの場合、最初は外見から入るもの。内面的な部分、それは時間をかけて熟成させるものであり、握手会などで距離を近づけることで深まるもの。そういったイベントもアイドル寿命を延ばすための戦略とも言える。今でも人気のある、いわゆる往年のアイドルは良い成功例といえそうだ。
興味を外と内のどちらに向けさせるか、それによって考え方、取るべき戦略は変わってくる。
コメントありがとうございます。
途中なのにコメントもらえて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
なるほど「独占欲」ですか。
「嫉妬」はあるでしょうね。
実はつづきで「嫉妬」についても触れるつもりでおりましたが、独占欲とは少し違うかなと思います。
というのは、独占可能性は相手が処女であるかに依存しないからです。
相手を独占できるか、独占しているかは、処女であるかに関係がないです。
ですので、tamkumarさんが独占したいものは何かを考えたいと思います。
>たとえば、目の前に出された食事が、もし誰かが既に手を付けていたものだった場合、良い気持ちはしない。自分のものは誰も手を付けていて欲しくない、とても素直な感情のように思います。
↑この発想が処女信仰そのものなのだと思います。
失礼なら申し訳ないのですが、tamkumarさんは処女信仰を多少なりともお持ちの方とお見受けしました(笑)
非常に良い例を出して頂けた気がします。
あえて極論を使います。
誰かが手を付けたカレー。
なぜ良い気持ちがしませんか?
カレーとしてはなんら問題ないですよね。
(手を付けたことによる細菌やらの害はないとします。)
形が崩れていることが嫌ですか?
では、形が崩れていなかったらどうですか?
それでも嫌ですか?
だとしたら何が嫌ですか?
自分のものに手を付けられたからですか?
では、あなたのカレーが、あなたの前に出されたものがそうだとしたら?
あなたのカレーは100とします。
120のカレーを作っておいて、先に20を他の誰かが食べました。
残り100ですが、あなたのカレーはしっかりと残っています。
あなたはカレーを独占できています。
それでも何が嫌ですか?
カレーを彼女に置き換えましょう。
目の前にいる彼女が、処女か処女でないかで物理的な差異がありますでしょうか?
何が嫌ですか?
差異があるとすれば、違いがあると感じている人の心の中にあるのです。
つまりこういうことです。
あなたはカレーが欲しいのではありません。
とても精神的なものを欲しがっているのです。
なので、↓これは逆です。
>しかし、それは対象を物理的なモノとしてしか捉えていない側面がある。対象が人であった場合、それはとても悲しいことです。本来はもっと普遍的な内面的なものに目を向ける必要がある。
対象を物理的なモノとして捉えておらず、とても精神的なものとして捉えているのです。
処女という条件に価値を見出しているということです。
価値は有用性、希少性、象徴性の3つから成ると言われますが、処女という条件は明らかに有用性に当てはまりません。
処女は機能ではないからです。
ですから、処女の希少性と象徴性に価値を見出しているということです。
その彼女が処女である希少性と、処女そのものの象徴性に価値を見出していると。
つまり、ダイヤモンドや金に価値を見出すのと同じです。
そうです。
これが「信仰」です。
誤解して欲しくないのは、私はダイヤモンド好きな人を否定するつもりは全くありません。
私も結婚指輪にはダイヤモンドを買いました。
結婚指輪そのものが信仰で、私はその信仰に従いました。
私も幾つかのものを信仰する人間です。
ただ、私がこのエントリで主張したいのは、その信仰がどこから来るか、それは知らないことから来るという認識です。
ある種、機能主義的に考えれば、結婚指輪はどうでもよいかもしれません。
(結婚ですらどうでもよいかもしれません。)
長くなってきたので、最後にAKB48つながりということで秋元康氏の作詞した「愛が生まれた日」の歌詞を紹介して締めたいと思います。
(藤谷美和子・大内義昭のデュエットで大ヒットしました。)
~~~~~~~~~~~~~~~
愛が生まれた日 忘れない
生きてきたその理由を・・
あなたがいれば それだけでいい
・・・めぐり逢えた
いくつかの別れと 涙が 地図になり
世界で一番 素敵な場所に 辿りついた
愛が生まれた日 この瞬間に
真実はひとつだけ
あなたとならば 生きて行ける
愛が生まれた日 この瞬間に
永遠が始まるよ
君とだったら 生きて行ける
・・・めぐり逢えた