進化する魂

フリートーク
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【AKB48】 アイドルにとっての「第3の道」

2012-02-26 10:28:59 | AKB48



以前から、3.11の時も何度か主張していることなのだが、また語ろうと思う。

「決める」ということは「諦める」ということと同義語だ。

なぜなら「諦める」必要がなければ「決める」必要がない。

だから、2つの可能性があるとき、どちらか一方を選ぶ必要がある場合、もう一方を諦めなければならない。

「決断」や「英断」というものは、その一方で同時に「諦める」ということなのだ。

「諦める」ゆえに「覚悟」が必要なのである。

一方の可能性を捨てる「勇気」であり、「意志」であろう。



「決める」ことのできない人は、「諦める」ことができない人である。

優柔不断は「諦める」ことが出来ない人のことをいう。

また、責任のある意思決定というものが往々にして苦しいのは、何かを「諦める」ことだからなのである。



AKB48の「恋愛禁止条例」においても、同様のことが言える。

AKB48として生きることを「決める」のであれば、当然、その一方で「諦める」必要がある。

先に述べた論理で考えれば、「諦める」必要があるから「決める」必要があるのである。

あれもこれもと選べるのであれば、それはそれでよい。

しかし、何かを得るために、何かを「諦める」必要があるのであれば、そうも言っていられないだろう。



アイドルとして生きる道を選んだときに、「恋愛」が諦める必要のあるものなのか。

それは、極端なことを言えば、人が仏門にはいる(出家する)とき、現世との縁を切るのと似ている。

決まった時刻に、決まった方角に向かって礼拝するのにも似ている。

そうしなければならない根拠は、宇宙のルールにはない。

そうしなければならないと、決断した人たちがいるのだ。

「恋愛禁止条例」とは、恋愛を諦めなければ、アイドルとして生きて得るものがないと決めた宗教である。

アイドルという偶像を崇拝する宗教「アイドル教」の、その中でも戒律に重点を置く「AKB48派」なのである。

宗教でたとえるのが不適切なのであれば、「AKB48学派」とでも呼べばよい。


「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676

「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9



ここでは、「恋愛禁止条例」について述べたが、これは他の全ての問題においても同様である。

たとえば「卒業」がそれである。



そして、この議論をする場合に、もう一つ重要な論点がある。

それは、人には「決める」と「諦める」の2つの選択肢しか与えられていないが、選択する対象は「選べる」ということだ。

今、目の前にAとBの選択肢がある。

どちらかを選ぶ決断(つまりもう片方を諦める)ことを迫られている。

しかし、ひょっとしたら、Cという選択肢があるのかもしれない。

Aでもなく、Bでもない。

AもBも諦めず、両方得ることのできるCという選択肢を、もし発見することができるのであれば、それを選ぶことができる。



これは、仏教や禅などで伝える境地である。

ヘーゲルの弁証法もまた、これである。

相互に矛盾するテーゼ<命題>とアンチテーゼ<反命題>を、1つ上の次元で統合(止揚)し、新たな命題(ジンテーゼ)を導くプロセスである。

人類の進化というものは、そうやって、目の前の問題を1つ上の次元での解決を積み重ねてきた歴史でもある。



おそらくは、秋元康氏や、その周辺にいるもの、また一部のファンは、

AKB48が、アイドルという既成の概念を超えていくことを夢見ている。

「第3の道」だ。

イギリス労働党のブレア政権で提唱された概念だ。

ブレーンであった社会学者アンソニー・ギデンズは、資本主義と社会主義に対する新しい政治思想「第3の道」を唱え、世界的なムーブメントになった。
(日本でも菅直人が提唱したことで有名となった。)



AKB48が、アイドルの「第3の道」を示してくれるのか。

私はワクワクしながら見ている。


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