日本は「日本」を主張せよ
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昨日は、仕事を早くに終えると、帰宅途中に美容院に寄りました。
(どうでもいいことだけど・・)
私は隠れ家的美容院に通っていて、担当のマスターは、社会派マスターで、私とはいつも時事ネタで熱い議論になります。
普通は、客の意見とぶつからないように話を展開するものですが、そのマスターはたいてい自説を持っていて、納得しないと意見が対立することもしばしばです。
といっても、お互いの意見を述べ合うという程度のもので、喧嘩や険悪になるわけではありません。
あくまでも大人の談笑です。
いわゆる「床屋談義(この場合は美容院談義か・・)」ですね。
昨日の議論を少し紹介します。
髪を切りながら話をしていると、何かの拍子に外交ネタになり、そこから中国での死刑問題に及びました。
そこで、私は、昨日のエントリで書いた内容の論理を展開しました。
すると、彼は私の考えに同意しながらこういうのです。
マスター:「でも、やっぱりそいつは生きていてもしょうがないやつだったんじゃ?」
わたしー:「そうだとしても、それとこれとは別ですよ。」
マスター:「むしろ、日本の法律や当局が裁けていなかったところを中国にやってもらったと思っちゃう人もいるんじゃ?」
わたしー:「いや、だからさ、それだったら日本人は日本の法律を帰るべきなんだと思うんですよね。自分達が目指すべき方向性を明らかにしないのが日本っぽさとは言えるんですけどね。それじゃだめだと思いますよ私は。」
マスター:「この間もさ、警察がさ~・・」
(などなど、日本の治安当局の不甲斐無さや不平等感をとうとうと述べる)
わたしー:「確かに、日本人が今回の事件を肯定している背景には、日本人の不平等意識の問題がありますね。」
わたしー:「裁かれるべき人が裁かれていないというような想いが強くあると思いますね。」
わたしー:「日本人って心の中に秘めてる真っ黒な想いを出さず、心の中で人を殺すんですよ。呪いですね。祟りとか、鎮魂とか、そういう文化ありますね。
わたしー:「日本の呪いって黒魔術とは違うんですよ。そこに一種の陰湿性というか、個を認めない和の文化が垣間見えるっていうか・・。」
マスター:「う~ん。」
話はつづく。。
私はマスターとの会話を経て、日本人の怨念に想いを馳せずにはいられなかった。
この国は、怨念の国である。
自らは手を下さず、呪いによって人を裁くのである。
日本人は見た目には人がよさそうであるが、それがスピリチュアルな観点で成熟しているのかといわれると、必ずしもそうではないのである。
と、なんかそんな書籍があったような気もするな。