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進化する魂

フリートーク
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費用負担のない便益など存在しない

2009-09-23 10:44:34 | 哲学・思想
今日も内田樹ネタです。
(私は彼と考え方が似ているのです)

デモクラシーのコスト(内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2009/09/17_1112.php

人類が誕生して数百万年、有史と言われる時代が1万年近くあるわけですが、紆余差局しつつ我々は「民主主義」という政治形態を採用しています。
(民主主義の定義は何かという小難しい話はここでは省きます)
共産主義でも社会主義でも、まして専制国家でも封建制度でもなく、なぜ「民主主義」なのでしょうか。

歴史にあまり興味のない人は、共産主義=旧ソ連的な暗い社会や、専制国家=中世の貴族社会などをイメージするかもしれません。
一部の富める権力者と多くの奴隷のような労働者というピラミッド構造に終わりを告げた制度が民主主義なのだと。
参政権や投票権を国民全員に与えられ、国民一人ひとりが主役の制度であると。
実際、私は学校で「いかに民主主義が素晴らしいか」ということを無根拠に教わりました。
正確にいえば無根拠ではなく、実態的には「いかに共産主義や専制国家がひどいか」という話の相対として「民主主義の素晴らしさ」を説かれたのです。
私が小さい頃は、熟年の先生は戦後の影響を色濃く受けており、そしてまだ冷戦下でありましたので「大きな物語」が通用する時代でした。
先生は民主主義の素晴らしさを生徒に教えるのに苦労する時代ではなかったのです。

しかし、このは教え方はフェアではありません

我々が本当の意味で民主主義の素晴らしさに気づくためには、民主主義の利点と共産主義の欠点に光を当てるとともに、民主主義の欠点と共産主義の利点にも光を当てなければなりません。
民主主義への信任が国民の思考停止によって維持されているものだとしたら、その上に成立している民主主義・政治というものもまた思考停止によって維持されているものだからです。
国民が民主主義をよりよく理解することによって、より政治が洗練されていくものだということを知ることが重要です。

では、民主主義がどのようなものなのかを内田樹の言葉を用いて考えていきましょう。


デモクラシーというのは「そういうもの」だからである。
トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』の中で、デモクラシーはアリストクラシーに比べて不完全な制度であるが、それでも美点があると書いている。
「アメリカのデモクラシーにおいて、民衆はしばしば権力を託する人物の選択を誤る。」
しかし、そのような「間違って選ばれた統治者」たちの手で現にアメリカは繁栄している。
なぜか。
それは「デモクラシーにおいて、公務員が他より権力を悪用するとしても、権力をもつ期間は一般に長くはない」からである。(アレクシス・ド・トクヴィル、 「アメリカにおけるデモクラシーについて」、岩永健吉郎訳、『中央公論世界の名著33』、中央公論社、1970年、456頁)
デモクラシーが前提にする人間観は、人間はたいていの場合、権力を長くもつと「悪いこと」をするという経験則である。
だから、統治者を定期的に交替させるルールが必要である。
統治者が非常に有能であった場合、彼に交替を要求することは心理的にも、制度的にも困難になる。だから、できれば、統治者は最初からそれほど有能でない人間を選んだ方がいい。
統治者はただ民意の代表者でありさえすればよい。
それがアメリカのデモクラシーの本質だとトクヴィルは看破するのである。
「疑いもなく、支配者に徳と才とが備わっていることは、国民の福祉にとって重要である。しかし、それにもまして重要なのは、被支配者大衆に反する利害をもたぬことである。もし民衆と利害が相反したら、支配者の徳はほとんど用がなく、才能は有害になろうからである。」(457頁)
トクヴィルがこの文章を書いたのはアメリカが建国して60年ほどのことである。
その時点でトクヴィルはよくデモクラシーの本質を見抜いたと思う。
有能で有徳だが、「民衆の利害と相反する」政策を行う統治者よりは、さして有能でも有徳でもないが、「民衆と利害を共にする」統治者の方が好ましい。「賢い統治者」よりは「身の丈にあった統治者」の方が好ましい。
それがデモクラシーの公理である。
私は「官僚主導」から「政治主導」へというのは、その意味でデモクラシーの「本道」だと思う。
日本の官僚たちは、必ずしも有徳ではないが、多くの場合政治家たちよりも有能である。
そして、自分たちが構想した国家ヴィジョンが「民意」に従うよりも国益の増大に資すると判断した場合には、「民意」に抵抗することを厭わない。
何が悲しくて「有能な官僚」が「無能な政治家」や「愚鈍な選挙民」の風下に立たなければならぬのか、と官僚たちは不満げに言うであろう。たしかに理屈に合わない。
だが、それがデモクラシーなのだ。
「ただしい官僚」の意見よりも「間違った民衆」の意見を優先する。
それはその方が「ただしい」からではない(「ただしい」のは官僚の方なのだから、民衆の意見は間違っているに決まっている)。
けれども、短期的にはそれで失敗があっても、長期的に見た場合にはその方が利得が大きいのである。
というのは「官僚」たちは自説に固執するが、「民衆」はころころ意見を変えるからである。
官僚の判断が仮に99%ただしくても、1%の誤りを犯すことがある。だが、そのとき彼らは「勝率99%」を理由にして、その1%の誤りを決して認めない。
民衆の判断は多くの場合誤るが、彼らは「何だかこの政策はうまく行っていない」と感じたら、100%の確率で意見を変える。
ビューロクラシーとデモクラシーの差はこの1%の差にしかない。そして、その1%が国家存亡の分岐点になることがあるという経験知が私たちをデモクラシーに導いたのである。


そうです。
民主主義というのは、全く完璧ではない考え、いや制度なのです。
他に比べてよさそうだ。というに過ぎないものです。

民主主義を表す言葉として、イギリスの元首相W・チャーチルのものがよく引用されます。
民主主義はくそったれだが、他のどれよりもマシだ。」
(かなり意訳)

彼が首相であった時は、まだ共産主義国家隆盛の時代でした。
皆が「私の考える○○主義が最も優れている!」と皆が本気で訴えていた時代です。
その中にあって彼の洞察は優れていると現代において認識されています。
(言葉だけ独り歩きしているのかもしれませんが)

確かに共産主義に欠点は多いのですが、それと同時に民主主義にも同じ数だけ欠点があるのです。
我々が民主主義を採用するのは、他と比較して優位性があると認めたからであって、絶対的優位性が確認されているからではないのです

このことは、万事にあてはまる原理ともいえるものです。
宇宙に絶対的基準なるものが存在せず全てが相対的なものであるなら、全ての問題の解はトレードオフ的なものにならざるを得ないのです。
少し哲学的な(つまり理解しにくくいい加減な)表現を使うと、何にでもなる可能性を一つの結果に確定するという行為は、何にでもなれた可能性を限定するという行為といえるわけです。
(決断という行為が常に諦めるという行為と同義語であるということと同じです)
何らかの利得(結果を確定)を得ようとすれば、必ず何らかの損失(可能性の限定)を得ることになります。
つまり、メリットの裏には必ずデメリットがあるのです。
(もし、あなたが絶対神を認める宗派等に属しているのなら無理はいいませんが・・)
内田樹がいうように、民主主義のメリットを享受するためのデメリットも同時に存在していることを理解しなければなりません。

このあたりは世界屈指の自由民主主義国家アメリカ合衆国でも大衆レベルでは十分に認識されておらず、オバマを社会主義者だと言って批判する人々が多々いるようです。
「社会主義だから駄目」とか「自由主義に反するから駄目」とか、無根拠にそういう論理を使ってはいけません。
現在の日本でも無根拠な「小泉・竹中構造改革」批判と、その批判者に対して「社会主義者」のレッテルを貼って無根拠な批判が目立ちます。
(もちろん中には骨のある有意な批判も多々ありますが。)
しっかりとお互いの利点・欠点を知った上でなければ両者の相互理解を構築することはできないでしょう。

なんだか話の途中で終わってしまった感もありますが、物事に向き合う際の基本的な姿勢についての持論を展開させていただきました。

河野太郎の夏

2009-09-23 01:08:54 | 政治
シルバーウィーク中は多忙のため更新できていません。
休み前にようやくアクセス数が伸びはじめていたところでしたので、もったいない限りです。
ネットワークアクセス・コストが高い環境にいるということの他に、まとまった時間をとることができないことが主な要因です。
ほんの空いた2,3分単位で起動&スタンバイが瞬時で行え持ち運びコストの低いポケッタブルPCのようなものが欲しくなります。
分断された時間を仮想的にデ・フラグメンテーションすると大そうな時間になるはずなのですが。
(一日のうちほとんどが暇な時間のような気がします)

書きたいことは多々ありますが、時間がないのでいつもの焼き直しです。
当Blog発足当初からの主張である「河野太郎を自民党総裁に」について少し流れが出てきた気がします。

自民党が参院選に勝つ唯一の道(池田信夫)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d5a3a2bcc1ede917c0a77ccbf76959ed

↓熱い!

河野太郎の自民党総裁選挙(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=2xpD65P7kTE&feature=player_embedded

この認識がいたってまともだと思うのだが、自民党の中にいてはそうではないらしい。

自民党は総裁選で負けてよかった
新しい政党に生まれ変わることができるチャンスを手にしたのだから。
自民党の夏はこれからだ。