進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

少子化問題の本質

2009-09-16 22:50:34 | 社会
時間がないので簡単に。

増子化対策(内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php


一見すると、それぞれの人の自由意思の結果のようであるけれど、親族形成が類的宿命である以上、それに逆らう行動をとることには、個人の意思を超えた強い規制力が働いていると考えなければならない。
人口の増減はその社会の「キャリング・キャパシティ」によって決定される(これは人口社会学の古田隆彦さんに教えてもらった)。
carrying capacity というのは一定の環境の中に一種類の生物がどれだけ棲息できるか、その上限数のことである。「環境収容力」とも「環境許容量」ともいう。
グッピーの雌雄50匹を栄養の十分な養魚鉢に入れておくと、卵が孵化するたびに成魚が幼魚を食べ、個体数の増加を抑える。さらに成魚同士が共食いを始め、九匹になったところで個体数が安定する。(古田隆彦、『日本人はどこまで減るか』、幻冬舎新書、2008年、47頁)
人間もこの法則から自由ではない。
列島の環境収容力は1億3000万人で上限に達した。
だから、これから安定的な個体数になるまで減り続けるであろう。


私は上記の考えに同意するのであるが、しかし彼は一つ見落としている。
彼の主張が正しければ、我々は個人の意思を超えた環境条件に制約されているのだ。
であるならば、ある条件下では日本の環境収容力は1億3000万人かもしれないが、条件が変われば数値も変わるはずだ

日本の人口が減ることが環境収容力に制約された事象であるならば、逆に環境収容力が増せば日本の人口が減るのではなく増える可能性がある。
いわゆる少子化問題への適切な取り組みとしての政治の役割は、環境収容力を制限しているボトルネックを発見し、取り除くことだ
もし、生物学的限界により環境収容力が頭打ちなのだとしたら、それはそれで我々が成すべきは華麗なる撤退戦であり、少子化対策でも増子化対策でもない。
少なくても「グローバル資本主義」などというイデオロギーが本質的問題なのではない。
(でも何度も読み返しているうちにやっぱり彼と私は表現は違えど似たようなことを言いたいと思っている気がしてきました。)
彼が最初に主張しているように、個人の意思を超えた環境条件に制約されていることの結果なのだ。

本質的には、やる必要を感じなければやらないし、やらなければならないと思えばやる。
環境に適用しようとした結果なのだ。
ただ、それだけの話だ。


この話は単純そうに見えて、実はあらゆる問題について共通する本質的なことなのです。
問題の本質を、イデオロギーや個々人の資質的なものに求めると必ず誤まった道を歩むことになります。
これについては後日まとめます。

鳩山政権のサプライズ人事

2009-09-16 21:30:51 | 政治
本記事はバイアスのかかった無責任ネタです。

鳩山内閣で亀井静香氏が郵政担当相だけでなく金融担当相を兼務するという驚愕の人事が行われました。
郵政民営化のあり方については推進派から反対派まで様々な議論があり、一言ではまとめられませんのでここでは触れませんが、郵政民営化見直しを主張していた民主党が政権与党になった以上、同じ路線の国民新党の党首が担当相になることは仕方のない面があると思います。
(野党第一党の洗練化に期待する他ありません。)

しかし、金融担当相も兼務という選択は一体どういった意図による判断なのでしょうか。
おそらく、多くの人が鳩山氏の頭の中がどうなっているのかと疑問に思っているはずです。
(「サプライズはなかった」というTVコメンテーターの見識とは一体・・)

個人的には民主党議員の中で選ぶなら大塚耕平氏が適任かと思いますし、金融業界は時代とともに新しい知見が求められますので、政治家でなくても民間人ならよりよかったとも思います。
(大塚氏は国家戦略局もしくは政調にということなのでしょうか?)
そこで、当Blogでは鳩山新首相の判断を独自の偏見を基にトレースしてみたいと思います。
(人間の得意技である思考実験です。)

まず、本件がなぜ騒がれる人事なのか。というあたりから見て行きます。
早速というか当然というべきか、一部の方々から「国民新党の主張からして相当リスクのある人事だ」と懸念の声が上がっています。

まず、国民新党が主張する政策を確認してみましょう。
国民新党 2009政権政策
http://www.kokumin.or.jp/seiken-seisaku/index.shtml

詳しくは上記のリンクを辿っていただきたいのですが、経済に対する考え方は、大企業や高額所得者に増税するとともに無利子国債等を増発し、積極的財政政策を実施することで年6%成長、5年後に税収80兆円増を目指すとしています。
全政策における基本方針としては、弱者への給付を厚くし、強者に対して規制を強くする。
社会内の小規模コミュニティを重視し、分断された個人のネットワーク化を推進する。
私には「みんなで弱気を助け、強気をくじく」を目指す政党というように思えます。

個別的にみていきますと、金融関係の政策としては、下記のようなものが挙げられています。
緊急金融安定化対策について
http://www.kokumin.or.jp/seisaku/20081017.shtml
- 時価会計の無期限停止
- 自己資本比率の撤廃
- ペイオフ制度の適用停止
- 公的資金による資本注入
- など

なるほど。
ここまで短い説明をしてきましたが、これだけでだいたい国民新党がどういう政党かわかると思います。

そうです。
旧来あったと思われる(でも頭の中にしか存在しない)「三丁目の夕日」的、日本社会を目指す「社会民主主義」に根ざした政党です。
それも、北欧型の社会民主主義ではなく、国民に(見せ掛け上)重い負担を求めない都合のよい社会民主主義です
「社会民主主義」を略すと「社民党」で既存政党と重複してしまうので、公には社民党とは言えず、「国民新党」になっておりますが。
(連立が組めるのもよくわかります。)

彼らのように、古き良き日本に対するノスタルジーを捨てることができずにいる人々は数え切れないほど多いと思いますし、私には個人の情緒的感傷を否定する気は全くありませんが、人間が正確に過去を振り返ることができないことだけは忘れてはならないと思います。
我々が覚えている「過去」は、本当に「あの時の過去」なのでしょうか?
このあたりは後日、日を改めてまとめたいと思います。(宿題ばっかりたまっていく・・)

連立政権そして担当相だからといっても、民主党との数の力学からすれば、亀井氏の思ったとおりに事が進むとは到底思えませんが、このような政党の党首が金融担当相を兼務するのです。
市場関係者が騒がないはずがないわけです。

考えてみてください。
「かんぽの宿」の問題すら理解できない彼が、つまり市場のことを理解しようともしない彼が金融担当相に就くのです
市場の混乱は火を見るより明らかではないでしょうか。

時価会計の無期限停止」というのは市場の存在意義でもある重要な機能の一つの「価格決定メカニズム」を破壊する行為であります。
自己資本比率の撤廃」の具体的意味を私は理解することができていません。
党の目指す方向と間逆だと思うのですが、誰か教えてください。
ペイオフ制度の適用停止」については気持ちはわかりますが、これも目指す方向と間逆のナンセンスな政策です。
リーマンショックの複数あるうちの一つの原因は、自己責任が徹底されていなかったことによる過度な投機だと思います。
自分の行いが社会を破壊し連鎖的に自分をも破壊する可能性がある場合、投機は抑制されるでしょう。
ペイオフ制度がなぜ必要かといえば、(諸説ありますが)意識を変えるためにあると私は考えます。
公的資金による資本注入」はよくゾンビ繁殖事業などと言われるわけですが、よく考えてみてください。
老齢で自由に動くこともできないが命だけは長らえている状況を考えてみましょう。
そのまま200歳まで生きろといわれるのが嬉しいのですか。
生まれ変わって新しい命を生きようと思うのではないでしょうか。
人間にとって何が幸せかということを問い直してみて、それを企業にも当てはめてみる想像力が欠如しているのです。
進む道がなく苦しくてどうしようもなくなっている人を、どうして解放してあげるだけの優しさがないのでしょうか。
もう進む道がないのなら、新しい道があることをさとしてあげる必要があるのに、その勇気がないのです。
がんばってる人に「がんばれ」といっても無駄であり、これは指導者としての責任放棄です。
「まだがんばれ」、「やればできる」といって無根拠にがんばらせるのは根性論以外の何者でもありません。
その人を助けたつもりが、結果としてその人を苦しめることになることは多々あることです。

(少し脱線しました・・)

言葉足らずではありますが、日本経済が生きるか死ぬかのこの時に、亀井氏の金融担当相への起用は有り得ない!!
ということがなんとなくわかっていただけると助かります。

しかし!
しかし!
しかしだ!

前置きが長かったのですが、ここからが当記事の本題です。

では、なぜ鳩山氏は亀井氏を金融担当相を兼務させたかのかという疑問が残ります。

最適化理論を論ずるオペレーションズ・リサーチ(昨日知ったところによると鳩山氏は今も学会員のようです)を専門領域とするPh.D Hatoyamaが、そんな単純なこともわからず亀井氏を金融担当相にアサインするはずがありません!
私が当記事で述べたことは、もちろん全て計算に入っているはずです。
彼が座わることになる内閣総理大臣の椅子に座った気持ちで最適とは何かを考えてみる必要があります。

結論から述べましょう。

鳩山由起夫氏は、日本から「経済大国」という名の亡霊を引きずりおろし、友愛という名のもとに新しい国家を構築しようとしているのです!!

民主党のマニフェストに成長戦略がなかったことが話題になりましたが、それもそのはずです。
彼には成長戦略の必要性なんて見えていないのだから!!
彼が追い求めるものは、国民の生活が豊かになることであって、経済的相対地位なんてものには興味がないのです。
国民の全員が「3丁目の夕日」的幸せを享受できる政治を目指しているのです。
目指す世界が異なるのだから、友愛反対派のみなさんから批判を受けるのは仕方がありません

しかしながら、ここに日本ではあまり議論されることがないけれども、非常に重要な問題があります
前述したことは、社民、国民とも共通することなのですが、これは「人々の幸せ」を規定せんとする典型的な社会主義の姿なのです。
(○○主義なんてラベルが重要だとは全く思っていませんが)

精神的自由を尊重するという姿勢が見えればリベラルになるし、経済的自由を尊重すればコンサバになるといったところでしょうが、どちらでもないのでこれは典型的な「社会主義」です。
(ちなみに精神も経済も自由を尊重するのはリバタリアニズムといわれています。)
そんな社会主義政党が、大きな政府&規制強化路線を直走るのも特段変わったことではありません。

今、日本はグローバル自由主義経済の大波にのまれようとしております。
このままでは日本は強制的に激しい競争に引きずり込まれ、結果の不平等が生まれ、国民の間に不信感が渦巻くようになってしまう、だから民主党は友愛の旗印の下に防波堤にならねばならない!
そういうことなのだと思います。

だから彼らは自由主義に反旗を翻したのです。

是非ここに自由主義防衛軍として自民党が登場してくると、面白い闘いが繰り広げられそうです。
その先頭は河野太郎氏がよいと思います。
彼の割り切った性格は自民党内で攻撃力最高だと思います。
間違っても谷垣氏が選ばれないことを願います。
余計なものを捨て去ることができなければ、自民党は再生できない。