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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

やるな増田

2012-11-29 02:45:04 | AKB48_心の叫び
【週刊文春】AKB48増田有華、ISSAとお泊り不倫愛(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51854053.html


【速報】AKB48増田有華 週刊誌の報道を受け辞退を発表(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51854084.html



やるな、増田。

潔い。

さすがベテランメンバー。

ベテランらしい、実にAKB48メンバーらしい決断であった。

理念に反することはなんであれ許されないことを身をもって示したのである。

増田はAKB48メンバーとしてただ生きる道ではなく、

AKB48メンバーとして誇り高く生きる道を選んだのである。

平米騒動を思い出した。


本当にファンならば、米沢・平嶋を辞めさせてあげるべき
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/dba091475661864fbfa6d107ddca8faf

2人には古参ゆえのプロ意識があるのです。(AKB48への理解)
プロ意識の欠如ゆえに引き起こしてしまった事態ですが、それと同時にプロ意識ゆえに脱退するのです。
これは、その昔、侍が切腹を誇りとしたのに近い理由です。

切腹の言い渡し理由が、理不尽である場合もあったでしょう。
なぜその人が死なねばならぬのか、疑問に思った人もいるはずです。
しかし、侍は、侍として生きる道を選ぶからこそ、切腹するのです。

侍には、他にも選択肢はあるのです。
切腹するくらいなら、死んだつもりになって違う選択肢を選ぶこともできます。
刺し違い覚悟で一矢報いることも、逃げることも、弁解することもできます。
しかし、侍は自らの体を自ら切り刻む選択をします。
クレイジーかもしれません。
でも、それが侍であるための作法なのです。

侍として生きるために死ぬ。
これを矛盾と見るか、誇りと見るか、それは考え方、視点、意識の違いです。

2人は、AKB48のメンバーゆえに辞めなければならないのです。
AKB48のメンバーとして活動中には、AKB48のメンバーになりきれていなかったのです。
だから最後に、AKB48のメンバーとして生きるために、AKB48を辞めるのです。

それが、米沢・平嶋の両名がAKB48のメンバーであることの証拠であり、誇りなのです。
2人に批判を受け入れる覚悟があるのは言うまでもありません。
2人の侍がそう思っている時に、親方はぐっと我慢するのが作法というものです。

だから、死に花を咲かせてやるのが、ファンのあり方というものです。
ここで2人を引き止めるのは、2人の誇りを傷つけるやり方であるし、2人のためになりません。

侍もAKB48も、所詮は人工物です。
人が、そういうものだと決め付けた枠組みです。
その枠組みの外で生きることだってできます。
でも、人は、誇りや気高さを手に入れるために、その枠を求めます。
ただ生きるということよりも、誇り高く、気高く生きたいと、人は心からそう思うからです。

2人には、誇り高く、気高く生きて欲しい、私はそう思います。
もし、地獄の底を見て這い上がってくるなら、その時、本当のファンなら手を差し伸べてあげてください。


2人を解雇した方が誰もが楽だったのです。
一罰百戒の効果も期待できたはずです。
でも2人とも辞退する結果になりました。
そのことをもって、AKB48はAKB48であり続けることもできる。
そう言えると、私は思っています。




それと、来るべきものが来てるということだ。

あれだけ人数が、古参も増えてきてるわけだから、押し寄せる波の数は増えていくだろう。

特にAKB48がヒットしてからは活動は外に向かっていってるわけだから、外部との接触も自然と増える。


いいじゃないか。

それでこそ、やり甲斐がある。

立ち向かい甲斐があるというものだ。

疲労困憊でナチュラルハイになっているから言うわけではなく、

当たり前のものが目の前にあるというだけだ。

ここからが勝負だ。


ここを乗り越えることができれば「恋愛禁止条例」は本物になる。

もし、ここで「恋愛禁止条例」が瓦解するようなことがあると、AKB48が崩壊するだろう。

理念の喪失だ。

そんなことをすれば、至る所でほころびが出始める。

そんな軟弱なAKB48はお呼びでない。

デヴィ夫人は既にAKB48側の人 ~井の中の蛙~

2012-11-18 09:00:57 | AKB48_心の叫び
デヴィ夫人が「AKB48は日本人を幼稚に」(AKB48タイムズ)
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/20021906.html



AKB48を批判したい気持ちは、感覚的にはわかる。


そう、「感覚的」にね。


そしてそれが全て。


どういうことか?


人間には、直感で判断してしまう癖があるということだ。


つまり、人間は気を付けていないと「直感で判断してしまう癖」で思わぬ判断をしたり、利用されたりするということだ。


例えば、今回の場合、AKB48を批判しているつもりで、実はもうAKB48の世界に足を踏み入れてる。


生態として見れば、まとめサイトで活躍するアンチたちとなんら変わらないのである。


ダニエル・カーネマンの「ヒューリスティックとバイアス」である。


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「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


■ヒューリスティックとバイアス

説明に入るまえに、1つステップを踏みます。
プロスペクト理論を理解するにあたって知っておきたいのが「ヒューリスティックとバイアス」です。

バイアスというのは「偏見」だと思ってください。
ヒューリスティックというのは、人が判断するときに多用する直感的判断のことです。
直感的判断は、簡便で素早く結論を導き出しますが、バイアスという弊害があります。

進化論的な考え方としては、「直感」は、動物と共通して持っている「知覚」メカニズムから進化してきたメカニズムで、人間だけが持っているもっと高度な「推論」のメカニズムとの間の橋渡しをしているとされています。

 知覚 → 直感 → 推論


直感には制約があります。
たとえば、トランプに関するこんな問題を考えます。

[1] トランプ1枚の面積はどのくらいか?

[2] トランプ1組の厚みはどのくらいか?

[3] 1組分のトランプ全部を足した面積はどのくらいか?

[1]と[2]は直感的に処理できます。
しかし、[3]については計算してみないとわかりません。
直感的判断では解けない問題です。

直感を正確に定義することは難しいのですが、直感というのは、私達が一生懸命に努力して考えるのとは対照的な、大変に素早く働く考えのことです。
だいたいの場合、私達は直感的に考えています。
私達のもっとも熟練した認知活動のいくつかは直感によってなされているのです。
ただ、直感は、非常に洗練され大変高度なことをするのですが、系統だったバイアスやエラーを犯してしまう傾向があります。
じっくり考えた後であっても、時には直感から来る印象や判断が訂正されない場合もあります。
人が下す最終的な判断の中には、直感が犯しがちエラーの痕跡が見られるわけです。


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そういうことで、元スレにあった↓このコメントが全てである。





自分もネタを提供する1人になっているのだと、気づくべきなのだ。


JOHNNYS’ World ジャニーズ・ワールド の 凄さ!(デヴィの独り言 独断と偏見)
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11405705021.html


きっと腰をぬかすでしょう。
きっと 自分達は ”井の中の蛙” だったことに気づき、
開眼することでしょう。



ブーメランというやつだ。

今朝の出来事 と 心の井戸

2012-10-31 10:40:56 | AKB48_心の叫び

なななんと!!

こういうことはあまり言ってはいけないのかもしれませんが、

今朝、まりやぎさんとあべまさんと同じ電車でした!

ご、ごろりーず

かなり近い距離で。

チラチラ見ると迷惑かなと思って、気づかないフリをしていました!

たぶん、二人に気づいているのは私だけだったと思います!

いや~親近感が沸きました。

今後も応援していきたいと思います。


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天啓だ。

後付バイアスと言われてもなんと言われても、

誰にもわかってもらえなくても、

今朝の出来事は、私には大きな意味があった。

「こっちに進め」という采配である。



実は、多忙や様々な失望を誘う出来事に気力を失っていた。

一生のうちに何度も経験するやつだ。

何かに不満があるわけじゃないし、いろんな人の想いや期待を感じることもできている。

ただ、今、歩んでいるその道を進むことに、自分自身が納得できないでいた。

自分自身の手応えがないからだ。

人は、「これだ」という道を歩んでいる時には、心が反応するものだ。

自分の奥底の方から湧き出てくるものがある。

それが枯渇してしまっていた。

毎日が眠くて、景色が色褪せて見え、音楽に気づきさえできない。

耳をすましても何も聴こえてこない。

あるはずの知識も霧散してしまった。

自分の人生にも、AKB48からも距離を置こうと思っていた。



だが、今日2人を見かけて気づいた。



眼の前に幾つかの道があって、だけど一つしか選べないとしたら、

それは一つの道でしか歩めないということなのだろうか。

しかし、古今東西の思想家や哲学者が明らかにしてきたが

「表」と「裏」も、一つ上の次元でみれば同じものである。

私は、この道で、表と裏を生きる。



急に心の井戸からいろんなものが噴出してきたぞ!!


チーム4は終わってなどいない。これがはじまりだ。

2012-10-26 14:33:16 | AKB48_心の叫び


チーム4「僕の太陽」千秋楽まとめ(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51848776.html


みんな、わかっていないな。

本当の「チーム4」はこれからはじまるのだよ。

「プランB」だ。



そもそも「チーム」というのは、何によって定義されるのものなのか?

チームというのは、所属を記した名簿のことなのか?

チームというのは人と人とが影響し合うその関係性のことだろう。

それを縛ることはできるか。

縛られたいと思うか。



私が考えるなら、1年後には本当の「チーム4」がみんなの前に現れるだろう。

AKB48運営には期待している。

チーム4の真価が問われるのはこれからだ。


今回の騒動のおかげで、AKB48から「規律」が失われていることが明らかになった。

2012-09-27 11:07:20 | AKB48_心の叫び

「AKB48」というものを、ある一側面から象徴していたのが佐藤亜美菜だった。

運営から特段の優遇も受けずとも、メンバーとしての資質が認められれば、ファンからの熱い支持が得られることを示した。

また、その仕組みは、AKB48という顧客参加型グループだから可能になった。

ある観点からの「AKB48らしさの体現者」とでも言おうか。

また「干されメンヲタ vs. 運営」の先駆者でもある。



第4回選抜総選挙において、特徴的であったのが、古参メンバーの躍進である。

とりわけ梅田彩佳の選抜入りは、多くの人に勇気を与えたことだろう。

苦労人梅田の23歳での選抜入りだ。

高橋みなみではないが、「努力は報われる」ということを知らしめた。



佐藤亜美菜には大きなチャンスがあったと思う。

紆余差曲あったが、長年の不遇、物語を築き上げるには十分な材料が揃っている。

AKB48ファンとしてAKB48に入り、不遇にもめげずAKB48に奉仕する姿は、多くの人の共感を得ることができるストーリーだ。

あとは本人の意思と、演出の問題だけであった。



だが、今回の件で、それもおしまいだろう。

これまで佐藤自身の噂が絶えなかった上に、週刊文春の前田敦子の合コン報道で周囲が騒がしくなっていたタイミングで、今回の騒動。

意識の高低うんぬんの前に「佐藤亜美菜はAKB48にマジではない」ということが広く知れ渡ってしまった。

一度貼られたラベルは、そう簡単には剥がせない。

信頼を失うのは容易いが、失った信頼を再び得るにはその何倍もの努力が必要になる。

関係者の気持ちを慮ると・・残念だ。



いろいろ考えたが、「馬鹿」の一言に尽きる。

時期が時期だけに弁解の余地もない。

今回も「カラオケであって合コンではない」「合コンは恋愛ではない」「運営は許可している」などという全く本質ではない言い訳が流布しているが、

もし、問題はないと思っての行動なら、自分の信じるところに従っての行動なら、堂々としていればいい。

バレたから隠すというのでは、余計に誰にも信じてもらえない。



運営が意思を示さないからこういうことが起きる。

何度も繰り返すように、組織から「規律」が失われていることが問題だ。

今回の件によって、AKB48という組織から「規律」が失われているということがよくわかった。

もし、AKB48の品質に関する問題を各事務所に預けるというのなら、もう運営にはAKB48全体の方向性を決定する力はないということだ。

AKB48の未来も危ういものとなるだろう。

運営に組織運営者としての自覚が足りないと思う。

それとも、意図的な無作為なのか。

遅すぎるということはないから、今から学習しないか。

すばらしい学習の機会になったと言おうじゃないか。

この問題の本質を再認識しない限り、今後もこの手の問題は起き続けるだろう。

人と自己存在を繋ぐチャネルとしてAKB48を捉え直せば、恋愛禁止条例も理解しやすい?

2012-09-23 14:51:20 | AKB48_心の叫び
しつこいですが、今日も恋愛禁止条例の話。


「努力と結果」と「マジ」から恋愛禁止条例を捉えなおす ~アイドル教AKB48派~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/06274a88e4fb6eb09fdaa1c1cb125590


↑前回のエントリを書いていたら、ふと日本理化学工業の会長、大山泰弘さんのことを思い出した。

恋愛禁止条例の是非に関する議論に欠けている論点が、この日本理化学工業にはあると思ったからだ。

今回は、私がいつも述べる「理念」だとか「生き様」だとかとは少しだけ違う視点から、恋愛禁止条例について考えを述べたい。


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日本理化学工業株式会社
http://www.rikagaku.co.jp/


いろんなメディアで取り上げられた企業なので知ってる人もいると思うが、日本理化学工業は、1937年(昭和12年)に設立された老舗チョークメーカーである。

(最新の情報が手元にないので少し前の情報になるが、2008年当時は社員数が73人、売上は5億3900万円、純利益が1600万円、売り上げの7割をチョークが占め、国内シェア30%)

日本理化学工業が注目される理由は、社員の7割が知的障害者だからである。

しかし、同社は障害者のために設立された会社ではなく、あくまでも営利企業である。

そんな日本理化学工業が障害者を雇うきっかけはなんであったのか。



1959年、ある養護学校の教員が同社に訪れ、その施設の子供の採用を懇願してきた。

当時、2代目社長として経営を引き継いだばかりであった大山さんは、「障害者は足手まといになる」と断った。

経営者として当然の判断かもしれない。

しかし、その教員は諦めずに何度も何度も大山さんに懇願した。

何度目かの時、教員はついに諦めた。

ただし、採用は諦めるが、施設の子供たちに働く体験をさせて欲しいと願い出た。

期間は2週間。

大山さんは、2週間で済むならという気持ちで引き受けることにした。


こうして、日本理化学工業は2人の15歳の少女を2週間だけ受け入れ、彼女らができそうな単純な仕事を形式的に与えた。

すると、2人は毎朝誰よりも早く会社に来て、声をかけるまで手を止めないほど真面目に働き続けた。

約束の2週間が終わろうという頃、大山さんに2人の雇用継続を願い出たのは、なんと現場の社員たちだった。

「この子たちを採用してください。私たちが面倒を見ますから。」という。

小さなチョーク製造会社に余裕があるはずがなかったが、一生懸命に働く彼女らの姿と、それを支援する社員たちのことを想うと、大山さんは彼らを採用したいという感情が込み上げた。

悩んだ大山さんの背中を押したのは、創業者である父が病床でつぶやいた言葉だったという。

「知的障害者が働く会社が、ひとつくらい日本にあってもいいだろう。やってみたらいい。」

この2人の少女は、その後定年退社を超えてまで同社で働くことになる。



社員の7割が知的障害者で、業界トップの業績を上げるようになるまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

まずもって、知的障害者を雇用することは、効率性の面では決してよいこととは言えない。

普通であれば、一度で済む指示や説明を、何度も繰り返さなければならない。

また、一般社員は自分の仕事だけではなく、障害者のケアまでしなければならない。

事実、そうした不満が社内に充満したこともあったという。

金融機関からも、「なぜ障害者を雇用するのか」と疑問の声があがった。

しかし、大山さんは障害者雇用を優先する理念を貫いた。

大山さんはこう説明する。

(これは、非常に重要な論点なので、噛みしめて読んでもらいたい。)


 障害者を雇うようになって数年たっても、彼らがなぜ喜んで工場に通ってくるのか、私は不思議でなりませんでした。工場で働くよりも施設で暮らした方が幸せではないかと思っていました。言うことを聞かないため「施設に帰すよ」と言うと、泣きながら嫌がる障害者の気持ちがわかりませんでした。

 そんな時、ある法事で禅寺のお坊さんと席が隣り合わせになり、その疑問をぶつけたことがありました。するとそのお坊さんは即座に、

「幸せとは、(1)人に愛されること、(2)人に褒められること、(3)人の役に立つこと、(4)人に必要とされることです。愛はともかく、あとの3つは仕事で得られることですよ。」

とおっしゃったのです。私のその言葉に深く納得しました。人が働くことは、自分のためであるが、人のためでもある。企業が利益を追求するのは当然ですが、同時に社員が幸せを求める場であると考えるようになりました。

 49年前、知的障害者の受け入れを始めたのはほんの偶然でしたが、健常者・障害者を問わず、働けることは幸せなことであり、その幸せを与える場が企業なのだと考えるようになった私は、障害者雇用にこれまで以上に積極的になりました。


もちろん、理想ばかり高くても飯が食えねばならない。

当然のことながら、日本理化学工業は「知的障害者の戦力化」のための様々な工夫をしている。

「人間を工程に合わせるのではなく、工程を人間に合わせる」という発想のもと、1人ひとりの特性に合わせて最も効果的な作業を考案しているのだが、その点を語りだすと長くなるので、詳細は他を参考して欲しい。


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私は、この話の中に、恋愛禁止条例に関する議論の混乱を解決する糸口があると思っている。

それは、お坊さんが語ったとされる人間の幸せについての部分だ。

「幸せとは、�人に愛されること、�人に褒められること、�人の役に立つこと、�人に必要とされることです。愛はともなく、あとの3つは仕事で得られることですよ。」


(こういう時に便利な)「マズローの欲求段階説」を使って、この話題について考えてみよう。





人生は(狭義の意味での)「恋愛」だけで構成されているわけではない。

「恋愛」は偉大ではあるが、あくまでも人生を構成する重要な要素の1つだ。

その他にも重要な要素は数多ある。

それを「仕事」という媒体を通して得られるのだとしたら?

(もちろん仕事以外によってでも得られるだろうけれども。相対的に仕事が得やすいという話。)

そして、人はそれらの要素を総動員して、「自分という存在」を確かめようとする。

人生は、ありたい自己を確立するための、そのありたい自己というものが何なのかを知るための旅だ。



「人」と「仕事」を繋ぐ「チャネル」、最終的には「自己存在」を探求するための「チャネル」として『AKB48』を捉え直した時、「恋愛禁止条例」が持つ意味を理解できるのではないだろうか。

(芸能界予備校という概念ではこれを説明づけられない。早急に古臭くなったフレームワークから脱却しよう。)

大山さんの言葉を、読み替えてみよう。

49年前、知的障害者の受け入れを始めたのはほんの偶然でしたが、健常者・障害者を問わず、働けることは幸せなことであり、その幸せを与える場が企業なのだと考えるようになった私は、障害者雇用にこれまで以上に積極的になりました。


企業をAKB48に、知的障害者をメンバーに置き換えてみれば、きっと感じるものがあるに違いない。

「努力と結果」と「マジ」から恋愛禁止条例を捉えなおす ~アイドル教AKB48派~

2012-09-22 10:09:23 | AKB48_心の叫び
昨日の補足

「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1fdb9f4aa28287548cbf6f689fdb0bd6


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前回、『「努力と結果」のイデオロギーからの脱却』の重要性と、そのイデオロギーが近代思想のフレームワークだと説明した。

しかしながら、誤解してはならないのは、そのイデオロギーは必要だから、重要だから我々にとって当たり前のことになったのである。

近代における人間社会の飛躍的発展の背景には、「勤勉であることが有効である」と信じる人々が一定多数必要だったのだ。

不確実性を排除して、結果がある程度に見通せること、つまり、「がんばれば未来は明るい」とする信仰がなければ、今の不遇に耐えながら努力することができたであったであろうか。

「努力と結果」の関係が見えることは、非常に重要なのだ。



だが、情報通信技術の発展が、勤勉であることの意味を変えた。

人々が多くの情報を触れることが可能になると、ある意味で人々が賢くなると、未来を見通すことがより簡単になる。

すると何が起きたか。

人々は「諦め」はじめた。

本質的に現実は不確実で不可知なものであるのだが、情報は(人々の不安を回避したい欲求もあいまって)不確実性を排除して未来を可知可能なものに変える。

ここで重要なポイントは、「技術の発展により入手可能になった情報を処理するだけの十分な能力を人間が先天的には有していない。」ということである。

(このあたりについては、当Blogの行動経済学シリーズをどうぞ)



また、人間は様々な意味で学習し、成長する生き物であるのだが、ここに学習のジレンマがある。

現在という位置から、将来自分が何を学び、どう成長するのかを見通せないというジレンマである。

学ぶ前に、学んだ後の自分のことがわかるわけがないのである。

今自分が見る世界と、10年後の自分が見る世界とは異なるであろうことは、誰にでも予想できるにも関わらず、人間は未来を見通すとき、今の自分から見える世界を基にする。

今の自分から見えるもの、今の自分にできることを基にして、未来を考えるというわけだ。

端的に言うと、状況は常に動的に変化するものであるから、未来を見通すことは非常に難しいものだのだが、人間は未来を単純なものとして決め込んでしまう習性を持っているとうことだろう。



近代社会において「努力と結果」の関係が見えることが社会善として求められたわけだが、その弊害として未来は単純なものとなった。

このジレンマが、現代の閉塞感に繋がっている。

社会には「諦め」と「冷笑」が溢れている。

こんな環境においては、アイドルなどというのは茶番でしかなかった。



そこに颯爽と現れたのが、AKB48という「マジ」であろう。

今日のジレンマを乗り越えるためには、「努力と結果」のイデオロギーから脱却し、「マジ」になることが有効であり、それがAKB48が老若男女問わず熱狂的に支持される所以である。

それゆえAKB48は、「マジ」を素晴らしいとする美意識を礼賛し、崇め奉らなければならない。

「マジ」から外れることは、なんであれ軽蔑し、排除するべきである。



以上の視点から「恋愛禁止条例とはルールではなく理念である。」ということを考えれば、多少は理解されるのではないだろうか。

AKB48とは、アイドル教AKB48派なのである。



「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676


「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9

「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄

2012-09-21 15:20:42 | AKB48_心の叫び
このエントリは、参照するリンク先の主張を批判するためのものではなく、あくまでも当Blogの意見を主張するためのネタとして使うものであります。
「よいネタを提供してくださりありがとうございます。」という気持ちで書いているので、その点誤解がないことを祈ります。

m(_ _)m


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AKBじゃんけん大会に見る、我らの競争と戦争
http://blogos.com/article/47089/

「全力で努力(献身)しなさい、ただし結果(報酬)は求めるな」



まず、リンク先のブロガーの方が↑の言葉を問題視したくなってしまうのは、「努力には結果がある」というのが近代教育の賜物であり、思い込みがあるからである。

(結果をどう定義するか次第だが)


AKB48が努力を推奨するのは、「努力をして結果を出せ」と言いたいからではなく、「努力せよ、努力する姿が美しいのだ」と言いたいからである。

それは、人が「母が子を守る姿」や「甲子園球児が全力プレーをする姿」などのような「何かのために自己犠牲をいとわない姿」に美しさを見い出す生き物だから、というところを哲学的な基点としている。

そもそも、「献身」というのは「自己犠牲」のことであり、見返りを求めない行為なのであるからして、「報酬」を求めないのは当たり前なのである。


むしろ、逆である。

AKB48が問いかけているものは、

「結果」が得られることがわかっていなければ、「努力」できないのか?


というまさに近代思想に対するアンチテーゼなのである。

そのことを理解した上で、下記の論説を読めば、視点が真逆であることがわかる。


結果が偶然でしか決まらないから、手を抜いたり、その場から実質上「降りる」などという態度は、不道徳であり、また美しくないのである。

努力の結果(報酬)を全く求めない、求めてはならない行為が、全身全霊での奉仕が、こうして称揚され、強要される。


だが、誰がそれを強要するのか?

産業のシステムであり、国の体制が、それを押し付けてくるのだ。

どれほど結果(報酬)の得られることが少なくとも、それに全く結びつかないことさえあっても、競争を、そのための努力を、したがってこの現行のシステムのための献身を、決して怠ってはならない。

「努力の結果」などを求めるのは、エゴイズムであり、この社会のシステムへの、また国家への反逆者である。

とにかく競争せよ、そして奉仕せよ。見返りは何も求めるな。競争と奉仕こそが、お前の幸福であり、存在の意味だ。

僕はそこに、小さな個々人の生というものへの、欲望や夢や感情や生存それ自体を含めた、個々の生そのものへの、圧倒的な暴力と愚弄を感じる。

無論、自分自身もそれに加担しているということを含めて。



産業システムや国家体制の根底にある思想的フレームワークが、「努力と結果」を求めてくるから、AKB48はそれに反旗を翻したわけだ。

「努力と結果に囚われないことが、お前の幸福であり、存在の意味だ。」が正しい理解だ。

つまるところ、「結果のみにとらわれて努力をすることは、この世界で最も愚かなことだ。」というサイババ(笑)の言葉が適切だ。

努力を、合理性から解き放ち、人間が原始的に持っている真善美に働きかける要素として訴えかける。

これは、決して暴力などではなく、人間の尊厳を最大化する試みでもある。

「努力と結果」というイデオロギーから脱却し、己の「道」へとつながるチャネルが「AKB48」なのである。

人生は「道」だ。

そして、それこそが「マジ」なのである。




と、考えようという話ね。


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命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ = 自分の最大化
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/501074afa7200ae4a03732f073f12c61


命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり


(西郷隆盛)



「努力は必ず報われる」 高橋みなみ道
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/63fc307f92313690d76a5205a2b94607


どこへ向かえばいいのか、事前にわかっているなら、努力のしようもあるが、
ほとんどの悩みは、どうしたらよいのかわからない、ということからくる。
そして人生にありふれているものといえば、その類の悩みだ。
努力する気持ちを持っているなら、それだけで幸せなことだ。

しかし、もっと幸せな努力がある。

それは「道」である。

「努力ができる人」という意味で、「努力の天才」という言葉が使われることがある。
それは間違いだ。
努力をするのに天才も馬鹿もない。

違うのだ。

前述したように、普通、努力は「事前に想定した、ある特定の目的を達成する」ために行われる活動だ。
しかし、多くの人は、目的すら持っていない。

いや、

この相対的な宇宙の中では、絶対的な価値などないのだから、
どんな目的も冷静に考えれば全てその瞬間に泡になって消えてしまうものばかりなのだ。
本当の意味で意味のある目的なんてない。

だから「道(みち)」なのだ。
(タオでもいいけど)

道には、終わりがない、明確な目的もない。
ただ極めるようとするところに意味がある。
柔道、剣道、茶道、華道、アイドル道、etc...

努力というのは結果を約束するものではない。
「事前に想定した、ある特定の目的を達成すること」=「報われる」としてしまうと、
目的のない者にとって、人生は突然、無意味なものになる。

だが、人生を道だと捉えると、すっと「生きる」が心に入ってくるだろう。
人生は軽快で華やかになる。

目的がなくても、その道を極めるために努力ができる。
幸せだ。

どうしたらよいのかわからないのが人生だとしても、
なんら恐れる必要はない。

人生は道だ。

「高橋みなみ道」とかけて「努力は必ず報われる」ととく、

その心は、「人生は道」だから。



高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df


不確実性で表現される未来というのは、単に「わからない」というレベルなのではなく、未来は本質的に「未知」なのである。
どれだけ将来予測のパラメータを増やしたとしても、そのパラメータの有効性自体が保証できないのだから、過去のパラメータから完全には予測できないものが未来なのである。
という意味で、未来は本質的に「未知」であり、不確実なのである。

(どれだけ優秀なスーパーコンピュータがあっても未来は予測できませんよ。と考えてもらってよい。この発想自体を証明することはできないが)


とはいえ、では我々が努力の報われ方を、どのように考えるべきなのか、という問いについて考えておくべきであろう。

努力の報われ方を知るための手段は、「経験」と「学習」しかない。
最も力強い学習は直接的な経験から得られる。

経験のない者に「理解しろ」というのは酷というものである。
(一を聴いて10を知ることができる人は稀である。)

私達が食べることやハイハイをすること、歩くこと、意思を伝達することを学んだのは、直々の試行錯誤、つまり、ある行動をとり、その行動の結果を見て、新たにまた別の行動をとることによってである。

だが、行動の結果を観察できないときには何が起こるだろうか?

行動の結果が表れるのが遠い先のことであったり、私達の営みを含めた、より大きなシステムの遠く離れた部分であったりする場合はどうなるのだろうか。

私たち一人ひとりに「学習の視野」がある。
つまり私たちは、時間的にも空間的にも、ある一定の幅の視界の中で自身の有効性を評価するのだ。
行動の結果が自身の学習の視野を超えたところに生じる時、直接的な経験から学ぶことが不可能になる。

ここに我々の前に立ちはだかる学習ジレンマの核心がある。

私たちにとって最善の学習は経験を通じた学習なのだが、多くの場合最も重要な意思決定がもたらす結果を私たちが直接に経験できないのだ

非常に重要な意思決定は、数年あるいは数十年にもわたって続く結果をもたらす。
たとえば、今日、学校でトイレ掃除をすることの意味を感じることができるのは、20年後、親となり子供の教育について考える時かもしれない。
たとえば、基礎的な研究開発における意思決定は、その結果を表すのに10年以上かかるかもしれない。

私たちは「学習の視野」を広げること、または「学習の視野」を超える視座を獲得することはできるのだろうか。
どのような方法によって、それが可能になるのか、当Blogでは考えていきたい。




努力とは何か
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/41d467943e58f7ecfb1f4a6f09805542


努力は嘘をつかない
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/efe787789cd71820e94b2b7dc1f5e24d


NMB48城恵理子卒業 城に100点満点を贈る
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/760bd79d88a27ff5d4126989a1435dd0

わかってもらえないようなので、もう一度、話をしよう。

2012-09-14 19:33:51 | AKB48_心の叫び
否定しなくてもいいけど、肯定してもならんと思う。妥協案として「指導」処分でどうでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0fcf99cd9749975a5c7619e3e05ffa7d


AKB48奉仕活動を課しましょう!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/843d465890893a96b550d29bf5cadf77


無視するのも騒ぐのも無責任。運営はこの問題に真剣に向き合う気があるなら、大島優子に舞台を!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9934db1c07c0ccb131f28e7f0332d3ba


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この問題に真剣に向き合ってないばかりか、何が問題なのかわからないという意見が多くて驚く。

(みんな私に合わせて「大変だ」みたいなリアクションしてくれるのだが、真剣に聞いてないのがバレてるぞ!!怒)


大島はエースだから処分できない

とか

今回の件で大島ヲタが減るとは思えない。

ということを理由にして

大騒ぎするだけの問題は起きていない。

という意見も多い。


(いや、ファンがファンの立場で考えるのは、それが普通だからよいのだが。だが、みんながそれでよいわけではない。)


私は、この状況に危機意識を持たざるを得ない。


みな、完全に問題を見誤っている。

スキャンダルの憂き目にあったメンバーのヲタがヲタ辞めるかどうかなんてことは、AKB48にとっては致命的な問題ではない。


繰り返しになるが、問題はそこではない。


短期的には損失になっても、中長期で取り返せればよいのだから。


それに問題は必ず起きるから、短期的な損失が度々出るのは仕方がない。


問題の本筋は、中長期的に取り返せる体質になっているかだ。


そのために、質的な成長力(コア部分)が衰えていないかを見極めることが大切だ。



それで、質的な成長力という観点では、AKB48が提供する商品・サービスの実態、つまるところ顧客価値がどのような状況にあるかを考えるのは大切だ。


今回の件でいえば、AKB48というグループが、自分たちの提供する商品・サービスに対して、どのような価値基準に基づいて品質保証を与えるのか、そしてそれを実際に保証するためにどのような努力をするのか、という問題だ。


今回の件をスルーするということは、価値基準を大切にしないし、その保証も行わないと言っているのに等しい。


これは、組織として自分たちの提供する価値を大事にしないということなのだから、事業体としては自殺行為だ。


自分たちで決めたことを、自分たちで守れないと宣言する組織に未来なんかない。


中長期的な成長を捨てるのと同意であると言っても、過言ではない。


(指原の時に述べた「タイレノール事件」も、「カンザス計画」の話も、全てそのことについて説明するためのものだ。)



だから、価値観(理念)を守ることが重要だし、価値基準が形骸化しているなら変えればいいと飽きられるほど主張している。


その変え方として、運営がブラックボックスで消めるのではなく、メンバーがホワイトボックスで議論するのもいいのではないかと、先ほど書いた。



恋愛禁止条例に関する混乱を乗り越えるために ~ 5回の「なぜ」を言え ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/13a334002edb067b656b0bc4ddd7e090


総監督の初仕事として、こんなものはどうでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5bc068f3acab4d8316ddb64244f7fb2d

無視するのも騒ぐのも無責任。運営はこの問題に真剣に向き合う気があるなら、大島優子に舞台を!

2012-09-14 11:21:40 | AKB48_心の叫び
個人的な妄想と心の叫びです。


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私は、「騒ぎ過ぎだ!」と言って無視するのも、「問題だ!」と言って大騒ぎするのも、双方とも『AKB48』にとっては無責任だと思う。

これはメンバー個人の問題でもあると同時に、『AKB48』の問題でもある。

AKB48に短期、中長期に渡ってどのような影響があるのかを考えなければならない。

多くのステークホルダーの気持ちを背負うようになったAKB48として、その気持ちを無駄にしないために、事業の持続性(それはAKB48は組織として社会的意義を追求していくということ)を重視していかなければならず、短期的な利益を重視して、中長期の利益をドブに捨てるわけにはいかないのだ。

AKB48運営は、メンバー個々人のことも考えなければならないが、AKB48全体に責任を負っている立場だから、ファンのみんなが考えているのとは、少し違う視点であらゆる問題を捉えないとならない。


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念のため、「AKB48運営はAKB48全体に責任を負っている立場」という言葉の意味は多分に誤解されやすので、補足しておく。

私が言いたいのは、「AKB48やAKB48の未来について運営が責任を負わなかったら、他に誰が背負うことができるのか?」という問いだ。

誰もいないだろう。

AKB48運営が、AKB48のことを自分のコトとして真剣に考えなかったら、他の誰も考えてくれない。

逆説的に述べれば、AKB48運営の意思決定が、いつも少しファンからズレることがあるのは、そういう背景もあるということだ。


マス時代の終わりとアイドル戦国時代、そしてAKB48ネットワーク
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/46ac6f1a1c4f937a34a0d1ed5d2e64ae

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そんな運営の立場からすれば、「解釈論」で逃げ切ることは得策でもないし、本質でもない。

「卒業パーティー」だったのか「合コン」だったのか、「公認」だったのか「ルール違反」なのか、など、そんな言葉の定義の解釈は、本質的な解決にならない。

そういった解釈論で逃げるのは、AKB48に対する責任放棄以外の何物でもないだろう。

AKB48運営は、AKB48のことを真剣に考えるからこそ、この問題を真正面から受け止めた対応をとる。


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では、この問題の本質とは何なのか。


私は、以前から「恋愛禁止条例」というルールを守ることに意味はないと主張している。

本質的に重要なことは「恋愛」の是非ではなく、メンバー1人ひとりの「理念」であり「生き様」であると考えるからだ。

その生き様を支援してくれる人々の心をどれだけ掴むことができるか、これが重要だ。

それゆえ「恋愛禁止条例はルールではなく理念である」と言い続けてきた。


「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676


「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9


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大島は、もう何年もAKB48に在籍している。

多くの問題も、スキャンダルも見てきた。

これまでに、自分に疑念の目が向けられていることも経験してきた。

その上で、踏み台と言ってきたAKB48に、骨をうずめる覚悟も決めた。


だから、今回の問題も、理念に基づいた行動だ。

常に葛藤は持っているだろうけれど、それでも考え抜いた結果の行動だ。

であるなら、大島自身が、その理念を大上段に構えて説明すればいい。


運営には、大島を匿う理由がない。

大島に、自分の口で、自分の考えるその生き様を、ファンに訴えて見せる場を提供してあげればいい。

それが、私の考える、運営がとるべき最も誠実な対応だろう。


(もし、大島が自分の理念に反する行動を取っていたなら、それは改めるべき機会になるというだけのことだ。)



大島は、日本を代表する女優になることが夢なのだと聞いた。

であるなら、女優として、この勝負、乗り切ってみせてくれ。

この間、NHKのプロフェッショナルに高倉健が出演してこういっていた。

「自分の中にないものを演ずることはできない。」と。

ここで演じ切れないのに、どうしてこれからAKB48と女優をやっていけるのか。

大島なら、大島なりのビジョンを見せてくれるだろう。


それが、AKB48にとっての「第3の道」になるのかもしれない。


アイドルにとっての「第3の道」
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fed92786ec90a268969920f504b60e21


だってさ、今後どんな問題が出てくるかわからないよ。

指原の時もそうだったけど、今ある情報だけで判断しちゃだめなのよ。

だから、本質論に基づいて毅然とした対応を取る必要があるのだ。


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ただし、どれだけ大島のビジョンが素晴らしかったとしても、処分なしにはできない。

大島の生き様を認めたとしても、AKB48に損失ではなく貢献してもらわないとならない。

だから、AKB48に貢献させる処分が必要だろう。

「9期生は研究生の頃のほうが輝いてた」という誤解

2012-09-08 01:23:41 | AKB48_心の叫び
チーム4に関する処遇については私は失望しているので、内容が少しキツイものになるのは、ご容赦して頂きたい。


高橋みなみ「9期生は研究生の頃のほうが輝いてた」(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51840424.html

でも言ったんです。「私はみんなが、ほかのチームのアンダーとして出演していた研究生の頃のほうが輝いていたと思ってた。ほかの先輩にもまれたほうがみんなはすごく輝くんだよね」って。AKBにいる限り、限界を超えなきゃいけないんですよ。
「だから、みんなは離れなきゃいけない。先輩にもまれて、胸を借りるつもりで全部出してきなさいって。立ち止まったら、もうそこで置いてかれちゃうから、ついてきなさい、AKBに」って。・・・・・・みんな泣いてましたけどね。



総監督がこれでは先が思いやられる。


現状認識が間違っている。


はっきり言おう。


「研究生の頃の方が輝いている」のは当たり前だ。


研究生は正規生として認められるために、劇場公演など「AKB48」としての活動に全力を尽くす。


そこには競争原理も働くので、一生懸命さは見て取れるレベルでわかるだろう。


だが、正規生になれば環境が変わる。


メンバー1人ひとりが異なる芸能事務所に所属して、貢献すべきものとして、AKB48だけではなく、事務所や、そして「自分の人生」というものを背負う。


一人前のアイドル、芸能人としての自立が求められる。


「AKB48」に貢献する意味でも、個人として認められる存在にならなければならない。


と、誰もが認識する。


すると個人の闘いになり、どうしても活動が小粒になる。


たかみなを初めとする初期メンバーは、研究生という経験こそしなかったが、自分が生き残るために「AKB48」に貢献することが必要であったし、グループ全体として大方針に向けて動いていた。


今よりも不十分な体制であったとはいえ、グループ全体の目標と個人の目標の一致が見られた時代であった。


たかみなが正規生として「AKB48」に貢献してきたのは、個人の意志の問題ではなく、構造的問題としての必然である。


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AKB48戦略転換
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/795401940e489eaa4bfd4d143d5416cd



AKB48第2章はリーン・スタートアップで
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/658a3ded9e7797b628f17c244da952b9


なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/16f7d7e6a8ae2af8c876c1875a9b2019

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仮にたかみなが9期生としてAKB48に入っていたら、同じ徹を踏んでいただろう。


その場合、たかみなのようなタイプは成功しない可能性もある。


おそらく、今のたかみなは存在していない。




「9期以降はAKB48に入るのが夢」などという意見もあるが、事実誤認も過ぎる。


AKB48に入るのが夢なんてことを言うやつは9期には存在しない。


チーム4のメンバーはやる気満々だった。


意識も高かった。


だが、抱えている問題の難しさが初期メンバーとは質が違ったから、求められる能力が違った。


何の素養もない10代の女の子にどうにかできる問題ではない。


出来る大人のブレーンなりマネージャーが必要だった。


が、そういった環境を整備できないくせに、個々のメンバーのせいにしてしまった。


AKB48が抱える構造的問題にも関わらず、個々のメンバーのやる気の問題だと、問題を単純化してしまった。


これは組織としてのグループシンク(集団浅慮)以外の何者でもない。


直接聞いていないのでわからないが、雑誌上に書いてある、たかみなの発言を読むと、たまたま成功した経営者の発言のようだ。


本人が描いた戦略仮説(ストーリー)を検証して得た知見を説明しているのではなく、たまたま成功した時にやっていた事を成功要因と見なしてしまう過ちを起こしてしまっているように見える。


やすす先生には今一度、心配性になってもらいたい。


上にリンクをはった『AKB48戦略転換』から次の文章を引用して終わることにする。


アンドリュー・グローブはこう言っている。

「Only the Paranoid Survive」
(病的なほど心配性だけが生き残る)


京セラ創業者の稲盛さんも似たことを仰られていましたね。

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。


悲観的に楽観的であれ。


妄想族より 愛をこめて


現実否認と夢 そして愛

2012-09-07 19:43:09 | AKB48_心の叫び

特定の何かについて意見したいのではありません。
一般的な観念論です。




自己欺瞞ほど易しいものはない。

真実であって欲しいことを、真実だと思い込めるからだ。

(デモステネス, 紀元前 322-384 )



「現実否認」

眼の前の現実を認めないという態度をいう。

明白な事実を無視する。

なぜかといえば、それと付き合いたくないからである。

心理学者ジークムント・フロイトは、否認を

知っていながら、知らないとする行為


と呼び、作家ジョージ・オーウェルは

自己防衛的な愚鈍


と表現した。



人が、いずれ明るみに出るかもしれない、それによって人生の計画を大きく変えざるを得ない状況に追い込まれる可能性の高いスキャンダラスな行為と知りながら、それでもスキャンダルを起こしてしまうのは、なぜなのだろうか。

「なんでわからないんだ」と無理筋な要求を子供に押し付ける親、「付き合う程度に飲むだけ」と頑なに言い張るアルコール中毒患者、事実に反して「作戦は成功に終わった」と宣言する政治家、「進捗は計画通り」と説明する事業家、否認は人間社会に遍く浸透している。

生活だろうがビジネスだろうが例外はない。



合理的かつ現実的で、思慮深く聡明である人々が、多くの場面で重要な現実を否認する。

当たり前のことだ。

彼/彼女らも人間だからだ。

痛みを避けようとする衝動も、痛ましい現実を避けようとする衝動も、人間の本能だ。

(ほら、だから愛は偉大だろう。愛は受け入れるだろう、現実を。)



誰しも「こうだったらいいな」という世界で暮らしたい。

時には、否認が役に立つこともある。

周囲にうまくいく訳がないと批判されながら、それでも成功を掴んだ起業家は大勢いる。

絶体絶命のピンチを潜り抜ける時、諦めない粘り強さの原動力は現実否認だ。

余命いくばくもない人と最後の一日を過ごすのに「今日は病気のことを忘れよう」という現実否認は素晴らしい時間をもたらしてくれることだろう。

「夢」は本質的に現実否認による「嘘」だ。


少年少女よ嘘をつけ!!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a4534769840e97713e977324b0abc3e


否認の魅力が、魔力ほどに強いのは、短期的にはそれでうまくいくことがあるからだ。

だが、否認によって長期的にうまくいく可能性はほとんどない。

状況が実態よりも良いようなフリをすることは、最終的にはほぼ確実に破滅的な状況に繋がる。

「夢」が真に有用なものとなるのは、現実を否認するのではなく、現実に対峙することを決めた時だ。



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参考図書:リチャード・S・テドロー『なぜリーダーは「失敗」を認められないのか』


懐かしき青春の苦味 ~チョコレートと成長痛~

2012-09-07 12:54:21 | AKB48_心の叫び

※追記:ちょっと文体が偉そうだったので、ところどころ変更しますた。

本エントリは、完全に勝手な妄想による独善的な意見です。



不祥事が起きた時、より強い話題によって掻き消されるとか、人の噂も七十五日とか、言う人がいますが、その考えは甘いと思います。

希望的観測として楽観したくなる気持ちはすごくよくわかるのですが、不祥事が起きた時のリスク管理を、話題性の問題だと決めつけるのは、チョコレートより甘い考えです。

芸能界はスキャンダルが日常茶飯事だし、むしろそれさえも武器になってしまう世界だから、一般的な企業のリスク管理とは内容が異なってしかるべしという意見もあるでしょう。

確かにマイナスな話題も寛容されやすいかもしれないし、芸の肥やしなんて言葉もあるし、炎上マーケティングも成立しやすい業界なのかもしれません。

しかし、不祥事を話題性の問題として決めつけるのは、非常に不適切な認識だと主張したいと思います。



問題の本質は「話題性」ではなく「信頼」なのだと思います。

話題性だけでビジネスが成り立つ業態であるならば、「話題性」に終始していればいいでしょう。

実際問題、芸能界はその点に集中して勝負している人々も多いかもしれません。

しかし、AKB48は話題性だけで成立するグループなのかといえば、全く違うと私は思います。

普段からサプライズだなんだと話題を振りまいてはいますが、それも全て顧客をAKB48のコアに誘導するためのものだと思うのです。

顧客との近接性と、その継続性を高めることで成功したグループなのであるという認識のもと、重要なのは「話題性」よりも「信頼関係」であると考えます。



AKB48運営は失敗を認められるか ~危機管理の模範的教材:タイレノール事件~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0a80eca62b4d07869cc1780d4e713a0c

バーグは、被害者や遺族の苦しみを軽んじたり、覆い隠そうとすることは一切しなかった。

たとえ無実だとしてもJ&Jがこの事件に関わったことに対し、バークはこの危機の核心に、「人間性」という要素があることを理解していた。


私がわかっていない苦労も多々あろうかと思いますが、最近のAKB48を見ていると、上記述べたようなAKB48の構造を理解していないのかと思うような古臭いマネジメントが目立つ気がします。

組織の構造も、組織の置かれている環境も刻々と変わっているのに、マネジメント側がそれに合わせてアップデートしていないのではないかと。

(もちろん勘違いかもしれません)

外部環境の変化に追い越されないようにとスピードを重視して変化し続けてきたが、それに見合った組織的な成長が出来ていないために、成長痛に悩まされている印象です。

走り続けるのはいいのですし、やって試すのもよいのですが、拙速過ぎてはだめです。

ただ「走る」のではなく、「走りながら考える」これが大事です。


rough consensus and running code
(David Clark)



メンバーもファンもスタッフも、みんなが全力で走るためには、お互いに信頼関係が構築されていなければなりません。

後ろを気にするようでは、全力で走れないからです。


釜石の奇跡 新世代のマネジメント
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b1cca0452ea5623a51e260c32726a97

不測の事態において、生死を分けるもの。
それは「信頼」なのかもしれない。
そして、その「信頼」は「個の自律」から生まれる。
1人ひとりが自分の命に責任を持つことによって、非常時にお互いを信頼して逃げることができる。

昔、武士の時代。
家族は、武士である夫や父が戦場で生き残るために自分たちに何ができるかを考えた。
その結論は、武士の家族たるものは、武士が後顧の憂いを持たぬように努めねばならないということだった。
戦場での迷いは一瞬であっても生死を分けるからだ。
家族は、夫や父が戦で思う存分に戦えるよう日ごろから準備をした。

現代においても、何か大業を成すために後顧の憂いをなくすという話がよくあるだろう。
「後顧の憂いをなくす」というのは、日常の話である。



これは完全に勝手な妄想による独善的な意見でしかないのですが、今、運営が考えなければならないことは、スマートなやり方や、皆があっと驚くような方法による解決策を見出すことではなく、まず、自分たちが理想とするところを目指すのに今何を学ばなければならないか、もしくは何を理想とすべきかを模索するために何を学ばなければならないのか、ということを考えて、仮説検証思考的な方法論を開発して取り組むことだと思います。

当Blogでは繰り返し述べていることなのですが、根本的な発想として必要なのは「解決策」ではなく「学習」だと考えます。

なぜなら、組織というのはその社会的意義を達成するために永続的に、少なくても継続的に存続(成長)していかなければならないからです。

問題というのは何をしたって無数に起きるものです。

病気をしない人生など有り得ないのです。

その場だけの解決策で乗り切っても、先が見ています。

根本的な基礎体力を向上させていかなければなりません。


そのためには、いっぱい試し、いっぱい失敗し、いっぱい学ぶことです。

より多くを学び、より多く適応したものが生き残るのです。

いっぱい試すためには、一つ一つの施策を軽くすることです。

大艦巨砲主義的に大きなサプライズを狙って大きな施策を狙うことは、成功すればリターンは大きいかもしれませんがリスクも大きいです。

特に、変化の速い環境では、その施策を準備中に時代遅れにのものになって、ついていけない可能性が出てきます。

(支配権争奪戦の主戦場が海戦から空中戦に移行している時に、戦艦大和を作っても仕方がないのです。)

話題を交わすための施策を打つのではなく、日常的で継続的な顧客とのコミュニケーションによって解決する術を模索するのが吉です。

失敗は学習の前提です。

いっぱい失敗して、失敗から学びましょう。

(先述したように、失敗をして失敗から学ぶ、この一連のサイクルを早めることが重要です。)


と、私は漠然と考えるのでした。


高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df


「永尾まりやに足りないもの」ではなく、戦略立案のやり方について ~変革ストーリーの作成~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/b203e0e05a1fefd9eaa8f96fd64d282a


■追記


インターネット時代の情報の流通に関しては、新しい発想が必要でしょう。

昔は、大衆にリーチできるメディアが、マスメディアしかなかったので、マスメディアをコントロールすれば話題の生死をコントロールできたわけですが、インターネットによって情報の流通経路が劇的に変化したため、この手はもう使えなくなっています。

「人の噂も七十五日」とは言ってられなくなったと考えます。

情報が誰の目にも触れることができる形でストックされるようになったことと、いつでもその情報を拡散できるようになったのです。



インターネットの力で情報へのアクセスコストが劇的に下がったので、標的を探している人々に情報が届きやすくなりました。

インターネットによってこれまで物理的に隔離されていた同種タイプの人々がコミュニティを形成しやすくなったため、ある程度の規模での議論形成がやりやすくなるということです。

これまで「情報の拡声器」役はマスメディアが担ってきたわけですが、マスメディアを通さずに情報をブーストして拡散できるようになったのです。

噂は、ずっと残り続け、攻撃のネタとして使われるのです。

そして、この種の噂は感染しやすいので、しぶとく生き残り続けます。



話題をかわすために使われてきた、これまでの手法はもう過去のものとなったわけです。

「今でも一般大衆はネットではなくマスメディアを信用しているから影響は抑え込める」という意見もあると思いますが、それは希望的観測でしかありません。

マスメディアもネットを重要な情報源として認識し始めていることもありますし、ネットの情報を掴まされリアルで行動を起こす人々も増えてきているからです。

また、それを見越して先回りする社会的な動きも出てくるので、このスパイラルはどんどん強化されます。

我々が住む社会は、ネットでのことが、もはやネットだけのことでは収まらないような世界に変貌してきているのです。



そして、最も難しい点は、一度失った信頼を取り戻すのは非常に難しいということです。

ちょっとでも心に影ができると、ここぞという時に一歩が出なくなります。

全速力の一歩手前で減速してしまうのです。

このほんの些細な違いの積み重ねが、塵も積もれば山となるで、後々に効いてくるのです。

ボディーブローのように。

特に、ファン側からの参加度を大きく引き出そうとするAKB48のような業態であれば、なおさらです。

変わりたくない人へ

2012-09-01 21:32:06 | AKB48_心の叫び
よく使われる言葉がある。

『鏡の国のアリス』の「赤の女王仮説」。


その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない
(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)


この宇宙は、幸か不幸か、全てが変わる。

変わり続ける。

自分は変わらないと願っても、身体を構成する細胞は老い朽ち果てる。

身体が老いれば精神も影響を受ける。

いつかは死ぬのだから、変わらないと願うこと自体が無意味だろう。

そして自分が変わらなくても、周りは変わる。

環境が変われば、自分が変わらなくても、否応なしに関係性が変わる。

関係性が変われば、意味が変わる。

(意味は関係性に生じるものだから)

変わることから逃れることはできない。



松尾芭蕉はこういう。


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也


時は留まることを知らない。

永遠に。少なくてもこの宇宙が終わるときまでは。

それゆえ、古代ギリシャの哲人ヘラクレイトスが言うように万物は流転するのだ。

「万物流転」はこの宇宙の真理だ。



変わりたくなければ、外部環境よりも早く、誰よりも早く変わらなければならない。

誰よりも早く変化し、誰よりも早く適応しなければならない。

変化のスピードに劣れば、相手のペースに流されることになる。



だから言う。

変わりたくなかったら、誰もよりも早く変わり、誰よりも早く適応しなさい。

それしか答えはない。

生きてる限り。



ググタス黒歴史記念!咲子師匠、あやりんに贈る『風は吹いている』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7d18beac2c9b79c9486e83f4dc7618f3

マジなのか、マジでないのか、マジって何なのか

2012-09-01 00:44:08 | AKB48_心の叫び
心の叫びです。


何回でも繰り返すが、ルールや倫理の問題ではない。

理念や生き様の問題である。



これも繰り返しになるが、人間にはCPUのような中央演算処理装置がない。

脳はその進化の過程で温泉旅館のように継ぎ接ぎされたため、複雑で分散的な処理系となった。

人間はコンピュータのように答えを一つだけ出すというような芸当ができない。

中央付近から発する情動を外側にある理性で解釈しようとするが、制御しきれるとは限らない。

だから人間は悩む。

人間の中には常に答えが無数にあるからだ。

それを自我によって統合しているわけだが、そのバランスが崩れると精神が分裂する。

そんな危険な綱渡りを、我々は無意識にこなしている。

これが進化のパワーだ。

何百万年という時の力だ。

どういう自我(自分)でありたいか、ということが人生を決める。

それが決定的に重要だ。



なんにせよ、一つだけ言いたいことがある。


苦しいだろう。

人間として当たり前のことを我慢しなければならない。

だが、今その試練に耐えられなくて、どうしてこれから起きるであろう問題を乗り越えることができるのか。

これから起きるであろう理不尽で苦しい難題を乗り越えることができるのか。



耐えられないなら辞退すればいい。

どのみち、この先リタイアすることになる。

自我を描く自信がないのなら、やめたほうがいい。


マジというのは、自分を信じることなのだよ。



マジなのか、マジじゃないのか、どっちなんだ?!