ここ数ヶ月の間にジワジワと感じていることを述べます。
決して対立を煽りたいわけでも、陰謀史観に組したいわけでもないと、はじめに強く言っておきます。
(居酒屋談義だと思ってください。)
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大島優子は、「絶対的センター前田敦子」に対比する形で「反運営の象徴」と呼ばれてきました。
前田敦子と大島優子が表現するものは、AKB48第1章を紡ぐ縦糸と横糸であったと思います。
私は大島優子の人格やパフォーマーとしての素晴らしさを大いに認めておりますが、大島優子がAKB48を代表する圧倒的エース・メンバーになった背景には、AKB48第1章を紡ぐ力が後押ししたとも思います。
なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? ~あつゆう、W松井の奇跡~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/954de4b52b6d9d5530d1b34affcd2328
なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? パート2 ~台風の目になれること~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/92b293d05c66aeb0da4973c2be240e39
しかし、今回の総選挙の結果を見て、とりわけ指原の1位を見て、もうAKB48第1章のフレームワークでは語れなくなってきている部分があるのではないかと感じています。
率直に言うと、私は指原の1位が象徴するのは「反AKB48」だと感じているのです。
指原はほとんどAKB48みたいなものだし、推され中の推されなのに、おかしな意見だと思われる人もいると思いますが、「反運営」から「反AKB48」の潮流が起きていて、AKB48の勢いが落ちる中で総選挙が盛り上がるのも、その背景に反AKB48的な力が働いていないかと思うのです。
SKE48のファンの方々からすると「何を今更」感のある意見だと思う(失礼)のですが、それとはちょっと違うと思っています。
いつになっても始まらないAKB48第2章、旧態依然として変わり映えしないAKB48選抜、ファンとは違うところのパワーバランスで決まる運営方針、「ガチ」や「マジ」といった理念が次々と失われていく喪失感、こういった危機意識の下で「リベラル」と「コンサバ」の一部の層が「反AKB48」で結合する動きが起きて大きな力を持ち始めたのではないかと、政策ではなく政局の話になってしまうのですが思うのです。
上位には大きな変動はなく相変わらず保守的な結果だったのですが、背景に流れる潮流の話です。
ここ最近、日本の近代史のアナロジーでAKB48を捉え直そうという提言をしてきましたが、総選挙の結果を見て、やはり今がAKB48第2章への過渡期であると思わざるを得ませんでした。
時は今、激動の幕末(AKB48第1章の終演直前)、前田敦子卒業という黒船から始まる混乱期の最中ではなかろうかと思います。
そして、私にはAKB48が江戸幕府に重なって見えます。
江戸幕府は、革命を成し遂げた薩長土肥などに比して圧倒的な経済力と軍事力を保持していたが敗北しました。
力があっても、その力を目的に合わせて集中することができなければ、力は発散されて、力で劣る勢力に負けることがあるのです。
目的に向けて各要素に持つ力を総合する「総合力」、それを一般的には「戦略」と呼びますが、江戸幕府もAKB48も戦略的敗北を喫するのではないかということです。
(目的を設定することを「政策」という。)
もちろん、AKB48は得票数でもCD売上げでもグループ内ダントツNo.1の地位は確立していますので、第5回総選挙の結果を「AKB48の敗北」と言うのはバランスを欠く表現かもしれません。
48グループ内で最古参かつ本拠地が日本構内で最も周辺人口の多い東京圏というだけでAKB48がNo.1でなければならない理由はありません。
が、テレビや雑誌などマスメディア露出において圧倒的に優位な環境に立つAKB48と他グループとのパワーバランスが変化してきていることは、真摯に受け止めなければならない事実であるとも考えます。
もともと中央集権体制ではない幕藩体制は、幕府の力が弱まると、急激にその力を失いました。
これまでの総選挙において圧倒的な存在感を示してきたAKB48が、その存在感を薄め始めた時、何かが起きるかもしれません。
※AKB48という言葉を秋葉原を本拠地にするグループ「AKB48」の意味で使ったり、48グループ全体の総称の意で使ったりわかりにくくなっております。
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前に「AKB48第2章」で遊んでるだろと言われたのですが、ポストモダンと同じで遊ぶこと自体が楽しいのですよ。
決して対立を煽りたいわけでも、陰謀史観に組したいわけでもないと、はじめに強く言っておきます。
(居酒屋談義だと思ってください。)
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大島優子は、「絶対的センター前田敦子」に対比する形で「反運営の象徴」と呼ばれてきました。
前田敦子と大島優子が表現するものは、AKB48第1章を紡ぐ縦糸と横糸であったと思います。
私は大島優子の人格やパフォーマーとしての素晴らしさを大いに認めておりますが、大島優子がAKB48を代表する圧倒的エース・メンバーになった背景には、AKB48第1章を紡ぐ力が後押ししたとも思います。
なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? ~あつゆう、W松井の奇跡~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/954de4b52b6d9d5530d1b34affcd2328
なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? パート2 ~台風の目になれること~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/92b293d05c66aeb0da4973c2be240e39
しかし、今回の総選挙の結果を見て、とりわけ指原の1位を見て、もうAKB48第1章のフレームワークでは語れなくなってきている部分があるのではないかと感じています。
率直に言うと、私は指原の1位が象徴するのは「反AKB48」だと感じているのです。
指原はほとんどAKB48みたいなものだし、推され中の推されなのに、おかしな意見だと思われる人もいると思いますが、「反運営」から「反AKB48」の潮流が起きていて、AKB48の勢いが落ちる中で総選挙が盛り上がるのも、その背景に反AKB48的な力が働いていないかと思うのです。
SKE48のファンの方々からすると「何を今更」感のある意見だと思う(失礼)のですが、それとはちょっと違うと思っています。
いつになっても始まらないAKB48第2章、旧態依然として変わり映えしないAKB48選抜、ファンとは違うところのパワーバランスで決まる運営方針、「ガチ」や「マジ」といった理念が次々と失われていく喪失感、こういった危機意識の下で「リベラル」と「コンサバ」の一部の層が「反AKB48」で結合する動きが起きて大きな力を持ち始めたのではないかと、政策ではなく政局の話になってしまうのですが思うのです。
上位には大きな変動はなく相変わらず保守的な結果だったのですが、背景に流れる潮流の話です。
ここ最近、日本の近代史のアナロジーでAKB48を捉え直そうという提言をしてきましたが、総選挙の結果を見て、やはり今がAKB48第2章への過渡期であると思わざるを得ませんでした。
時は今、激動の幕末(AKB48第1章の終演直前)、前田敦子卒業という黒船から始まる混乱期の最中ではなかろうかと思います。
そして、私にはAKB48が江戸幕府に重なって見えます。
江戸幕府は、革命を成し遂げた薩長土肥などに比して圧倒的な経済力と軍事力を保持していたが敗北しました。
力があっても、その力を目的に合わせて集中することができなければ、力は発散されて、力で劣る勢力に負けることがあるのです。
目的に向けて各要素に持つ力を総合する「総合力」、それを一般的には「戦略」と呼びますが、江戸幕府もAKB48も戦略的敗北を喫するのではないかということです。
(目的を設定することを「政策」という。)
もちろん、AKB48は得票数でもCD売上げでもグループ内ダントツNo.1の地位は確立していますので、第5回総選挙の結果を「AKB48の敗北」と言うのはバランスを欠く表現かもしれません。
48グループ内で最古参かつ本拠地が日本構内で最も周辺人口の多い東京圏というだけでAKB48がNo.1でなければならない理由はありません。
が、テレビや雑誌などマスメディア露出において圧倒的に優位な環境に立つAKB48と他グループとのパワーバランスが変化してきていることは、真摯に受け止めなければならない事実であるとも考えます。
もともと中央集権体制ではない幕藩体制は、幕府の力が弱まると、急激にその力を失いました。
これまでの総選挙において圧倒的な存在感を示してきたAKB48が、その存在感を薄め始めた時、何かが起きるかもしれません。
※AKB48という言葉を秋葉原を本拠地にするグループ「AKB48」の意味で使ったり、48グループ全体の総称の意で使ったりわかりにくくなっております。
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前に「AKB48第2章」で遊んでるだろと言われたのですが、ポストモダンと同じで遊ぶこと自体が楽しいのですよ。