粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

岩上安身と自由報道協会

2013-10-23 17:37:32 | 反原発反日メディア

自分の不勉強は弁解のしようもない。岩上安身氏は現在も自由報道協会に所属しその中心メンバーとして活動しているものと思っていた。しかし、ウィキペディアで自由報道協会をチェックしてみると今年9月(実際は5月か?)の時点で理事から彼の名前が抜けているのだ。

同時に彼が独自に運営するインターネット報道メディアIWJには、自由報道協会の欠片もなく、ましてリンクなどない。辞めた経緯とその後の関係は不明だが、おそらく自由報道協会とは「決別」したことは確かなようだ。

もっとも岩上安身氏はそんな協会に関わっている余裕がないのかもしれない。彼が運営するサイトで最新の記事を見ると、「岩上安身よりみなさんへ」というメッセージがアップされている。これを読むと自社のIWJが現在経営的に厳しい環境にあり、緊急の寄付を要望していることがわかる。

記事によると、IWJは会社が制作したコンテンツ(取材動画)を年間通して見られる会員の会費によって経営が賄われている。同時で会員や賛同者の寄付も大事な資金源である。設立して3年近くなるが、最初の2年間は会員や寄付も増えていき順調だったようだ。決算報告を見ると特に寄付が年会費を上回るくらいの盛況だった。

しかし、3年目に入って会員は5000人をピークに減少傾向であるようだ。当初は倍増の1万人を目指していたが逆にマイナスに陥り、寄付も落ち込む惨状だ。

9月からは文字通り、手から口です。会費・カンパなどの収入がそのまま当月の固定費の支払いにあてられ、余裕の資金はまったくない状態です。一刻の猶予もない状態です。

文字通り、「自転車操業」の状況で相当経営的に逼迫している様子がわかる。記事にある通り、これまで制作は分業していたため複数の場所を使用していたが、経費と効率を考慮して1カ所に統合した。しかし新事務所確保のために岩上氏が自分のほほ全貯金(会社への融資という形だが)を頭金に投じているほどだ。

なぜ経営が今年に入って厳しくなったのか。岩上氏は色々と思いめぐらしている。

会員数の伸び悩みは、IWJが直面している「成長の壁」です。これは次なるステップのための試練の踊り場かもしれませんし、または、我々の限界、あるいは日本におけるインターネット報道メディアの限界なのかもしれません。まだその答えは出ていません。

あるいは、民意を無視しての原発再稼働、TPPの交渉参加強行、そして昨年末の衆議院選挙、そしてこの度の参議院選挙の結果に、つくづく落胆し、政治への関心をなくてしまったり、現実から一時的であれ目を背けたくなった方々が急増したためかもしれません。そうであれば事態はより深刻です。

おそらく、こうした要因が複合したものといえるだろう。特に彼が今年になって顕著になった政治的あるいは社会的変化に言及しているのは注目に値する。要するに彼自身は民主党政権の崩壊と運命を共にしているいえるのではないか。

原発事故以来、民主党政権の不手際を彼独自の切り口で糾弾したが、それが世間の一定の評価を得た。しかし事故の収束とともに見る目も変わった。また彼の思想傾向はどう見ても左翼的である。反日、反米、親中そのものだ。これは民主党政権下ではある程度許容される面はあったが、現政権では難しい。世間の風も決して暖かくない。今彼の立ち位置はそんな世論の逆風にあるのではないかと思える。したがって彼のジャーナリストとしての前途は厳しく、運営するネットメディアも多難と言わざるをえない。

岩上氏と袂を分かった上杉隆氏(理事長を辞任したとはいえ依然自由報道協会で理事に留まっている)は最近のブログで、脱会したメンバーについて次のように書いている。

……自分から協会を辞めたにもかかわらず、あたかも辞めさせられて、仕打ちを受けているように演じている元会員にも共通して言えることです。

自由報道協会は、過去、ただの一人も辞めさせた事実はありません。

不正の疑いのあった6人の会員に対しても、顧問弁護士から内容証明郵便で確認しただけで、辞めさせた事実はありません。

みんな、好き勝手に言うんだなぁ、こちらが黙っていると。

まぁ、いつかは本当のことがわかるだろうし、仮にわからなくても、日本社会には大きな影響がないから、ま、いいか♪

大きな影響はないから、ま、いいか♪、とは。 辞めた人の対象に岩上氏も含んでいるのかよくわからない。しかし、協会を離れた人間に対してこの能天気な言葉はないだろう。自分の不祥事で協会の信用を落とし、実体のない法人にまで貶めた張本人だ。自由報道協会は壊れるべくして壊れていったといえる。苦境の岩上氏はかつての盟友のC調言葉をなんと聞く?



IAEAの正論

2013-10-22 11:49:42 | 原発事故関連

日本の常識は世界の非常識とでもいうべきだろうか。国際原子力機関(IAEA)の専門家チームの団長が日本の原発事故で発生した除染問題について「除染の目標として必ずしも(国が長期目標に掲げる)1ミリシーベルトにこだわることはない。利益と負担のバランスを考え、地域の住民の合意を得るべきだ」と東京で記者会見した。

まさに正論というべき意見である。石原環境大臣にも助言したというが、大臣の反応はどうだったのか伝わってこない。大臣を含めて政府や自治体、さらにその関係者が「年間1ミリシーベルトの除染に拘る必要がない」といった発言をしたのを聞いたことがない。

この年間1ミリという除染基準がまさに水戸黄門の印籠の如く確定した事実となって一人歩きしている。そのために除染範囲が膨大に広がり、その費用や時間も際限がない。多く見積もる人では数十兆円の費用が掛かると試算する位だ。これをそのまま続ければ国家財政の破綻を招くとさえ考えられる。

当然時間も長期に渡り、福島県からの避難民どころか、首都圏からわざわざ「自主避難」している人々の帰還が大きく遅れる。人によって、帰還を諦め避難先で新しい人生を考える人々もふえていくだろう。

しかし、こうした現状に異を唱えて「1ミリシーベルト除染に拘る必要なし」と言おうものなら、日本国内では袋だたきにあうことは必定だ。世論を主導する大半のマスコミから猛反発をうけるだろう。人命軽視の利己主義者扱いされる。

民主党政権の原発政策を場当たり的と批判してきた現政権もこの除染基準を見直す動きがない。IAEA以外でも今年世界保健機関や国連科学委員会が福島県民の被曝は将来的にも健康被害を及ぼすレベルではないとの報告を出している。国連の3つの権威が異口同音に日本の過剰とも思える原発事故での反応に疑問を呈している。言葉は悪いがここは、IAEAなどの外圧でこの際、基準を見直す契機として欲しい。国内世論で除染基準を見直す気運が劇的に換気されることを望まずにはいられない。


ネット人のある欲求

2013-10-21 13:59:41 | 一般

ブログを始めて2年少しになるが、稀に閲覧者数が急激に増えることがある。1日のカウントは普段160回前後で推移しているが、200を超えることがあるる。昨日はなんと354回という異常な数字となり、このブログを運営するブロバイダーの人気ブログ81位に入った。

普段は200位台半ばと思われるが、そんな下位ブログは運営サイトではその他大勢の扱いだ。だから「人気ブログ」でランク内に入るのは正直うれしい。受験シーズンに新聞や週刊誌に合格者として自分自身の名前が掲載されるのを見て喜ぶ心境に近いだろう。

ところで、昨日自分のどの記事が注目されたのか。ブログ管理ツールで調べてみたら、当日の記事であることがわかった。それは韓国経済の厳しい状況について自分なりの感想を書いたものだが、正直いって内容的には陳腐と思えるものだ。

なぜ、こんなにヒットしたかというのがよくわからない。ツイッターやブログで誰かが紹介している形跡はない。そこで、グーグルで「韓国経済」として検索すると昨日は自分の記事が上位にきていたことがわかった。といっても3ページ目であるが、「韓国経済」という一般的な単語だから対象サイトや記事も非常に多い。したがっても3ページ目でも検索から自分のブログへ訪れた件数(200以上)も結構あったということのようだ。

ただ、一夜明けて再度「韓国経済」で検索すると自分のブログは何ページをめくっても見つからない。一筋縄では行かないのが、この複雑な検索機能といえそうだ。結局今日はいつもの「しょぼい」ブログに逆戻りと相なった次第だ。

こんな自分の内輪話も、実はネット配信者の共通する願望は何かということを言いたいからだ。つまり自分の発信がネットで反響を呼び起こすことだ。それは「ヒット数」として具体的に自分自身確認することが出来る。普段は無名に近い存在が、ネットで拡散することで少しは存在価値を認知されたような気分になる。ネット配信する人々は誰しもがそんな欲求を持っているに違いない。

しかし、そんな欲求が時に方向性を誤ってとんでもない世間的な不祥事になることがある。最近よく話題になる「アルバイトテロ」などその最たるものだろう。飲食店やコンビニでアルバイトの若者たちが、店の冷蔵庫に入った画像をネットに配信したり、客席に仲間たちの裸体の写真をアップさせたりするトンでもない行為だ。

当然、ネットでは大反響となり一般のメディアにも紹介される。配信した本人はその反響の大きさにご満悦であっても、当の店自体が世間に知られて予想もしないバッシングを受ける。結果的には店が廃店になるばかりか、最近では運営する会社そのものが廃業に追い込まれたりする。

本人の受け狙いでその存在をアピールしたいがため、結果的にトンでもない破壊行為を起こしてしまう。ネット拡散の恐ろしさが身近にころがっている。つい出来心だけでは済まされないという危機感は失わずにいたい、自戒を込めて。


「中国頼み」韓国経済の落とし穴

2013-10-20 12:17:33 | 厄介な隣国

日本を見限って中国に擦り寄る韓国、しかしその将来は決して甘くない。早速、中国からの冷たい仕打ちが始まった。日本人観光客激減の韓国、旅行法の影響で『中国観光客』も半減」、という記事があった。

韓国最大の旅行社「HANA TOUR」は、今年8月と9月にそれぞれ1万1000人と1万人の中国人観光客を迎えた。ところが、10月は観光客が激減し、4000人余りにとどまっているという。さらに、同国の大手旅行社である「MODE TOUR」も8、9月に比べ10月の中国人観光客は半分以下に減っている。国内の旅行社はどこも同じ状況だという。

韓国の旅行社はこれまで、ツアーを安売りし中国人を各種販売店に連れて行くことで店から仲介料をもらっていた。今まではこの仲介料で安売りした分の損失を補っていたが、中国の「旅行法」では観光客への強制的な買い物を禁じているため、その影響がでている。

日本国内でもよく見かける、ツアーでバスから降りたとたんに土産物店が待ち構える光景、旅行会社と地元の観光業者がタイアップする形態だが、韓国でも中国人旅行者に対して同様であるようだ。それによって韓国の旅行会社は安いツアー料金での赤字を店の仲介料で埋めていた。しかし、中国政府が旅行法を改正して、なかば強制的な土産物店への巡りを禁止する措置をとったとのことだ。その影響で10月の中国人旅行者は半減したということだ。

日本の韓国への旅行客は、昨年の李明博前大統領の竹島訪問から始まった日韓関係の悪化や日本の円安で減少が続いている。朴槿恵政権になって関係が修復されるどころかさらに険悪になっていて、今や日本人観光客は前年比3割減という惨状だ。

しかし朴政権はまるで日本を見限るように、中国に擦り寄って中国経済頼みにシフトする姿勢すら見せている。確かに中国の旅行者は日本を抑えて観光客数ではトップに躍り出たが、そんなには現状は甘くなかったようだ。

実際、中国人観光客は旅行マナーもあまりよくないし、買物の値切り方も半端ではないらしい。その点日本人観光客は、大人しく値切ったりはしない優良客ともいわれている。そして今回の旅行法改正での中国旅行者の激減。まるで頼りがいがあって優しい恋人を捨てて、不良で甲斐性のない男に乗り換えて苦労する女性にも見える。

韓国経済は、国内消費が極めて弱く、輸出や海外からの観光などで外資を稼ぐことで辻褄を合わせてきた。しかし、その一つの観光がこの惨状では韓国の将来も厳しい。最近日本人が観光で戻ってくれるよう内々に韓国政府から盛んに要請しているようだが、いったんこじれた恋人関係同様修復は困難だ。おまけに表向きは相変わらず、歴史認識問題で日本を揺さぶっている状況では話にならない。

中国が韓国の窮状に援助を差し伸べてくれるほど友好的だということはありえない。中国とて決して経済の内情は厳しく危機的状況は大同小異かもしれない。結局韓国は中国に属国扱いされて骨までしゃぶられてしまいそうだ。昔の恋人が懐かしい?



結局「福島復興」の視点がなかった朝日新聞

2013-10-18 14:03:04 | 反原発反日メディア

朝日新聞連載「プロメテウスの罠」の「福島に福島米」シリーズが、19回の今日で終了した。この連載を読んで、当初は放射能被害を心配する母親たちのみならず、生産農家や農協あるいは学校、自治体などを取材して各々の立場を客観的に書いているとは思った。その点では朝日にしては珍しいとも感じた。しかし、最終回の記事には「がっかり」、いや「やっぱり」と嘆息せずにはいられなかった。

朝日のネット記事は本紙の一部しか掲載されなかったり、翌日には削除されたりして購読困難な記事が多いので最終回の内容だけは全文紹介しておく。


プロメテウスの罠』[給食に福島米:19 判断に時間がほしい]

今年1月に福島市の学校給食で市産米が使われるようになってから、市内の八巻美幸(やまきみゆき)(43)は小学3年の長男に毎日おにぎりを持たせている。

 原発事故で生じた行政不信は根深い。市が「安全だ」といっても、なかなか信じることができない。

 事故直後、水道水から1キロ当たり最高177ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたが、市から使用制限はかからなかった。後になって、国は10ベクレルという基準を示してきた。

 当時は何も気にせず、水道水をそのまま子どもに飲ませてしまった。今もそのことへの悔いがある。

 県知事が県産米の安全宣言をした直後に汚染米が見つかったこともあった。そうした例を挙げればきりがない。行政は当てにはならない。自分で判断するしかない、と思う。

 学校給食で市産米が使われることになったとき、八巻は長男をこう説得した。

 「市は安全だというけど、放射能が見逃されて食べてしまうことも、絶対にないとはいえないんだよ」

 全水田、全果樹園を調べるというJA新ふくしまの取り組みを、八巻は評価している。だが、それがすぐに「食べさせてもいい」につながるわけではない。子どもに市産米を食べさせていいのかどうか、判断するにはもう少し時間がほしい。

 別の心配もある。他の子どもと違う道を選ぶことによるリスクだ。おにぎりを持っていくことで、いじめられたりはしないだろうか。

 担任の女性教諭に相談した。教諭は親身に応じてくれた。目配りをしてくれる、といってくれた。

 できる限り、八巻自身も気を使っている。

 少しでも他の子との違いが小さくなるように、おにぎりには具を入れない。こぶし大の塩おにぎりを一つだけ。給食のご飯とほぼ同量だ。給食がカレーの日だけは、おにぎりではなく弁当箱にご飯を詰める。

 長男は本来、給食が大好き。パンよりもご飯が好きだ。可能なら給食の温かいご飯を食べさせてやりたいと思う。米飯持参を続けなければならない今の状況を悲しく思う。

 持参させるようになって2カ月たったこの春。担任教諭に「様子はどうですか」と連絡帳で尋ねた。

 返ってきた連絡帳には「大丈夫ですよ」とあった。(関根慎一)


要するに学校給食の福島米を拒否し続ける母親の苦闘が描かれている。子どもにおにぎりを持参させるにも「少しでも他の子との違いが小さくなるように、おにぎりには具を入れない。こぶし大の塩おにぎりを一つだけ。給食のご飯とほぼ同量だ。給食がカレーの日だけは、おにぎりではなく弁当箱にご飯を詰める」というような涙ぐましい気苦労をしているのだ。それも子どもがいじめられたりしないようにとの配慮からだ。

それというのも原発事故での政府や自治体の発表に誤りや隠蔽があるのではないかという不信感からだ。それが「行政は当てにならない。自分で判断するしかない」という方向性へと向かったわけだ。

だが、どうも「自分で判断」という言葉が引っかかる。早い話が科学的な確信があるからではなく、相手が信用出来ないから給食米を拒否するだけのことではないか。相手を信じる、信じないといった極めて矮小な動機といったら酷な言い方であろうか。

ただ、こうした信頼関係は社会の基本であるから、一概に人の心情を批判は出来ない。子どもへの母性のなせる結果といってしまえばおしまいだ。ただ子ども本人はどう思っているのだろうか。記事の最後は母親が2ヶ月後連絡帳で担任の先生に尋ねる場面で終わっている。「返ってきた連絡には『大丈夫ですよ』とあった」、とあっさり締めくくられている。

担任教師と口頭で確かめず「連絡帳」のやりとりで済ませることに違和感が残り、後味の悪い最終回であった。本当に子どもは「大丈夫」なのか。持参のおにぎりで満足しているのか。そしていじめはないのか。結局最終的には朝日の記者は、福島米の給食に抵抗する母親の側にたった記事で連載を終わらせている。途中に自治体側から語られた「福島復興」という言葉は最後は全く登場しなかった。

これでは、朝日系の「アエラ」とスタンスはほとんど差がない。放射能に敏感な母親を「隠れキリシタン」と例えるような…。相も変わらず、事故のマイナス面ばかりを追って後ろ向きに日本を見る姿勢だ。朝日の辞書に「復興」の言葉はない?