昔の東京五輪で東洋の魔女として金メダルを獲得した女子バレーボール。その主将だった河西昌枝(現姓中村)さんが今月3日亡くなった。東京オリンピックの一番のハイライトといえば、当時を知っている人間ならば大方の人がこの女子バレーボールを選ぶだろう。それどころかその後の五輪を含めても最も印象に残る金メダルかもしれない。監督を務めた大松監督の鬼の猛特訓は、その後スポ根ブームを巻き起こし、サインはV、巨人の星、あしたのジョーなどのテレビドラマが圧倒的な人気を博した。
意外なのはこの金メダルチームが、ある一企業が主体となっていることだ。ニチボー貝塚という繊維会社だが、当時の日本の経済を象徴している。五輪当時は繊維業界が日本の産業をリードしていて輸出の代表格であった。ただこうした繊維業界は労働集約特に若い女性労働者主体の産業であった。当時は中卒の集団就職が花盛りで彼女たちは都会近郊の大工場で働いていた。
普段は社員寮から会社を往復する日々であって、その中で唯一ともいえる余暇が会社のサークル活動であった。ニチボー貝塚のバレーボールチームもそんな環境で生まれたサークル活動であろう。したがっていずれ結婚すれば、退社しサークル活動からも離れるのが普通である。結局東京五輪が花道となって多くの選手が引退した。結婚後に楽しむママさんバレーとは完全に個人的なリクレーションの場でしかない。
ところが現在はどうか。最近ある女性選手の動向が目を引いた。岡崎朋美選手、15年前の長野五輪で女子スピードスケート500mで銅メダルをとって忽ち世間の人気を集めた選手だ。その後も連続して五輪に出場し来年のソチ五輪の代表を目指して本格的な練習を始めたという。なんと今年42歳、2歳の女児を持つ母親だ。次のソチで代表になれば長野五輪前のソルトレイクから数えて6回目の五輪出場になる。結婚して引退どころか子どもが出来ても五輪を目指す。東洋の魔女の引き際と比べると隔世の感がある。
岡崎選手の五輪への想いとは一体どんなものなのだろう。今は女性選手でもスポーツ活動に全身で打ち込める環境が出来て来たことはあると思うし、それを受け入れる世間の理解も高まってきたといえる。やはり前々回の冬季五輪で活躍したカーリングの小野寺歩選手(現姓小笠原)も出産を経てソチへ目指し始動している。
同じスケート選手でも橋本聖子選手の場合は何度も五輪に挑戦する姿を「五輪オタク」と、かつて揶揄されたこともあった。しかし今はそんな偏見も少ないようだ。結婚も犠牲にしてスポーツに打ち込むような悲壮感も薄れてママさん選手として堂々自分をアピールできることはそれはそれで結構な話だと思う。ただ夫の理解はいつでも必要だろうが。
と同時にこうした選手を育成する国や社会のバックアップがどうしても必要だ。ニチボーの後進ユニチカがバレーボールチームを廃部して既に久しい。企業が単独でスポーツチームを維持するのも難しくなってきている。アベノミックスでの経済再生の試みがこうしたスポーツ選手育成の起爆剤になって欲しいと思う。
次回の東京五輪は今の高校生以下の有望選手が大活躍するであろうが、意外なママさん選手が頑張るのではないかと期待している。