粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

IAEAの正論

2013-10-22 11:49:42 | 原発事故関連

日本の常識は世界の非常識とでもいうべきだろうか。国際原子力機関(IAEA)の専門家チームの団長が日本の原発事故で発生した除染問題について「除染の目標として必ずしも(国が長期目標に掲げる)1ミリシーベルトにこだわることはない。利益と負担のバランスを考え、地域の住民の合意を得るべきだ」と東京で記者会見した。

まさに正論というべき意見である。石原環境大臣にも助言したというが、大臣の反応はどうだったのか伝わってこない。大臣を含めて政府や自治体、さらにその関係者が「年間1ミリシーベルトの除染に拘る必要がない」といった発言をしたのを聞いたことがない。

この年間1ミリという除染基準がまさに水戸黄門の印籠の如く確定した事実となって一人歩きしている。そのために除染範囲が膨大に広がり、その費用や時間も際限がない。多く見積もる人では数十兆円の費用が掛かると試算する位だ。これをそのまま続ければ国家財政の破綻を招くとさえ考えられる。

当然時間も長期に渡り、福島県からの避難民どころか、首都圏からわざわざ「自主避難」している人々の帰還が大きく遅れる。人によって、帰還を諦め避難先で新しい人生を考える人々もふえていくだろう。

しかし、こうした現状に異を唱えて「1ミリシーベルト除染に拘る必要なし」と言おうものなら、日本国内では袋だたきにあうことは必定だ。世論を主導する大半のマスコミから猛反発をうけるだろう。人命軽視の利己主義者扱いされる。

民主党政権の原発政策を場当たり的と批判してきた現政権もこの除染基準を見直す動きがない。IAEA以外でも今年世界保健機関や国連科学委員会が福島県民の被曝は将来的にも健康被害を及ぼすレベルではないとの報告を出している。国連の3つの権威が異口同音に日本の過剰とも思える原発事故での反応に疑問を呈している。言葉は悪いがここは、IAEAなどの外圧でこの際、基準を見直す契機として欲しい。国内世論で除染基準を見直す気運が劇的に換気されることを望まずにはいられない。


2 コメント

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はじめまして。 (トーナス)
2013-10-22 16:27:41
いつも興味深く読ませていただいております。

ご意見、まったく同意です。

民主に続き自民も、大衆迎合、日和見的でありすぎます。
現実を見据えて復興までのプランを描く必要があると思います。

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トーナスさん、はじめまして。 (うるしねまき)
2013-10-22 17:42:39
信夫山ネコさんのブログでは、鋭いコメントをされていますね。
当方のブログはネコさんほど中身は濃くなく、自分の独断で勝手に書いて、時々バッシングをうけます。
こんなふつつか者ですがよろしくお願いします。
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