粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

毎日新聞記事への疑問

2013-10-25 13:55:20 | 反原発反日メディア

毎日新聞郡山支局記者の記事に批判的な反響を呼んでいる。福島県田村市で避難指示区域の解除を巡る国や市といった行政と地域住民との意見の相違についての記事だ。全文掲載しておく。


「メモ帳の片隅:/10 「戻りたい」持ち出されても /福島

国や市よりも住民の方が筋が通っていることがままある。当局が図表などを使って理路整然と施策を説き、住民が感情的に反発する場面はそうはない。田村市での会合で、都路住民の言葉を書き写していた時、私はメモ帳の片隅に「論理」という言葉を添えた。彼に理があると思ったからだ。

 原発事故後に国が発令した「避難指示区域」の解除を巡り、当局が「11月1日が最も望ましい」と提案し、「ご自宅に戻りたい市民がおられる以上、後押ししなくてはならない」と理由を語った。

 これについて、農家の男性が除染の効果が出ていない場所や、高齢のため家を再建できない事情を語り、こう締めくくった。「ただ帰りたい人がいるから解除するというのでは、納得できないんですね」

 確かに、「戻りたい人がいるから」と言うなら、都路に限らず、被災市町村全てがそうだ。例えば全町民が避難している富岡町でも、1割程度は戻りたい人がいる。でも、解除は別の話だ。都路の原発20キロ圏の場合、すぐにでも戻りたい人は1、2割ほど。「戻りたい」という個人の意識や感情で規制の有り無しを決めて良いものか。それが基準になるなら、「20キロ圏」を単純に避難指示区域にした時も「逃げたい」「逃げたくない」という住民の声が物差しになったはずだが、そんな話は聞かない。2年半が過ぎた今、それを理由にされても、と首をひねる方が筋が通っている。

 「戻りたい」とはどういうことなのか。かつての暮らしを取り戻したいというのが大方の住民の気持ちだろう。だが都路は以前の都路ではない。線量が高くないとしても、原発がある浜への道は閉ざされ、雇用、市場(いちば)、教育など生活圏が大幅に縮んだ。住民の多くが「帰りたい」と言わないのは、「戻る」というより「あえて赴く」地になってしまったのも一因だ。【郡山支局長・藤原章生】


田村市は、都路地区の一部だけが避難区域として居住が制限されている。ただ日帰りが自由な避難指示解除準備区域で、この地区は除染も進んでいる。平均空間線量が除染前の毎時0.63マイクロシーベルトから0.34マイクロシーベルトとなり、居住制限解除できるほどの状態になった。

実際、8月からは10月まで普通に宿泊も許可される特別措置がなされている。その期限が切れる直前に行政側が避難地域の全面解除を住民側に提案して会合が開かれた。しかし、住民側から解除を不安視する意見が続出し、解除を来年4月まで先伸ばしにすることになった。その経緯を取材した毎日新聞記者の感想が上記の内容である。

率直に言って、この記者は行政側の姿勢を融通の利かないお役所仕事と決めつけて、住民の意思を軽視しているという見方で書いている印象が強い。そして住民に「論理」があるとまで言い切っている。どうも記者が一方的に住民側に立っているとしか思えない。

線量が問題にないレベルまで下がれば、国や市が復興を進めるために避難地域の解除の措置を講じるのは当然である。避難区域の状態を放置しておく自治体がどここにあるだろうか。十分に自治体にも理があるはずだ。

また記者は「すぐにでも戻りたい人は1、2割ほど。『戻りたい』という個人の意識や感情で規制の有り無しを決めて良いものか。」と行政を批判している。その理由に事故当時の避難の際に「逃げたい」「逃げたくない」の基準だけで決めるには無理があったという理屈と同様に捉えているのには首を傾げる。

実際、線量的に問題がなければ避難する理由はなくなるから、自治体が大丈夫だということであれば帰還するのは個人個人の自由である。本当のことをいうと、住民全体で決めないで解除の前提で個人の判断を優先させても決して間違いではないと思う。しかし、会合で住民の話し合いで解除を先伸ばしにしたということだ。

今は帰還すべきでないという人は、住民の8、9割となるようだが、そこには住民の複雑な心情があるし、理由といっても公言している言葉は建前であって本音は別にあるような気がする。

農家の男性が除染の効果が出ていない場所があることや、高齢のため家を再建できない事情を語っていたようだ。確かにそうした面はあるかもしれないが、想像するに理由はそれだけではないような気がする。仮設住宅などの避難所生活に慣れてしまった現実があるのではないか。家賃が補助され、東電から家族一人当たり毎月10万円の支援金も入る。周辺は買物、病院、娯楽施設なども充実している。同じ避難民同士が集まって一つの共同体が出来つつある。

いわば、今の避難所生活に居心地がよい面があるのではないか。それを不便な農村に戻り荒れた田畑を耕作するのはきついということもあるだろう。さらに実家に戻れば支援金が打ち切られる心配もあるはずだ。解除を決められると避難所生活の理由付けがなくなる。本音はそんなところにあってしかもある意味「負い目」になっているかもしれない。

しかし、外部の人間が一概に、ある面優遇されている避難民の境遇をどうこう言うことはできない。やはり、原発事故の被害者でありその厳しさを理解しなければならない。しかし、その上で帰還を促して復興を進めるという自治体の意思も尊重すべきだ。住民の本音と建前あるいは負い目、行政の意思、そうした複雑な背景のもとで行政と住民の間で協議が行われた。それを記者は深く汲み取るべきであったし、その点で少し視点が偏っていると言わざるを得ない。

福島の事故を地元民の立場から冷静に見つめ直そうとする運動「エートス福島」の代表者である安東量子さんが、毎日新聞の記事に対して何度もツイッターで批判している。

あなたは住民の何をご存知なのか。非常に複雑な状況にある場所で、あなた個人の感傷を記事として載せることになんの意味があるというのか。

*赴任間もなくで、状況理解が浅いのは理解できなくもないが、それならば、それなりの記事をかかれるか、背景を十分に学習してから、記事を書かれることを望みます。

*失礼ながら、関係者、地元の住人たちが、すでに何度も逡巡し、考えつくし、その上での努力をなんら踏まえていないあなたの考えを記事にされても、迷惑なだけです。帰る帰らないは個々の判断、そんな事は現地では誰だってわかっています。

全く安東さんの意見に同感する。住民の複雑な心情は表向きと実際は違う。また個人個人それぞれ異なる。それを行政と住民の関係を新聞記者特有の主観で単純な二元論を展開し、一方の住民しかもその一部だけに与する行為はいやしくも慎むべきだと思う。