粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

放射脳ママと隠れキリシタン

2013-10-01 16:45:56 | 煽り週刊誌

正直、アエラという雑誌はどうしようもない雑誌だと思う。9月30日号「まるで隠れキリシタン? 放射能『楽観派』と闘う母親たち」の記事だ。いわゆる「放射脳ママ」といわれる被曝を過剰に恐れる母親2人の話だ。

最初に登場するAさん(47)の場合は、数ヶ月のに一度家族で訪れる義父の家で幼い息子たちが寿司をごちそうになることだけは「目をつむる」と決めたようだ。魚に含まれる放射性物質の被曝は心配だが、嫁の立場上仕方がない。ただ夫の実家以外では寿司は食べさせないと決めた。

その分、東京のわが家では「息子たちが食べる食事には、米をとぐ水から煮炊きに至るまでミネラルウオーターを使う。野菜は放射能測定検査済み宅配で買う。そうした努力を自分が行うことによって、「息子の体に入る放射性物質の総量を少しでも減らせるのでは」と考えている。」とのこと祖父の家以外でおいしい寿司が食べられない子どもはかわいそうだと端からは思うが、母親はそんな外野の声も聞く耳をもたないようだ。

続く同じ東京在住の専業主婦Bさん(37)は「腹が立って仕方がなかった」と体験を語っている。「小学1年の息子が、ママ友一家にアニメ映画を見に連れて行ってもらった帰りのファミレスで、事前にやんわり禁止を伝えていた海産物のメニューを頼んでいた」という。「マグロ丼食べてきたの? なんで? パスタかラーメンにしたらってママ言ったじゃない!」

相手方のママ友は内部被曝には「楽観派」だと知っていたので、息子には海産物を自分から頼まないように「言い含めていた」が息子は忠告を無視して、「あっけらかん」としていたという。いきり立つ母親ときょとんとする息子の光景が目に浮かぶようだ。

二人の母親とも外食の海産物は放射性物質が含まれた危険だという先入観が強過ぎて、自分のような「楽観派」には異常にしか見えない。記事ではBさんの夫は妻がこうしたことで愚痴をこぼしても「ただ笑うだけ」という。自分も彼女の夫だったらそうなるかもしれない。

最近の報道で「噴飯もの」という言葉の本来の意味は「吹き出すくらいおかしいこと」のようだ。自分自身これまで「腹立たしいこと」の意味でずっと使ってきた。正直いってアエラの記事に登場する母親を見ると本来の意味の「噴飯もの」に思えて滑稽にさえ感じる。

そもそも市場に出回っている海産物を全て放射能汚染されて危険だと思うこと自体とてもまともの考えとは思えない。東北関東でなく、北海道や西日本産かもしれない。たとえ東北関東産であっても十分に事前に検査されているはずだ。

アエラは記事の最後をこう締めくくっている。

AさんもBさんも学校や幼稚園など、身近な場所に、放射能汚染を気にする親は少なくなってきたと感じる。「隠れキリシタン」のように、自分の信念を隠して社交的な付き合いを続ける中で、会話の端々から仲間を探し続ける日々だ。

隠れキリシタン?これも「噴飯もの」だ。アエラはこうした母親たちを「自分の信念を隠して」と同情的に書いているが、とてもこれを「信念」などと呼べない。ただわからないもの恐れる偏見があるだけだ。ある種、精神的病理に病んでいるとしか思えない。

こういう病理が外部に向けられた時に「風評被害」が生まれる。今の福島で汚染水問題が盛んにマスコミを賑わしている。汚染水が福島の魚介類を汚染して食べられないといった誤ったデマが飛び交っている。結局そんな情報が隠れキリシタンならぬ放射脳ママの病状をさらに悪化させるだけだ。

アエラは、まるで放射脳ママを悲劇のヒロインの如く扱っている。善意の理解者として。しかし、母親の義父、笑うだけの夫、楽観派のママ友を一度でいいから取材すべきではないか。そうすればこんな「噴飯もの」の記事などかけないはずだ。全く違った趣旨の記事になっていたのに違いない。しかし、それを求めるのも無理なのかもしれない。昨日のブログで扱った同じ朝日系の週刊朝日と同様に。


追記:Bさんのママ友が選んだファミレスはどうも和食専門のようだ。余計なお世話だが、その種のファミレスのサイトでメニューを調べてみた。ほとんど海産物関連といってよい。それ以外ではそば、うどん、野菜サラダ、鳥の唐揚げ程度であった。

天ぷらも一品は海産物が含まれるのがつらい。もちらん、ラーメンやスパゲッティなどない。子どもに「そば、鳥の唐揚げ、野菜の天ぷら」なんて注文させるしかない。でもママ友がBさんの息子をどう思うか保証の限りではない。