粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

小泉元首相の脱原発

2013-10-03 09:11:52 | 反原発反日メディア

今一人の元政治家が朝日系のメディアから熱い視線が注がれている。小泉純一郎元首相、かつて彼は首相時代、朝日にとっては靖国参拝を強行した不倶戴天の宿敵だったはずだ。しかし今やこの元首相が朝日のヒーローになりそうな勢いだ。今週号週刊朝日(10月11日号)によれば、小泉元首相が「講演会で『原発ゼロ』を熱く、高らかに訴えたのだ」という。

記事によると元首相が脱原発を志すようになったのはNHKの海外ドキュメンタリーをみてからだという。フィンランドに島にある放射性廃棄物の最終処分場では地下400メートルに保管され10万年まで管理しなければならない状況をしった。さらにフィンランドの現地を視察して脱原発を確信したというのだ。

小泉元首相の脱原発志向は先週の報道ステーションでも放送された。ただ、講演会の模様は取材拒否され、講演内容もわからない。原発再稼働や原発海外輸出を進める安部政権に対してずいぶん配慮しているように思える。どうもテレビの印象からすると、朝日が望むような「原発再稼働即時反対」といった直近の課題に元首相は特別関心が持っているようには見えない。週刊朝日の記事を読んでも彼の口からは「再稼働反対」といった過激な言葉は出てこない。

察するに、元首相にとって、「脱原発」というのは今後のエネルギー問題を見据えた彼なりのビジョンであって当面の再稼働をどうするかという話ではなさそうである。その点では朝日の「期待」に必ずしも沿うもうではない。

さらに元首相の政治力を朝日は過大評価している感じもする。元首相としての実績で現政権に影響力を行使するにしても極めて限定的だ。小泉元首相自身も政治家を引退した手前、そんな生々しい政治的野心はあるとは思えない。

評論家の浅川博忠氏が「原発を推進する安倍首相に対して向けられた警告のメッセージです。首相時代に安倍氏を幹事長や官房長官に抜擢した小泉氏からしたら、『誰のおかげで首相になれたんだ』という感覚でしょうから。」などと語っているが、これはうがった見方だ。「誰のお陰で首相になれたんだ」などと小泉元首相が思っているとは到底考えらない。首相退陣後次の総選挙に出馬せずあっさり政界を引退した小泉氏に権力志向や執着があるとは思えない。

おそらく小泉元首相は政治家として脱原発を唱えているというよりも「社会活動家」として動いているのではないか。もちろん現役政治家たちとも接触はするだろうが、安部政権の政策を糾弾するような過激な活動はとらないと思う。だから、朝日が望むような街頭演説で現政権の政策を批判したり、まして原発立地自治体で「稼働反対」などアジ演説するはずもない。

小泉元首相はもっと長いスパンで脱原発を考えているはずだ。それが本来の脱原発だと思う。放射能被害を誇大に喧伝して原発再稼働を阻止しようと躍起になるなどはとても本来の脱原発とはいえず、反原発でしかない。朝日にとっては、かりそめの幻想、淡い期待に終わるのではないか。


追記1:よく見たら本日3日の朝日新聞の天声人語でも小泉脱原発を取りあげている。週刊朝日、テレビ朝日、朝日新聞と「朝日三役揃い踏み」というところか。天声人語では原発ゼロを正気と見なし「正気に返るべきなのだ」と結論づけている。そこまでいうか。

追記2:やはりというか、息子の進次郎議員は「父は父だ。私は政府の一員だ」と述べ、父親とは一線を画す考えであることを強調した。息子だから必ず父親に従うだろうと考えるのは軽薄だ。

進次郎も1期目はともかく2期目は自分の実力で議席を勝ち取ったという自負もあるだろう。オヤジと俺は違うというライバル心があるかもしれない。みのもんた親子じゃないんだから。