粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

100%安全な食品などありえない

2013-10-11 17:30:58 | 過剰不安の先

朝日新聞連載「プロメテウスの罠」で「給食に福島米」の特集記事を最近注目して読んでいる。13回目の今日は、学校給食に福島市産米を使うことを不安に思う母親たちと市内の農家の人たち10人で会議をしている様子を紹介している。

農家からは除染への徹底した取り組みと厳しい検査体制による食品に安全性が強調される。しかし、母親側は「子どもに食べさせるには0ベクレルじゃないと」といった厳しい言葉が飛び出し、気まずい雰囲気になる。

すると農家の若い母親からつらい本音ともいうべき言葉がもれる。「ぶっちゃけ、100%安心とはいえません。無理やり買ってとはいえない状況です。今のは我慢のときだと思っています」と。その上で自分の家で取れた米は国の基準値以下であり、最高でもキロ43ベクレルだったことを率直に語っていた。

「0ベクレルでなければ駄目」として、より厳密で正確な検査を要求する母親と、最高でも基準値の半分以下だと主張する農家、安心に対する認識の落差を痛感させられる。そもそも米でも検査するのは玄米である。それを精米して炊飯すればキロあたり10分の一程度に放射性物質の濃度は下がる。おそらくこの農家のご飯を給食で子どもが食べても最高で数ベクレル程度であろう。実際は限りなくゼロに近い。

しかし、農家をして「100%安心とはいえません」といわせるところが、現在の放射能問題の理不尽さを象徴していると思う。世間的にはひと頃と比べるとそんな放射能アレルギーも消えて落ち着いて来たようだが、依然としていまだに敢えて拘る人間もいることは確かだ。特に福島産というだけで過剰に忌避する傾向はいまだ残っている。

なぜ食品の安全に放射性物質濃度だけが問題にされるだろうか。農薬、添加剤、その他有害物質、大腸菌、BSE、さらに遺伝子組み換えに至るまで食に不安は尽きない。放射性物質でも自然界にあるカリウム40は日常的に摂取している。もともと食品の100%安心などありえない。何事も程度の問題である。農家の主婦の言葉が自然と受け流される時が早く来て欲しいと願う。