心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

片岡球子の熱き挑戦

2008-01-23 | つれづれ
              「めでたき富士」(1991) 72.7×161.7cm



2000年、横浜美術館で観た片岡球子展から8年。(写真は全て図録より)
片岡球子といえば、独特な富士山が有名。

当時でも95歳だった片岡さんの絵の画面からの印象は、ドッカーンという
とてつもない強さと、人間としての懐の深さだった。

作品の大きさも、おとといの書どころではなく、一番大きいもので、四曲屏風一隻
197.0cm×455.0cm!

そして、色彩の豊かさ、生き生きと躍動感溢れる造形、「自由」の持つ破天荒で
豪快なエネルギーに、ただただことばを失った。


     
    初期の頃の「炬燵」 (1935)        60歳の頃の「桜島の昼」(1962)
  

片岡さんは、女学校卒業後は小学校、中学、高等女学校の教師をしながら、
画家としての修行を始められたそう。

しだいに認められ始めた頃、日本画家の小林古径 は、「あなたの絵はゲテモノに
違いありません。しかしゲテモノと本物は紙一重の差です、あなたはゲテモノを
捨ててはいけません。あなたの絵を絶対に変えてはなりません」と語ったという。

さらに「手法も考え方も今のままで、自分の絵にゲロが出るほど描きつづけなさい。
何年かかるかわからないが、必ず自分の絵がいやになるときがきて、
そこから薄紙をはぐように絵は変わってくる」と。

  面構 足利尊氏 (1966)


そうだ・・そうなんだ!
描いて、書いて、もうこれ以上は何も出ないっていうくらいまで吐き出すと、
喉に詰まっていた飴玉がポロッとでるような瞬間を味わえるのかもしれない。

そんな風に、何かに情熱と命をかけられたら。。。
しかも片岡さんは当時95歳でも・・だ。


 どこか私の大好きな社長ちゃん に似ている・・


図録にあった、横浜美術館学芸副館長の武田厚氏の解説を抜粋してご紹介します。

 ~片岡作品の「強さ」の支持体は、「我の表現」以外何ものでもない。

「我の表現」とは言うまでもなく画家の「自由」を意味するもの。
その自由が画家の資質を発芽させ、醸成させたのである。 したがって「強さ」とは
強さの表現を意図したものではなく、結果として現れた「強さ」にほかならないのである。

つまり、資質の強さと、表現者として与えられた自由という特権を惑うことなく駆使してきた
精神力と、この二つの強さから、展開される「自由」が生じさせる結果の「豊かさ」なのだと。

自由でいるためには、強くなければならない。
そして強さとは、他を寄せ付けない頑ななものではなく、むしろ他をも許容し
解放するものなのだろう。

自由と勝手とは違う。
勝手とは、弱さの裏返しでもあり、本当の自由とは、強いということなのかもしれない。

片岡さんの絵を観ていて、自由とは・・「豊か」ということだと思った。

お会いしたかったなぁ・・
片岡球子さん、そして中川一政氏、小倉遊亀さん 三岸節子さんにも。

昨日の新聞で、知った。
1月16日、片岡さん死去。103歳だったそうです。
ご冥福をお祈りしつつ。。
コメント (2)
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