2015年5月6日
「おまえ、頃は良し、巷がGWで休みならブログに多目の休みをとって考えるんじゃなかったのか?」 過去の奴の云ったことか?
「過去も昨日も今日もおまえや」 切り分けのできん奴やねえ。「できとるわっ」 出だしから興奮すんな。
考えておるよ、一旦、それは横に置いてだね、天気も悪い、出かける気にもならないから有り余る時間をお話しで潰しているんだよ。
しかし、嫌味な天気だね。家ん中で好きなことしてのんびりする向きには、別段、晴れようが降ろうが構わないんだけど解放感を損なうね。
雨でも風でも苦にせず出歩ける人は、然程、気にならんのかも知れんけどね。いろんな人が居るからね、一概には云えないね。
今日(4日)も、昨日と同様、冴えない天気だね。オレは気分屋だから、願わくば、休みはからりと晴れていて欲しいよ。
やっぱり、多目の連休ってのは気分的ゆとりが働いて、昨夜は、早速、『96時間 レクイエム』を観たよ。
リーアム・ニーソンの映画に外れはあまり無いから安心して観たんだけど 「96時間」の3作目で息が切れたって感じだね。
シリーズだから仕方ないけど、不届きな元妻、可愛げのない女優が演じる娘が、また、出てる。なんやねん、女優を変えろよ。
なんか、この二人の女優は鬱陶しいね。「なんでやねん?」 この前、田舎へ帰れって云って引導渡したんだけどね。無視しよったね。
『96時間 レクイエム』
出来具合は、残念ながら粗くたいね。リーアム・ニーソンは変わらずいいんだけど演出が粗いよ。ちょっと無理があり過ぎだね。
リーアム・ニーソンが強いのはいいんだけど、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても3回は確実に死んでるのに生きているなんて限度越えてるよ。
昔、子供の頃、兄弟で火薬のピストルで撃ち合いするんだけど、完全にオレのほうが正確に何発も早く撃ってるのに弟は死なない。それと一緒やね。
それに悪を無理やり捏造したようなストーリーもどうかと思うよ。元妻がニーソンに会いに来て今の夫と上手くいってない素振り。
「いつも思うのは貴方のこと」なんて色気出してる。ニーソンは堅い男だから、その色気に屁をこいて掻き消すけど 「ちょっと待て、なんやねん、それはっ?」
中和してんだよ。「何処にそんな表現がある? 色気に屁をこくぅ~?」 迫る色気を逸らす表現だよ。シラケるだろ? 新表現だよ。辞典にも載ってないよ。
まあ、この映画の救いは、元妻が殺されることで、ひとつの鬱陶しさが消えたってとこかね。「なんてこと云うんだ」 残るは娘だね。
「おまえが一番の悪じゃないか」 邪魔者は消せだよ。リーアム・ニーソンが可哀想だよ、老骨に鞭打って一人戦ってる。
アクションが派手なぶん、手抜きせざるを得ない事情が見えるようだよ。そんなに無理してまで助けなくていいんだよ。「冷酷な奴やね」 ハードボイルドだよ。
ラスト、娘を救い出し事件が解決、海に突き出る桟橋のベンチで話してるシーン、愛おしげに娘を見るリーアム・ニーソンの表情がいいねえ。
『リーアム・ニーソン』
リーアム・ニーソンは、年輪を重ねていい大人の味を出してるねえ。こんなのを大人って云うんだろうね。「おまえは?」 いや、それがだね。ケッサクだよ。
「なにがや?」 オレはね、この映画のニーソン観ていてアクションシーンでは流石に歳喰って無理が出来ないみたいだねって思ってるの。
オレもこうなるんかなあって、先々の自分を考えてんだよ。で、映画観終わって暫くしてから、ニーソンとオレは、変わらん歳であることに気付いてんだよ。
なんでだろうかね、自分は、まだまだ若いって錯覚してんだね。そんな意識で観てんだよ。ニーソンがオレのお父さんみたいな感覚なんだよ。
「それは、凄く恥ずかしい錯覚ではないのか?」 うん、そう、落ち着いて考えると大変恥ずかしい錯覚だね。「おまえ、大人の自覚あるか?」
字画31画だよ。「ここで、まだ冗談云うか? おまえな、大変なことだぞ」 日頃、自分は、もう、爺だって云ってんのに不思議だね?
「自己嫌悪もんだぞ」 なんかね、オレは、何処か成長が止まっているような気がするんだよ。脳味噌の左脳は死んでるけどね。「関係ないやろ」
右脳だけで生きてる男だよ。「何処が止まってんねん?」 う~ん、積み重ねていく記憶とでも云おうか、経過の認識、記憶に対する思い入れが希薄なのかね?
此れは左脳の働きじゃないのか? 「記憶喪失か?」 いや、振り返れば緻密に覚えてはいるんだけど、それらは熱を失って薄いとしか表現できないね。
だから年輪の積み重ねが希薄で重さが無いんだよ。人生の染みってかねえ? 味わいってかねえ? 枯れた渋みが漂わないんだろうね。
つまり、過去は整理整頓されて戸棚に仕舞ってるから、不快なることは、不思議なくらいに、ほとんど甦らないんだね。「健忘症か?」 病気にしたいのか?
苦しみ抜いたら消化してしまうんだろかね。耐性は、至って強いって字画31画、違った、自覚があるね。「おまえの、そのオトボケに原因があるね」
なんでもお笑いにしてしまうトコアルネ。「中国人か?」 君のお陰で原因らしきものを見た思いがしたよ。隠れ無自覚健忘症だね。「病気やないかえ」
歳を忘れて生きる。ホントにそんな感じがするね。でも、寿命は別だからね、どういう生き方をしても、実際の歳相応にしてオサラバするときは来る。
オレは、本当の自信ってものを持っていないんだと思うよ。夢を諦めない執念の出所は、其れを無意識に求めてやまない渇望から噴き上がってんだろうね。
社会の中に生きる一匹狼の最も足る欠落の部分なんだろうかね。「何ごとも我流で誇りは高いけどね」 だから均整を求めるんだよ。
「孤高を捨てて、これからは、犬っころに変身したらどうだ?」 牙を抜くのか。「犬でも牙はあるぞ」 そうだね。
ちっこいシッポ振って可愛く生きようか? そして女の子に甘えて擦り寄ろうか? 「ただの変態ではないか」 そう無理とも思えんけどね。
オレは、根は犬っころなとこあるからね。屈託ないからね。「対極とする立場で見れば孤高の狼の頑なな生き方に疑問も生じるかも知れんよ」
そうかも知らん、一匹狼もピンから切りまであるからね。自分では孤高の狼気取りだけど、人から見たら、ただのワンワンかも知れん。
もし、そうなら、頑なに一匹狼を生きて渇望するものを遠くへ追いやる愚かは考えもんだね。
春の目覚めかね? 「おまえが云うとやらしく聞こえるね」 春の悶えって映画を見たけど可愛いもんだったね。「なんの話やねん」
リーアム・ニーソンが気づかせてくれたかね? この人は、「シンドラーのリスト」は勿論だけど「マイケル・コリンズ」の演技が印象深かったね。
ずっと意識にとどまって、期待を裏切らない、いい役者だね。
一口に変わろうたって、なかなか難しいんもんだろうね。「おまえの前に引かれている見えないラインを消せばいい」 知ってたの? 知ってたよ。
遠吠えするのは満月の日だけにするか。「それは狼男ではないか」 夜な夜な出没するか? 「それは痴漢ではないか」
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