カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1435 『映画 エクソダス 神と王』 と 『十戒』

2015年06月21日 | 日記







 『 旧約聖書の「出エジプト記」』 2015年6月21日







『エクソダス 神と王』(Exodus: Gods and Kings) 2014年度アメリカ映画。監督はリドリー・スコット。主演クリスチャン・ベール。

このリドリー・スコットって監督は、個性的なものを持ってるね。此の人の撮った映画は、訴えようとする意図を感じ易いね。

「他にどんな映画を撮ってる?」 よう、知らんのだけど、「知らんのに云うな」 いいじゃないか、知らんものは知らんのだよ。





オレが、うん、良かったって思った映画の監督に此の人の名が何度か在ったように記憶するんだよ。「その程度か?」 そうだよ。












『エクソダス 神と王』(Exodus: Gods and Kings) 2014年度アメリカ映画







此の映画は、旧約聖書の「出エジプト記」をもとにして、モーゼに率いられたヘブライ(ユガヤ)人が400年の奴隷から解放、エジプトを脱出する

に至る過程を描いた作品だね。 モーゼの生涯を描いた叙事詩で壮大なるスペクタクル映画だよ。久ぶりに満足したよ。

この映画では、字幕で 「モーシェ」って云ってるね。でも、ここでは、一般的に「モーゼ」と称するよ。コロコロ変えては困るね。






昔、1956年度作品のチャールトン・ヘストンがモーゼに扮した 『十戒』を千日前のスバル座で観たけど、紅海が二つに割れるシーンと

神のおわす山で石版に十戒を掘り込み山を下ってくるシーン、ユル・ブリンナーの王が息子を失い悲しむ姿など途切れ途切れしか覚えてない。

なのに、凄いなあって印象は残ってるよ。昔は、神話や伝説、英雄の功業などを物語る映画が多かった。





オレは、正直、この手の映画は苦手で西部劇や戦争映画に好みが偏ってたね。いつか書いたと思うけど、なんで嫌かというと裏切り、姦計、拷問なんてのが

お決まりのように展開する物語が鬱陶しかったんだね。安心して観てられないんだよ。昨日の友が今日の敵、兄弟仲良し大人になったら敵(かたき)同士。

親も子も互いに信用ならん。親友の彼女をイッテまう 「おまえ、幾つやってん?」 おませなオレには解ってた。





主役も彼女のことが心配で安心して城砦から出て戦えない。彼女は不細工に限る、「なんでや?」 襲われないから主役も気にかけなくて済む。














『急遽、それらしいのを収集した写真なので女優さんの名が解らん、向って右は、かのジーナ・ロロブリジダだよ』 やらしいねえ~でも、こんなの大好き








オレは、この手の映画を観て、いつも疑問だった。「なにがや?」 この時代の女性は薄い透けたエロチックな衣装を身にまとい、

決まってロングスカートの切れ目から綺麗な脚を太腿から曝け出すんだよ。ついでに大きな乳房の谷底のぞかせて、まるで挑発してるような姿だよ。

権力ある悪い男は我慢ができないよ。次から次からオレのものってなっても仕方が無いよ。で、泣いてるの。おまえが悪いんじゃっ。





よく腹が立ったもんさ。そんなの思い出しながら相生通りのガソリンスタンド脇で仲間とベッタンで遊んでいたよ。「どんなガキやねん」 

やる奴は悪い、やられる女も悪いってことだよ。ソフィア・ローレンなんか妖しい肉の塊だよ。ジーナ・ロロブジリタとかロザンナ・スキャフィーノ

名のある女優は、皆、綺麗でグラマーで、それがストリップのいでたちで悪い男と二人きり、これで何も起きなければ女のプライドにキズがつくよ。





真面目で勇敢で正義の人は、勇ましく戦って帰って来たら彼女はボロボロ、人間性も変わって悪い男にしなだれかかってる。ああ、無情だね。

これが面白いの、この時代の正義の人は踏んだり蹴ったりの人生ばっかしなんだよ。オレとおんなじだよ。「何処がやねん?」

正しいことを主張してんのに排斥されて奴隷になったり、剣闘士にされたり、島流しにされたり、ろくでもない過酷な人生を強いられる。





映画の中の苦労は新幹線だよ。過酷な10年20年なんか「あっ」と云う間に過ぎ去って巡り会いよろしく力のある人物に救い出されて返り咲く。














『ソロモンとシバの女王』








まあ、昔から此の手の映画の凄いのは、絢爛豪華なセットと大群衆だね。その中を苦節うん十年、正義の人は地位を得て戻って来るんだね。

ラッパの吹奏、大群衆の歓声が喧しいぐらいに出迎える中、もともと勇敢なる正義の人は、悪い奴に引けをとらない権力の上に在る。

玉座に悪と並んで迎える昔のボロボロ女が「まあ、ステキ(新鮮)」 おまえの根性が臭いって目で切り捨てる正義の人。でも、何処か未練も覗く。





「まあ、ステキが、なんで新鮮なんだ?」 悪の男ともうん十年だよ、男女の情は湧いても飽きもくる。昔の正義の人を新鮮に感じるんだね。

もう、すれっからしの女になって新し好みのエロ女に堕ちてるんだよ。ホンマにそおかあ? 観るものの取りようは、いろいろだよ。

今更、助けてなんて、誰が助けるかっ。悪と一緒に串刺しだよ。「おまえの取りようは、此の手の映画そのものではないか」 感化されてんだよ。














『エクソダス 神と王』 モーゼ役のクリスチャン・ベール








紀元前1300年、多くのヘブライ(ユダヤ)人が暮らす古代エジプト。増えすぎたヘブライ人の男児を殺すようファラオ(エジプト王)が命じる。

殺戮の手から守るため赤ん坊だったモーゼも川に流される。しかし、エジプトの王女に拾われ、王子のラムセスと兄弟同然に育てられる。

成長したモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、ラムセス(ジョエル・エドガートン)と共に兵を率いてヒッタイト帝国との戦いで敵を撃破する。























勇猛果敢で才知に恵まれたモーゼは、エジプトでは人気が高く王国での地位を確立しつつあったんだね。

王子ラムセスよりもモーゼを跡継ぎに考えるほどにファラオ(エジプト王)の信頼も厚かった。だが、モーゼは、ラムセスが王座に着くことに異論はなかった。

ヒッタイト帝国との戦いを前に占い師が「王子を助けた者が王になる」と予言する。激しい戦闘の最中、ラムセスの危機をモーゼが救うんだね。
























『エクソダス 神と王』 戦闘シーンも迫力あるね








救われたラムセスは、瞬間、その予言が脳裡に奔る。モーゼも同じくだったけども打ち消すんだね。戦いに勝利した後、ファラオ(エジプト王)は亡くなり

ラムセスが王座を継ぐ。モーゼは、40万人を越えるヘブライ人が従事する大建造物の工事区域を視察する。

そこでヘブライ人の長老ヌン(ベン・キングズレー)から、自分がヘブライ人であることを知らされて愕然とする。俄かには信じ難い話だったろうね。





この話を盗み聞きした二人のヘブライ人が、ラムセスに密告したことから、モーゼの人生は急転直下、奴隷の身分に落ち追放される。

ヘブライ人の扱いには、何かと救済の進言を行ってきたモーゼだったが、知らぬ我が血のなせるものがあったのかねえ?

1956年の『十戒』も、当然、同じストーリーだったんだろうけど全然覚えてなかったっよ。ラムセスがユル・ブリンナーだったんだね。













『十戒』1956年 ラムセス王役のユル・ブリンナー










『エクソダス 神と王』2014年 ラムセス王役の ジョエル・エドガートン 此の人、なんかズングリムックリって感じが付き纏うね。







このユル・ブリンナーって役者は、下手ではない。下手ではないけど一本調子の役者だったね。スキンヘッドが光ってる。「関係ないやろ」

前年度作の『王様とわたし』のシャムの王様でアカデミー主演男優賞を受賞したとかしないとか興味ないけど大スターになったね。

でも、この『十戒』のラムセス王も、なんか一緒の調子だった。そして、『荒野の七人』(1960)のガンマンもシャムの王様だったのが悲しい。












『荒野の七人』のガンマン役の ユルブ・リンナー 此の人の銃の扱いは、どう贔屓目に見てもガンマンならんもんがあった オレのほうが上手いよ







「そらあ、おんなじ人間だから無理を云うな」 アホッ、それなら役者やめろ。コロッと人間変わらなあかんのが役者やないか。

『十戒』にデボラ・カーが出てきたら、この男は、手を叩いて「シャウィダンスッ」なんて踊りだしよるで。監督が慌てよるで。

こんなのと比べたらモーゼ役だったチャールトン・ヘストンなんか不器用そうなんだけど、そうでないね。












『エル・シド』のチャールトン・ヘストンとソフィア・ローレン







此の人は、叙事詩的な映画にははまり役だった。史劇に相応しい顔かたちで大画面に負けない大きさを感じさせる役者だったね。

西部劇の「ダンディ少佐」(1965)なんか、モーゼなんて知らん、エル・シドも知らん、ベン・ハーも知らんと云い切れる別人だったよ。

この人はうまい役者だなあと感じたのは。「大いなる西部」(1958)を観たときだよ。全くの別人を生きていたよ。





子供ごころに、そんなことを思いながら、2番館のキリンビルの映画館から出てきて宗右衛門町通りを渡り心斎橋筋に入って、

心斎橋筋の中ほどに在る不二家でドーナツを買って貰って親父やおふくろの前や後ろを兄弟と走り回ってほたえていたよ。

「ホンマに、其の時に、そんな感想をもってドーナツぶら下げて走り回っていたのか?」 そうだよ。「ずっと後に感じたんだろ?」 違うよ。













『十戒』1956年度作品 紅海が二つに割れる大スペクタクルシーン

















































「ホンマか?」 ホンマだよ。其の頃から、オレは、こういうのを見切る卓越した批評の眼を持っていたのさ。オレの眼は誤魔化せない。

「まあ、ええわ、おまえ自体の思い違いってのもあるからね」 どういうことや? 「後年、ビデオで観たとか、テレビ放映で思い出したとか」

なるほど、其の手があったか。「どっちやねん?」 そう云われれば、今昔、混ざり合ってるってことはあるかもね。「エエ加減なおっさんやで」














『エクソダス 神と王』 モーゼの妻になるセファラ なんで、主役の奥さんや恋人は、揃いも揃って、皆、美しいの?











「そんなのは、神さんに聞いてくれ」








追放されたモーゼは、放浪の末にシナイ山の麓に辿り付き、そこで羊飼い達に救われた。

彼は、族長のジェスロから仲間として認められ、7人姉妹の長女・セファラを妻として新たな生活を始める。このセファラを演じてる女優さんは綺麗だね。

或る日、モーゼは山の頂に登っていく。其処に少年が現れる。神の化身なんだね、モーゼは、汝がヘブライ人をエジプトより導き出せと啓示を受ける。





『エクソダス 神と王』は、『十戒』を簡略化して描いてるね。『十戒』は、4時間の長編だったから旧約聖書の「出エジプト記」に倣って筋立てや

登場人物などが丁寧に描かれていたね。妻のセファラに「必ず、帰ってくる」と言い残し、モーゼはエジプトに戻る。

人望のあるモーゼは、昔の部下だった兵の導きで王のラムセスの前に現れた。ヘブライ人を解放するように求めるがラムセスは認めようとはしない。





モーゼは、神からの「十の災い」がエジプトを襲うと警告する。その言葉通り国土は次々に災禍に襲われる。それでもラムセスは頑として首を縦に振らなかった。

しかし、最後の災い(門に子羊の血を塗らない家の長男は全て死ぬ)がエジプト全土に広がりエジプト人の長男が次々と死んでいく。













『エクソダス 神と王』 モーゼ役のクリスチャン・ベールとラムセス王役の ジョエル・エドガートン











『十の災い』 尽く当らぬ女占い師は首を吊られて処刑される 占いでごっそり儲けてる似非占い師は、これを見て反省すべきだよ











ワニは狂い暴れて人々を喰い、魚は死に絶え、イナゴの大量発生と血の水に穀物は萎える、「十の災い」の一つカエルの大量発生を描いてるね











『十戒』 エジプト全土を覆い尽くす恐怖の影は、家々の長男の命を奪って往く「十の災い」 ラムセス王の王子も、その犠牲になる











『エクソダス 神と王』 幼い王子の死にラムセス王は打ちひしがれる









ラムセスの息子も最後の災いの影に襲われ死ぬ。ラムセスは打ちひしがれて、遂に「ヘブライ人は、此の地から出て行くがよいっ」 とモーゼに告げる。













『エクソダス 神と王』 かっては、実の兄弟の如く育ち助け合う仲だったラムセスとモーゼ









かくして、400年の奴隷から解放されたヘブライ人たちはモーゼに率いられてエジプトを脱出、約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)を目指して旅立つ。

しかし、エジプト王のラムセスは、息子の葬儀を終えると「この軍勢では彼らを連れ戻せません」と進言する将校に「連れ戻すとは云ってないっ」

モーゼの一行に追いつき殲滅するために大軍を指揮して出撃する。呪わしきはモーゼの出現から始まった。モーゼ諸共ヘブライ人どもを駆逐する。





この映画の凄いところは、大エキストラを起用して、今流行(はやり)のCGばかりに頼らない描写だね。2頭だての二輪戦車を駆って断崖絶壁の山道を

連なるように突っ走って追跡する。苦難の山を下るとモーゼたち一行の目の前には青々とした海が広がり往く手を遮る。

この海は、アフリカ大陸とアラビア半島の境目に在る紅海だね。紅海のどの辺りを渡ったのか? 地図では細長く見えるけど実際は約200キロの幅がある。























200キロを歩き渡ったとすれば2日はかかる。映画では、そんな悠長な時間はない。となると紅海を北へ上がるとナイル川が地中海に繋がってる。

紅海から地中海、ナイル川を海と称しても当時なら頷ける。また、向う先の約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)も近い。

しかし、この映画では語ってないけれど、彼らが其処に到着できたのは、紅海を渡って40年後なんだね。「何処をウロウロしとったんや?」 知らん。













「邪教を信じる異教徒の奴隷ども、一人残さず殺戮する」 王子を失ったラムセスは、邪教の脅威を払拭するためにヘブライ人を追う 








振り返れば彼方の山肌をラムセスの軍勢が追ってくるのが見える。『十戒』では、モーゼが海に向って叫ぶ、海の彼方に火柱が逆巻き立ったかと思いきや

往く手の海が二つに割れて覗いた海底が道になるんだね。一方、『エクソダス 神と王』では、為す術もなくモーゼは愛刀を眼前の海に放り投げる。

暫くして海は激しく流れ出し、その勢いは激しさを増して海底深く突き刺さった愛刀の柄が海面に姿を現す。驚く浜辺の皆みなさん、「なんやねん」





















「渡れっ、わたしに続けえっ」 有名な奇蹟だね。海水は干し上がるように流れ去り道は対岸まで続いている。「急げっ」 ラムセスの軍勢が近づいている。

アメリカ大気研究センターの研究によると割れたとされる「葦の海」について、紅海だとする説が一般的だったが、これは誤訳であり、

実際は、ナイル川デルタ(三角州)北東部に存在したタニスという都市付近にできたラグーン(潟湖)であると云う。























様々なデータを用いて、当時の地形状況や気候をコンピュータモデルで再現。東から強烈な風を吹かせると嵐のようにラグーンの水面が波立ち、

海水が西へと追いやられることを確認した。時間にして4時間程度だったというんだね。

また、19世紀後半、エジプトに軍事介入した英国軍の記録にも、現地で強風が吹きラグーンの水が完全に無くなっていたとの記述も残っている。























































海底に現れた奇蹟の廻廊を進むヘブライ人、後を追うラムセスの軍勢もついに、其の回廊に差し掛かる。「騎馬っ」 屈強な男たちが乗馬して

迎え撃つ態勢を組む。徒歩にて対岸に逃げる仲間たちに時間を作らねばならない。「走れっ」 怒涛の如くラムセスの軍勢が迫ってきた。

「モーゼっ」 指差す西の空に届くが如き波柱が立って巨大な海の壁が海幅一杯に向ってくる。「モーゼっ」 浮き足立つ。





「行けっ」 モーゼは、騎馬して迎撃態勢のヘブライ人たちに対岸へ逃げろと指示して、自らは動かず向かい来るラムセスと対峙する。

































此の一連の描写は、現代ならではのリアルに徹したもので創りものとは思えない凄まじいものがあるね。

此の映画を観て感じたのはね、役者の質が、より一層問われる時代が来たということだね。壮大にしてリアルな背景、それに頼って成り立ってる役者が多い。

背景をも呑みこむほどの存在感を発する役者でないとバランスが崩れるように思えるよ。圧倒するような臨場感は、圧倒すような芸幅が締めるんだね。





で、ないと、ただただ凄かったで終っちゃうよ。味を締める出汁のコクは人間が出さねばならないからね。それが味わいの余韻だよ。











































一方、ラムセスの軍勢も「あれを見てっ、逃げましょうっ」 ラムセスは聞く耳をもたず2頭立ての戦車にムチをくれるっ。軍勢は、引き戻す態勢に転じる。

巨大な海の壁は、もう其処まで達してる。馬上のモーゼに戦車のラムセスがあと一息の間隙、巨大な波がのしかかって藻屑も藻屑、

爆走した分戻れずに軍勢も総藻屑。全てを嘗め尽くして大波が元の海幅を埋め尽くし、やがて、とうとうたる海原に還る。軍勢どもや馬等が海中を漂い全滅する。



















































モーゼは、渡るべき対岸に打ち上げられ、ラムセスは戻るべき岸辺に波が持ち上げる。その他大勢は、皆、沈んだまま。どういうことやねん?

これって、一般人を馬鹿にしてんのとちゃうか? その他大勢になるもんじゃないね。都合で生かして都合で殺すな。

ラムセスの軍は、彼だけを残して波間に消えていった。ラムセスは妻の元へ戻り 「彼(モーゼ)の神こそ真実の神だ」と語ったらしいね。



















モーゼが、石版に掘った「十戒」とは、次の戒めの言葉だね。





 1.主が唯一の神であること

 2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)

 3.神の名をみだりに唱えてはならないこと

 4.安息日を守ること

 5.父母を敬うこと

 6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

 7.姦淫をしてはいけないこと

 8.盗んではいけないこと

 9.偽証してはいけないこと

10.隣人の家をむさぼってはいけないこと





紅海(葦の海)を渡って自由になったヘブライ人達は、神に対する信仰を忘れ、金の子牛に対する偶像崇拝を始めて享楽に耽った。

山を下りてその有り様を見たモーゼは、「神の怒りを知れっ」と、その十戒を刻んだ石板を金の子牛像に投げ入れると、

大地が割れて火が燃え盛り、罪深き人々は、その割れた大地の間に落ちていったってんだね。



















神は、かくして怒り、ヘブライ人に罰を与え、彼らを40年に渡って荒野を彷徨わせた。やがてヨルダン河のほとりのネボの山麓に辿り着いた。

ここでモーゼはヨシュア(モーゼに付き従った人)を後継者として杖と衣を与え、妻セファラに別れを告げて約束の地カナンを目指す彼らを後にして、

神の前に行くべく、ただ一人ネボの山を登っていったと映画にはない物語が続いてる。モーゼは、120歳まで生きたらしいね。



















脅迫や過酷、事故や事件を前にした時、その対なる人々を総じて「罪なき人々」と憐れに云う。別段、それでも構わない。

でも、ホントに罪なき人々かと問えば 「?」と過(よ)ぎるような人も必ず居る。

解放されて自由になって好き放題になれば本音が出る奴も沢山居る。厳密に云えば、罪なき人なんて居ないんじゃないの? 





「罪を働かずに済んだ人」が正しいように思う。それほどに、人は、善と悪の間を彷徨い往かねばならん宿命(さだめ)の生き物のように思うよ。












『十戒』 殺戮の手から守るため赤ん坊だったモーゼも川に流される 使命をもって生まれた人だね








此の手の壮大な叙事詩的映画ってのは、意外と人間の本質に近いところを描いてんじゃないかね? 

衣を脱ぎ捨て飾り物を排除した裸に近い者同士の精神性の高さを感じるね。「惑わしてんじゃないのか?」 堅さをほどよく柔らめて観る者を誘う。

よう、解らんけど、そんなふうに感じるんだね。単純なように捉える行為の裏側、人間の心裡ってのを読み解くにはいい映画だと思うよ。





此の世に産まれ出(い)でて何をすべきか、何を信じるべきか、人間としての正しい在り様なんか、こんなのを観て習うべきだね。


























『ドゥラ・エウロポスのシナゴーグから出土した3世紀頃の壁画。モーセがナイル川から拾われる場面を描いている』








ドゥラ・エウロポス(エウロポスの砦」)は、ヘレニズム時代からパルティアおよびローマ帝国の支配下の時代にかけて繁栄した古代都市。

その遺跡は現在のシリア東部、イラクとの国境付近にあり、ユーフラテス川右岸(南岸)の高い断崖上の平地に位置してるらしい。












ドゥラ・エウロポスのベル神の神殿跡 (ウィキペディアより)





























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