2018年2月9日
なんか、もう、ハチャメチャ眠たい時ってあるね。パソコン見ながら眠ってんだよ。ほいで、ハッとして起きて慌ててキーボードに
指添えて打つ態勢してんだけど、また、眠ってんだね。そんなのをアホらしいほど繰り返して飽きないもんだね。
切りがないから顔を叩いて目を覚ます。結局、何もしないままパソコンをシャットダウン。昨日に続けて散歩に出る。
道路に出ると小学生の3~4年ぐらかな? 男の子3人に女の子が一人、ドッチボールを転がせて遊んでる。女の子がオレをじっと見てる。
オレも気づいてニッコリ笑うと、身体を妖しく捩じって様子してニタッと笑ってる。おませな子やねえ~。
一年前までは、こんなの、毎度、相手になってたね。通り過ぎ際に手を振ってバイバイ、女の子も可愛く手を振ってバイバイしてるよ。
「ちょっといい男」って思ってんのかね? こんな子ばかりだったね、「★★ちゃんは、恰好いい」なんて挨拶代わりで馴染みになって
知らない友達引き連れて増えて行くんだね。オレも珍しいおっさんだったんだね。 「あの人怪しい」 なんて云われる一歩手前だったんじゃ
ないのかね? でも、赤ちゃんから子供から若者から、奥さん、ご亭主、爺さん婆さんから、猫から犬まで寄り着いて心斎橋筋みたいな
雰囲気だったね。あんな頃からしたら、オレも孤高の人になったもんだよ。来るもの拒まず去るもの追わず、されど仲良しがいい。
さあ、歪んだ顔して男前と錯覚のままにニット帽被ってその気になってヒョコヒョコ歩いて往くか。此の健脚がいつまで健脚として
なり得るか、思えば心細くもなる歳になってんだね? 考えたことも無かったね。
常に貧乏に責め苛まれて、しょうもない耐性だけが出来上がってんだろうかね。貧乏に生きても品性と誇りを忘れず、我れを律して
謙虚に在れ、常に美しく在らねばならんと云い聞かせて生きて来たね。清貧の心得習わずして身に着いたとは情けない。
急かず慌てず緩やかに歩みを続ければ目的とするところ無事に帰って来れるもんだね。「セカセカ餓鬼のような歩きの無駄を知ったか?」
生きる姿勢に習うものがあるね。 「往く道々、気付いて留まるものがあるか?」 ないね。 「ただ、セカセカ慌ただしいだけか?」
馬鹿め、慌ただしいってのは我が身の気の内だけの話だよ、風のようにとか、突風を巻き起こすとか、振り向けば、もう、遥かむこう、
姿は見えない、なんてのはイメージの世界のことだよ。実際は、見苦しくない範囲にとどめた歩行に過ぎない。
「それは、おまえが、そう思っているだけかも知れんぞ、おまえを何度か目撃してる人は、「あっらあ~またや、あの人、なんであんなに
いつも急いでんねやろっ?」って、噂になってるかも知れんぞ」 深く詮索すんな。オレはね、人目に触れぬところを選んで歩いているよ。
「ドロボウか?」 違うがな、そういう寂しい通りを選んでセカセカセカセカセカセカ風のように通り過ぎるだけだよ。 「見られてるぞ」
別段、悪いことしてる訳じゃないんだから気にすんな。 「悠々と歩く癖を身につけろよ」 人となりが人を創るってことか? 「そう」
まあ、そんなことを、昔、おふくろが云ってたのを思い出したよ。でもね、歩いてるとね、何故か、トロトロやってられないんだよ。
そらっどけっ、この野郎って突風だよ。 「其れがいかんのだよ」 泰然自若と在るべきかね。「歳に習え」
たとえ、散歩如きでも考えれば考えるべきことがあるもんだね。なんてことを思いつつ帰って来たよ。
今日は散歩の話で終わり。「なんやねん、もう終わりか?」 そんな毎度、話がある訳ないだろ? 無いのが普通じゃないの?