『騎兵隊』 2017年4月25日
ちょっと肌寒いかね? 空は晴れて青空なんだけど外を自転車漕いで走っても汗をかかない。漕ぐのを止めることなく走り続ける。
スイスイと景色が流れて走り去る。風が前から吹いて邪魔しよるけど漕ぎまくって走る。
惰性で走ると身体の為にならん。脚が突っ張るほどに漕いで息が切れる。こんなしんどいことするならのんびり歩いてるほうが楽だね。
一日一回は外に出て身体を使う。おかげで、あまり詳しく知らない町ん中が解ってくるね。でも、家ばっかしで珍しくもない。
なんとはなしに見てるけど、ようもこんなけ家が詰まってるもんだね。隙間が無いじゃないか。
公園に自転車停めて花壇の脇で腰を下ろし一息入れる。桜も散り落ちて緑が目立ってきたよ。周りを見渡せばつつじの花が赤く咲きだしてる。
目の前に停めた自転車がキラキラ光ってるよ。雨の日は、家ん中に停めてるから、いつまで経っても新品の自転車がピッカピカだよ。
ちょっと、恰好悪いね。「なんでや?」 いや、別にぃ~。「綺麗なままのほうがいいだろ?」 そうかね?
タイヤも綺麗なままだよ。「ええやないか」 自然な汚れってのが普通じゃないか? なんかピッカピカとわざとらしく感じるね。
昔は、一生懸命拭き掃除してスポイクも一本一本拭いて光らせていたよ。雨の日の配達で泥を飛ばしてまた汚れちゃうんだね。
想えば、親父の仕事の配達で市内、郊外をあちこち走り周ったけど、今とは違い、寂しい処が多かったねえ。
此の辺りもウロウロした覚えがある。なんにもなかったよ、やたら田んぼが多かったのを記憶してる。変われば変わるもんだね。
『西部開拓史』 1962年アメリカ映画
今日も続いていい天気だね。真っ青じゃないか、最高だよ。だけど、今日は、なかなかケツが上らんよ、先にブログ仕上げんとあかん。
しかし、何を書けばいいのか、なにぬねの? サッパリ浮かんで来ないからハヒフヘホ。「意味のないこと云うな」 心の悲鳴だよ。
そうだ、もう、だいぶ前になるけど、勝手に拝借して貼らして貰った写真の繋ぎを発見したよ。感動だよ、感動の繋ぎだよ。
1957年(昭和32年)~1959~1964年(昭和39年)の難波南街劇場の周辺なんだけど蘇りて昔日の想い、今、新たにするよ。
下の写真は、前にも貼ったので小さめにしておくね。オレにとっては感動の連続だよ。
『1957年(昭和32年) なんば南街劇場前(地下建設工事中)』 東宝「あっぱれ三色娘」 なんやねん。
『1958年(昭和33年) なんば南街劇場横手戎橋筋前』 東宝「隠し砦の三悪人」 ユナイッテド「ヴァイキング」 松竹「大江戸の鐘」
『1959年(昭和34年) なんば南街劇場横手戎橋筋前』 大映「歌麿をめぐる五人の女」 (いずれも映画看板)
此の1959年の写真なんだけど、此の時に撮影された写真が、まだ有ったみたいで新たに紹介されてる。
でも、撮影された方の記憶では1964年になってる。前に紹介頂いた時は1959年と記されていたんだね。勘違いされたみたいだね。
で、オレが調べて確認をとった訳。『歌麿をめぐる五人の女』って大映映画の看板がある。公開は1959年なんだね。
で、1959年の写真も貼らせて頂くことにする。この方の写真に、何故、感動するかと云うとだね、残念無念もいいとこなんだけど
此の年、9月19日に南街劇場で『騎兵隊』を封切り上映してんだね。なんで写さなかったのかと恨み言も漏れるわけ。「そんなもん人の勝手だろ」
戎橋筋撮るなら南街劇場を撮るべきだったよ。それも『騎兵隊』上映期間に合わせて欲しかったあ。「そんなもん知るか」
平野屋の上、大映映画の『歌麿をめぐる五人の女』の看板なんて、どうでもよかったんだよ、くっだらん映画だよ。なにがウタマロだよ。
『なんば戎橋筋前 1959年(昭和34年)』 オレが、生まれて初めてジョン・ウェインの『騎兵隊』を観て人生観が変わった瞬間だよ。
『騎兵隊』 南街劇場 1959年9月19日封切り こんなの切符の裏に書き入れて長くチラシの山に挟んで残してたんだけどね。
撮影日がごっちゃになられたのかも知れないね、のち、1964年に同じく高島屋の屋上から南区周辺を撮られている。
何故かというとあとの2枚は、どうも青空だった戎橋筋にアーケードが被さってるように見えるんだね。
アーケードが施工されて後ということになる。ご家族で南界隈や高島屋へ何度も来られてたんだろうね。フィルム写真が達者だね。
『高島屋屋上から真下が、なんば戎橋筋前、左手、南街劇場、真正面に精華小学校、右上、千日デパート、1964年(昭和39年)とある』
『左上、千日デパート、其の前に濃いめの色の屋根が国際劇場、其の後ろが敷島劇場、其の前が大劇、北東向こうに大阪城、同じく1964年』
今じゃ、グーグルマップの3Dで何でもかんでも見たい放題だよ。だから、戻らぬ当時の古い写真に価値がある。
そん時のオレが、そん時の空気を吸って、そん時の時間の中で生きていたんだなあって思うんだね。
そんなのを思いながら、もう一枚、当時のオレを思い起こさせる写真を見つけたよ。『騎兵隊』と並んで圧倒された『アラモ』。
『大阪梅田OSシネラマ劇場前』 1960年(昭和35年)OSシネラマの横手に 『アラモ』の映画封切り看板が見えてる
北区では、『アラモ』はニューOS劇場で上映だったんだね。オレは、ニューOS劇場は入ったことがなかったな。
写真では、OSシネラマ劇場の壁面に 『スパルタカス』1960年封切りの大きなのぼりが垂れてる。(上映もしくは次回の予告?)
『アラモ』看板の横手、写真中央に阪急東商店街が見える、まだ、アーケードがないね。其の隣の工事囲いは富国生命ビル建設用地だね。
『アラモ』 1960年(昭和35年)封切り
オレは、此の『アラモ』はなんば大劇場で観たよ。圧倒する大軍に包囲され全滅覚悟で砦に籠って戦い抜く、其の壮烈な衝撃は、
今も子供心に突き刺さったままだよ。此れから2年後、1962年に 『西部開拓史』だね、もう、興奮の坩堝(るつぼ)だったね。
運命を切り開く、夢に突き進む、苦難なにするものぞ。此の数年に対面した映画は、オレの生きて往く導(しるべ)となって消えることはない。
『西部開拓史』 1962年アメリカ映画 1962年大阪梅田OSシネラマ劇場で公開中とある